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【本編完結済】Memory's Dogma - 記憶をデータ化できる2030年の日本で巻き起こる脳科学×異能サスペンス  作者: 高橋ワタル
CODE: 02 〈九重朱音 編〉

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9ー1 朱き夜

 そのときは突然やってきた。


 森の中に溢れる静寂を丸ごと切り裂くような、轟音が響き渡った。夜空を見上げると、濃い藍色のカンバスの中に、突如、七色の花が咲いた。一発、二発、三発。目にも眩い光の花畑が広がっていく。大きな大きな、打ち上げ花火だ。


「……来たな」

「ああ……!」朱音は俺から離れると、腕で両目を力強く拭った。


 時刻は午前二時半過ぎ。当然だが、こんな深夜に夏祭りが始まったわけではない。これは秋月さんからの合図――敵の襲撃を意味していた。


「行くぞ、ヒロキ!」

「分かった!」


 二人で森の中を走り出す。先ほどの花火は、秋月さんが考えた作戦のうちのひとつだ。


 秋月さんは、周囲の森や山の中に、密かにセンサーやカメラを設置していた。そのため、秋月家の中から、離れた場所にいる人影を確認することができるのだ。センサーで襲撃を感知したのと同時に、花火を派手に夜空へ打ち上げる。そうすることで、俺も朱音も、確実に襲撃があったことを理解できる。万が一、居眠りしていたとしても、あの爆音なら確実に目が覚めるだろう。


 何より、こんな深夜に花火が上がったということで、遠くの人物にも何かがあったことを認識させることができる。そうなれば、通報してくれるかもしれない。あわよくば、目撃者がネット上で話題にしてくれるかもしれない。


 そうなってくれれば……全滅という、最悪の結果になったとしても、多少なりとも岩垣たちに一矢報いるチャンスはあるだろう。


「こっちだ!」


 朱音は、足元の悪い森の中を、平地と同じように駆けてゆく。枝葉をくぐり、木の根を飛び越えるその姿は、まるで野生動物のようだ。


 俺は離されないように、何とか朱音を追いかける。とにかく、早く秋月さんの家へ戻らなければ。木々の間から覗く夜空では、いまだに花火が打ち上がっては、轟音と閃光を辺り一面に撒き散らしている。一体、秋月さんは花火を何発準備していたんだ?


「っ!」


 と――息を飲んだような声とともに、突然、朱音の足が止まった。俺も慌てて立ち止まる。


「待て……!」小声でそう呟くと、朱音は俺を手で制した。


 十五メートルほど先だろうか。森を移動する黒い影が二つあった。花火の強烈な光を背に浴びて、森の闇の中にそのシルエットが浮かびあがっている。


「多分、例の警備会社のエージェントなんだろう、あいつらも」


 遠くからでは、服装や装備は分からない。しかし、この前と同じであると考えたほうがいいだろう。つまり、彼らはそれぞれ拳銃を持っている。


「二人だけか?」

「いや……本気でアタシたちを殺ろうとするんなら、二人だけじゃ足りないだろ。昨日は、五、六人でダメだったんだから……多分、秋月のおっさんの家を、取り囲むつもりなんだ。あの二人の他に、別動隊がいるんだと思う」


 朱音の言葉には納得できた。前回は五人前後でダメだった。つまり、今回は少なくとも、十人以上は居ると想定したほうが良さそうだ。


 そしてその中には――あの岩垣も加わっているはずだ。


 十挺の拳銃を突き付けられる画を想像して、俺は首を振った。恐怖を感じている場合ではない。


 前方を注視する。二つの影は、姿勢を低くしながら、静かに森の中を移動していっている。あのペースでは、五分と経たずに秋月家に到着するだろう。しかし、背後にいる俺たちには、おそらくまだ気付いては居ないはずだ。花火の光と音で、うまく誘導出来ているならば。


「どうする?」俺は小声で朱音に問いかける。


「選択肢は二つ」朱音は即答した。「奇襲するか、あいつらを追い越して先に秋月のおっさんの家に戻るか」


 俺は、深呼吸を一回。それから、意を決して言った。


「ここで倒しておけば、敵が二人減る」


 すると、朱音は俺に顔を向けて笑みを浮かべた。


「分かってきたな、ヒロキ。戦いで大事なのは間合い。どのタイミングで距離を詰めるか。そして――」


 朱音は、槍を振って構えた。冷たいはずの穂先は、夜空に咲く花火の熱を浴びたかのごとく――暗闇の中で、朱く輝いて見えた。


「いつどこで、勇気を出して踏み込むかだ!」


 そう言い放つと、朱音は地面を蹴った。野生動物どころではない。まるで撃ち出された弾丸のような加速で、朱音は森を疾駆した。花火の爆音で、草葉を靴で叩く足音は、ほとんどがかき消されている。眼前に立ち塞がる木の枝へ向けて、朱音は槍を薙ぎ、障害を削ぎ落としていく。


