9ー3 朱き夜
製作所の出入り口の手前までやって来ると、俺のでも朱音のでもない足音が、近くで聞こえた――すぐ外にいる。
身を屈めて、朱音と顔を見合わせる。足音は、入口のドア近くで止まった。敵は、まだ俺たちが製作所のどこに潜んでいるか知らないはずだ。だが、敷地内に罠があることは、通信などで聞いているだろう。居るかどうかは分からないのに、警戒しなければいけない――そんな攻めにくい状況のはず。仕掛けるなら今だ。
朱音が、指を三つ差し出した。俺は頷く。
3、2、1……。
「てぇいっ!」朱音が出口のドアを蹴破った。同時にがあという声。そのまま転がるようにして、外に踊り出る朱音の後に、俺も続いた。見ると、まさに今、ドアを開けようとしていたらしいエージェントが、いきなり開かれた壁に頭を打たれて、地面に膝をつき、その場に倒れた。
もう一人のエージェントは、ドアのすぐ横に待機していた。彼の反応は素早かった。突如飛び出してきた朱音に、彼は即座に拳銃を向けたのだ。だが、その時には既に、朱音も相手の懐にまで踏み込んでいた。
「てやぁあっ!」
咆哮とともに朱音は槍を突き穿つ。その風圧を強かに受けて、製作所の壁が音を立てた。エージェントは朱音の動きに機敏に反応し、銃撃の姿勢から即座に上半身を反らせた。結果、朱音の槍は、彼の肩を浅く抉るだけに留まった。
「まだだ……っ!」
更に一歩、朱音は踏み込み、槍を突き出していく。息さえつかせない二連撃は、風を引き裂くような音を響かせた。エージェントは後ろに下がりながら、かろうじて朱音の槍を回避し続けていた。俺は、いざというとき朱音の前に飛び出そうと、その経過を見守っていた。
「ぐ、ぅ……」
そのとき、朱音と対峙している者とは別の呻き声が聞こえた。ドアで吹き飛ばされ、地面に倒れていたエージェントだ。
俺は咄嗟に、盾を体の前に構える。直後、砲丸で殴られたような衝撃とともに、甲高い金属音が鳴った。地面に倒れていたエージェントが、倒れた体勢のまま、俺に向けて拳銃を撃ったのだ。
死を予感させる緊張感に、心臓がうめき声を上げるように脈打った。だが、身体に痛みは無い。秋月製作所謹製の盾は、弾丸を見事に防いでくれた。
「うぉぉおおっ!」
俺は盾を構えたまま、倒れるエージェントへと駆け寄った。
「この……ガキがっ!」
エージェントは拳銃の引き金を引き続けた。そのたびに銃声と、弾丸が盾に衝突する金属音が鳴り響く。まるで、目の前に鋼鉄の壁があって、何度も何度も押し返してくるようだった。
弾丸の速度と破壊力には、当然ながら人力では到底敵わない。手に汗がにじむのを感じる。一発二発は問題ないだろう。だが、十数発も撃たれて、盾に穴が空いたら――そんな考えが頭をかすめる。
それでも俺は、盾の頑強さを信じて足を進めた。一歩ずつ、歩んでゆく。耳をつんざくような音に、歯を食いしばって耐える。気の遠くなるような五歩を経て、ようやくエージェントの足元に辿り着いた。それと同じくして、彼の拳銃から、カチカチと乾いた音。
弾が切れたのだ。今だ!