 十五メートル近くあった距離が、一瞬で縮まっていく。二つの人影は、それぞれ前後に並んで森を進んでいた。


「てやああぁぁああああッ!」


 気合の咆哮とともに、朱音は跳躍――大きく踏み込んで、槍を薙ぎ払う。遠心力を丸ごと浴びた槍の穂先は、大きな風切り音を伴って、人影のひとりを背中から切り裂いた。彼は悲鳴を上げながら、地面へと倒れた。


「お前は……!」


 前を歩いていた方の人物が、即座に振り返る。彼は驚愕を声に滲ませつつも、素早く手に持った拳銃を構えた。さすが岩垣の警備会社に勤めているだけある。訓練で染みついた動きなのだろう。


「アークシータ起動――〝プロジェクション〟!」


 だが、エージェントが動く僅か前に、朱音が何かコマンドめいた言葉を叫ぶと、次の瞬間、森の中に二人の朱音の姿があった。左右に立ち並ぶ二人は、まったく同じポーズで槍を構えている。エージェントもこれには予想外だったのだろう、一度は構えた拳銃の照準が狂い、彼は発砲を躊躇っていた――その一秒未満の僅かな隙は、朱音にとっては充分すぎた。


「こっちだよ、バーカ!」左右のうち、左の朱音が動き出した。幻を振り切るかのごとく、一足で懐へと飛び込むと、稲妻のような突きを繰り出した。


「がぁ、ぐ……ぁ……」


 槍は、エージェントの脇腹に深々と突き刺さっていた。彼は目を大きく見開き、やがて地面に崩れ落ちた。


「……ふうっ」


 朱音が血振るいするように、槍をぶおんと袈裟に振り払う。


「急所は外れてる。運がよけりゃ、生き残れる」


 わずか五秒にも満たない間の出来事の後、朱音は再び駆けだした。


「行くぞ、ヒロキ!」顔だけ俺に振り向いて、大きな声で言う。


「……ああ!」俺も朱音の姿を見失わないよう、必死に足を動かした。


 朱音が二人に襲いかかっている間、俺は彼女を追いかけるので精いっぱいだった。そこまでの道中の移動は、ある程度俺にペースを合わせてくれていたらしい。今はただひたすらに、朱音が頼もしかった。


「今のは?」朱音の隣に並び、走り続けながら、俺は聞いた。


「ん?」

「今、朱音の体が分裂したように見えたけど。なんだったんだ、あれ?」


「ああ」朱音は手にしているアークシータを見た。「この槍に、秋月のおっさんが取り付けた機能だよ。この先端の天球カメラ、プロジェクターにもなるんだ。音声認識で、〝プロジェクション〟って言うと起動する仕組みなんだ。今のアタシの身体の状態を読み取って、同じポーズ、同じ服装で、数メートル先に投影してくれる、って機能だ」


 そんな機能があったのか。一昨日、アパートで火事に遭った際に使っていた、周囲のデータを読み込む機能と、天球カメラの組み合わせか。つくづく、秋月さんの技術力は凄い。


「つっても、昼間は明るすぎて使えないし、開けたところじゃないと投影が変になる。それに、今みたいな不意打ちじゃないと意味が無くて、結構使いどころに困るっていうか……」半ば苦笑交じりに朱音は言った。「ぶっちゃけ、今初めて使った」


「マジか」

「ああ、大マジだ」


 重々しく朱音は頷いた。凄い機能だとは思うが、何事も万能では無いということか。


 それからも、俺と朱音は、全速力で森を駆け抜けた。


   *


 俺と朱音は、秋月さんの家のすぐ近くまで戻ってきた。


 花火はさすがに打ち止めになったらしく、周囲は再び自然の暗闇に覆われ、先ほどまで鳴り響いていた騒音が嘘であったかのように、静寂に満ちていた。


 森の中から、二人で秋月さんの家の様子を窺う。流石に、身を隠す場所が何もない正面から戻るわけにはいかないので、建物の裏側から近づく。敷地内にはまだ、敵は来ていないように見えるが――そのとき、俺のMRDに着信通知が届いた。


「敵はもう敷地内に入ってきている」秋月さんの声だ。「だが、母屋の裏からなら大丈夫だ。製作所に来てくれ」


 やはり、もう来ているのか。急いだつもりだったが、間に合わなかったか。いや、秋月さんは無事なのだから、間に合ったとは言えるだろうか。俺たちは出来るだけ身を屈めつつ、言われた通り母屋の裏側を通って、離れである製作所へと向かった。


 秋月さんは、製作所の奥の部屋の椅子に座っていた。そこには、スーパーコンピューター――〝英〟とは別に、複数の物理端末とモニターが置かれていた。


 モニターには、秋月家の敷地内の、あらゆる場所の映像が映し出されている。カメラ映像の他にも、モニターには様々な情報を表示しているようで、そこかしこで明滅を繰り返している。おそらくは、人感センサーの反応だろう。


「遅かったな」別段怒るでもなく、平坦な声で秋月さんは言った。いや、より正確に言えば――


「こんな夜中に、二人っきりで出歩いて、一体何をしてたんだ?」


 こんな状況だというのに、俺たちをからかうだけの余裕が、秋月さんにはあるらしい。


「べっ、別に、なんでもねーって!」朱音は慌てた様子で否定する。秋月さんは、くっくっと静かな声で笑った。


「父さんの墓の前に行ったら、色々あったんだよ! MRDから映像が出てきたり!」


「ほう」朱音の言葉を受け、秋月さんの目には好奇心が宿ったようだ。「それは少し気になるな。後で教えてくれ。だが、今はそれよりも――」


「ああ、そうだ! 状況はどうなってるんだよ、おっさん!」


 秋月さんは、モニターの方へ顎でしゃくった。


「敷地内には、今のところ、全部で八名が侵入してきているようだ。ツーマンセルで四チーム。母屋のほうへゆっくり近づいてきている」


 彼の言う通り、モニターで蠢く人影が複数見えた。


「正確には、さっきまでプラスワンチームいたんだけどな。へへ、ここに来る前、アタシたちが二人倒したんだ」


「そうか。幸先がいい」淡々とした声で秋月さんはそう言った。


 合計すると十名、エージェントたちが秋月家に送り込まれてきたことになる。奇しくも、先ほどの予想が当たってしまったわけか……。


「このタイミングだと、1チーム欠けていることにそろそろ気づく頃だろう」

「例の、岩垣という男はいましたか?」

「今のところ、姿は見えない。離れたところで指示を出しているのかもしれない」


「けっ」朱音は吐き捨てるように言った。「偉そうなこと言っといて、自分は高みの見物かよ」


「さて、と」秋月さんが席を立ち、俺たち二人の方へ振り返る。「もうあまり時間はない。そろそろ、連中が母屋に辿り着く。この製作所にもじきにやってくるだろう」


 俺は、ごくりと唾をのみ込んだ。朱音は、槍を左手から右手へ持ち変えている。


「楠原氏。今のうちに、何か持っていたほうがいいんじゃないかな」


 そう言われて気づいた。彼の言う通り、さすがに手ぶらはまずい。


 何か、ここに武器はないだろうか――秋月さんのそばに、猟銃が立てかけられているのが見える。だが、俺にあれを扱えるとは思えない。手前の製作所に、素早く目線を這わせると、様々な工具が見えた。


 レンチ、スパナ、ハンマー、チェーンソー。それから、ここで作ったらしい、よく分からないガジェットも転がっている。妙な形の銃、ごてごてと機械のついた大ぶりの剣と思しきもの、おそろしく巨大な電動ノコギリ――その中に、一枚の板が見えた。なんだろう、あれは。


 俺は近くまで歩いていくと、その板を手に取った。正確に言えば、その板は〝盾〟だった。シルエットは長方形だが、僅かに表面が弧を描いていて、体を包むようになっている。床に立てると、俺の腰ほども高さがある。内側に持ち手があり、実際に掴んでみると、意外にも軽かった。なのに、叩いてみると、かなり硬そうな感触だった。


(……盾、か)


 朱音より遥かに力で劣っている俺には、むしろ、ちょうどいいかもしれない。振り回せば武器になるだろうし、いざというとき、身を挺して朱音を守ることも出来る。


「秋月さん、これ、借ります」


 製作所の奥に戻りながら、秋月さんに声をかける。


「なんだよ。戦う気ゼロじゃねーか」朱音は悪戯っぽい笑みを俺に向けた。「ま、ヒロキらしいけど」


「ああ、盾か。悪くないチョイスだな」と秋月さん。「何しろ、秋月製作所謹製だ。ハンドガン程度の銃撃なら、余裕で防げるだろう」


「頼もしいですね」俺は盾を強く握った。秋月さんが、俺と朱音の顔を交互に見る。


「それでは、諸君。準備はいいだろうか?」


俺たちと朱音はふたり同時に「ああ」と頷いた。


「いいだろう。じゃあ、始めるとしよう」

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