「てやぁああっ!」
俺は、盾を振り上げて――彼の頭を殴った。エージェントがくぐもった悲鳴をあげる。一回、二回、念のため、胸元にも一撃。盾の裾、角の部分が当たるように、全力を込める。
やがて、彼の腕から力が抜け、拳銃が地面に落ち、エージェントはそのまま、動かなくなった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
なんとか一人、倒せた。死んではいないだろうが……深く気絶したはずだ。
体中に力が入っていた。深呼吸をする。その瞬間、〝拳銃で撃たれた〟という実感が身体中を駆け巡った。あの盾越しにも分かる、強烈な衝撃。尖った金属が、音よりも速く、俺に向かって飛んで来た。もし、一発でも盾で防ぎ損ねたら――
「……っ」今考えることじゃない――〝この状況〟で、俺の命を考慮する必要はないんだ。大切なのは……そう。朱音だ。
「たあああっ!」
朱音の咆哮が聞こえ振り返ると、朱音は、いまだ先程のエージェントと交戦していた。
相対するエージェントには、かなり武術の心得があるようだ。朱音が繰り出すアークシータの切っ先を、すんでのところで回避し続けている。それだけではない。彼は後退しながら朱音の槍をいなし、距離を取ろうとしている。
一方の朱音は彼から離れるわけにはいかない。三メートルでも離れれば、即座に拳銃で撃たれてしまうだろう。朱音は必死に食らいつき続ける。だが――
「……っ!」
朱音の突きと突きの僅かな隙を縫って、エージェントが、右足を蹴り出した。だが、後方に下がりながらの蹴りには、力も速度も乗らない。
「そんなので!」
朱音は、半身を逸らすだけで回避――だが、エージェントの目的は攻撃ではなかった。蹴りとともに、土が高らかに舞い上がった。右足は、地面を擦るようにして蹴り上げられていたのだ――目的は、目潰しだ。
「くぅ、う……っ!」
朱音はそれを、もろに顔に受けてしまった。目を閉じ、咄嗟に顔を俯かせる。
懐に入り続けなければならないこの戦場において、それは絶望的なまでの隙を生んだ。その隙を、相手が見逃す筈は無かった。
エージェントは大きくバックステップし、三メートル以上の距離を取った。跳躍しながら、遊ばせていた右手の拳銃を構え、朱音の体へ向けた。
「させるかああぁ!」
俺は、手にした盾をエージェントに向けて全力で投げた。エージェントと俺の距離も三メートルほどだ。その距離であれば当てられる。軽い盾は、俺の力でも勢いよく飛び――それがエージェントの肩に直撃したと同時に、彼が手にしていた銃が撃たれた。
盾が当たったおかげで、銃の照準は逸れ――放たれた銃弾は朱音の横、五十センチほどの地面を穿った。エージェントは、どこからか飛んできた盾に混乱し、目線も彼女から外れている。先程の状況とは一転して、今度は、エージェントに隙が生まれた。そして、それを見逃す朱音ではない。
「……っ!」
朱音は目を見開いた。両足を踏ん張り、一息に体勢を立て直す。
「らあああああ――っ!」
咆哮。右足の踏み込みは力強く、土埃を巻き上げた。赤い刃の軌跡を中空に刻み込みながら、穂先が奔る。雷鳴にも似た音を轟かせながら突き出された槍は、男の腹に深々と突き刺さった。エージェントは静かに倒れた。
「はぁ、ふぅ……」
朱音は少しの間、肩で息を整えた。まだ痛いのだろう、目を強くこすっていた。
「……ヒロキ。一応、礼を言っとく」
そう言うと、朱音は盾を拾い上げて、俺の方へと投げてよこした。
「でも、自分を守る盾を投げてどーするんだよ」
そう言われては返す言葉もない。
「すまん……何も考えてなかった。必死で」
足元の盾を拾いながら、俺はそう言った。
「なんだそりゃ。そんなんじゃ、死ぬぞ」
朱音は厳しい顔だった。俺は曖昧に頷き返した。
ともあれ、これで二人倒した。この敷地内にいるのは、あと二人ということになる。視界内に、残りの二人の姿は見えない。敷地内の情報を確認するためにも、一旦製作所に戻り、体勢を立て直したほうが良さそうだ。
敵は拳銃を持っている。いくら盾があるとはいえ、開けた場所で囲まれたらひとたまりもない。あるいは、秋月さんが残りの二人を倒しているかもしれない。そうであれば、ひとまずは難を逃れたことにはなるが……。
「あーあ、派手にやってるなあ」
その声を聴いて、俺は肌が粟立つのを感じた。こんな状況下でも、軽々しい口調で放たれた言葉に、俺は振り返った。特徴的な白髪頭。くたびれたスーツ。気怠そうな顔つき。セーフティストラテジーの創立者であり、この戦いの引き金を引いた男、岩垣の姿がそこにあった。
「岩垣……」
罠の存在も知っているであろうに、彼はそれを気にする様子もなく、庭を無造作に歩いて、こちらの方へ近づいてくる。
「あれ? 俺、君たちに名前教えてたか?」
岩垣はそう言って頭を掻いた。
「しまったなぁ。名前がバレちまうと、色々とまずいんだよなあ」
手足をぶらぶらと揺らし、目線をそこかしこに這わせている。彼の一挙手一投足には、まるで落ち着きがない。
「もう、分かってるんだ。アタシの父さんを、お前が殺したってことは……!」
朱音が、岩垣に向けて槍を突き付けた。俺たちと彼との距離は、ゆうに十メートルほどはある。だが、何だろう。この緊張感は。
「おいおい、いきなり、何言っちゃってんの。キミは」
とぼけた、というよりは、まるで馬鹿のフリをしているような言葉に、朱音が苛立ちをあらわにした。
「ふざけんな。九重英介って名前を、忘れたとは言わせねーぞ」
彼女の槍を持つ手が、静かに震えていた。
「エースケ……?」
岩垣はそう言って肩をすくめた。
「……あー、思い出した! はいはいはい、あのジャーナリストのおっさんね。はいはい」
その間に、彼はゆっくりと、俺たちとの距離を詰めてきている。
「なーんてな」岩垣はニヤリと口元を歪めて笑った。「この業界、自分のやった仕事は全部把握しておかんと、いつ足元をすくわれるか分からんからなぁ」
「お前、ふざけてんのか……っ!!」 朱音がますます口調を荒らげる。
「というより、ふざけてないと、やってらんないよね。銃を一発撃つのも、死体が出るのも、片づけるのがめちゃくちゃ大変だって、この前言っただろーが? 後始末のことを今から考えると、軽くウツ入っちゃいそうだよ」
軽い。この男、岩垣の言葉の全てが軽すぎる。だからこそ、俺は怖かった。岩垣の実力は、昨日の出来事からも、秋月さんから伝えられたデータからも理解しているつもりだ。なのに、目の前に相対している今、彼の実態がまったく掴めない。俺は念のため、横目で周囲を警戒した。
「まあでも、個人的にはこの状況、結構テンションあがってるんだよね。わざわざ、全国各地を旅してまで、英介のMRDを探してる――ってことは、ヤツの親族か何かなんだろ? お嬢ちゃん。まあ、普通に考えりゃ、娘だわな。顔似てるし」
「……だから、なんだってんだ」朱音の声がどんどん低くなっていく。
「あんたたちにとっちゃ、俺は悪役ってわけだ。親の仇ってやつだろ? なんかちょっと、傍から見たら、シチュエーション的に燃えるよな、これ。こーいう仕事って、意外と、トキメキってのがないんだよなぁ。なんだかんだで、しんどいことが多いしさ」
おそらくは、この話術ですらも、彼の作戦なのだろう。こちらの戦意を喪失させるために、言葉で煙に巻こうとしているのだ。
「エマは……エマはどうした!」
「エマ? いったいなんのことを言ってんだか……」
「ふざけるな! エマに何かあったら――全員、タダじゃおかねーからな!」
「おーこわ」岩垣は大袈裟に肩を震わせた。
俺はその間、必死で朱音の肩を掴んでいた。
もう少し。もう少しだ。もう少しで、先ほどエージェントたちがクロスボウで撃たれた位置に、岩垣が到着する。朱音と岩垣が話している間、俺は、周囲の様子を警戒していた。そのとき、クロスボウの矢が、母屋の壁に突き刺さっているのが見えたのだ。
岩垣には、倒れているエージェントたちは見えているかもしれないが、何にやられたかまでは分かっていない筈だ。仮に分かっていたとしても、どの位置に来れば、クロスボウが飛んでくるかなど、予想できるはずもない。
刺さったクロスボウは、夜の闇に紛れ、壁とほとんど同化している。経緯を知っている俺だからこそ、壁に突き刺さった矢が見えたのだ。秋月さんのことだ。きっと、俺たちの様子をカメラ越しに見ていてくれているだろう。
――もう少し。
岩垣が、相変わらず無造作に距離を詰めてくる。クロスボウの位置まで、あと二メートルほど……一メートル。
――今だ、秋月さん!




