8ー3 小さな狼煙
夜になり、交代の見回りの時間になった。
「ふう……ちょっと飲み過ぎたかな……」
俺は今、一人で夜道を歩いている。先ほどの宴でひとつ分かったことがある。
朱音は酒に強い。
いくら呑んでも、一切影響を受けない。いや、より豪快な感じになる、というか、機嫌は良くなる。だが、いわゆる〝酔う〟という状態にはまったくならない。
これが酒豪というやつだろうか。九州出身の人間は酒に強いというのをどこかで耳にしたことがあったが、どうやら朱音もそういう体質のようだ。まあ、イメージ通りと言えばイメージ通りである。
そのまま朱音は俺と秋月さんに酒を飲ませまくり、結果として秋月さんは途中で眠り込んでしまった。俺も酔っ払うという経験をしたことはあまり無かったのだが、今回ばかりは少しふらつく。
こんな状態になって大丈夫なのか、と思う一方、まあそれも良いか、とも思っていた。しらふのままでいて、死の予感に震えるよりずっとマシだ。
少し湿った匂いを含んだ空気が頬をなでるのを感じる。なんとも心地よい感覚だ。そんな浮ついた気持ちのせいか、銃も何も手に持たず、丸腰のままで俺は歩いている。まあ、武器があるにせよ無いにせよ、俺に出来るのは朱音や秋月さんに襲撃を知らせることくらいだろう。
――さて、問題はここからだな。
今のところ、何かが近づいてきているという気配は微塵も感じられない。俺は自分のMRDで時間を確認した。
――午前二時一〇分。
朱音との交代の時間である、午前二時を少し過ぎてしまっていた。そろそろ客間に戻った方が良いだろう。
(朱音を起こしたら、その後は朝まで、俺も一緒に見回りをした方が良いかもしれないな)
客間の入り口に入ると、部屋の真ん中で〝綾花〟の一升瓶を抱えながら眠り込んでいる、秋月さんがまず見えた。
こんな状況だというのに、あまりにも気持ち良さそうに眠っているので、少し笑ってしまう。秋月さんを踏んづけてしまわないように気をつけつつ、俺は朱音が眠っている布団の方へと近づく。
「朱音、そろそろ交代の時間だ」
小声で朱音に声を掛ける。だが、反応はない。
「朱音? 寝てるのか?」
聞こえなかったのかと思い、もう少し大きな声で朱音を呼んでみる。しかし反応はない。胸騒ぎがした。俺は朱音の布団を両手で掴んで、そのまま引き剥がした。そこには誰も居なかった。
(……! 時間を過ぎたから、一人で見回りに行ったのか?)
布団に手を触れると、まだ温かさが残っている。ここから出てから、まだ時間は経っていない。俺は一目散に客間の入り口に走ってから、外を見回した。戻ってくる途中で出くわしていないということは――
(――居た!)
裏手の森の方を見ると、森の中へと歩いて行く朱音の姿があった。
(何故だ? そっちは見回りのルートには含まれていないのに……)
とにかく、森の中へ完全に入ってしまってからでは、見つけるのは困難になってしまう。俺は朱音が入っていった森の方へと走った。
「はあ……はあ……」
夜の森は、今日の昼間に来た時はまったく違う様相を呈していた。ひんやりとした空気が森の中を包んでいる。夏だというのに肌寒いくらいだ。どこまでも暗闇が広がり、まさに一寸先は闇だ。
「しまった……何か照明を持ってくるべきだったな……」
とてもじゃないが、これでは朱音が近くに居ても全く分かりそうにない。俺はMRDのライトを点灯した。心許ない仄かな光が目の前の木の幹を照らす。
「無いよりマシか……」
俺は足下に注意しながら、森の中を進むことにした。さきほど見えたように感じた朱音の背中は、本当に朱音だったのだろうか。イノシシか何かを見間違えたのかもしれない。そう言えば、このあたりにはそうした動物が出ると、秋月さんも言っていた。どこか遠くから獣の声のような、風が発している音のような、得体の知れない音が聞こえた。
(まるで、巨大な生物の腹の中にいるような気分だ)
色々な想像が頭の中を駆け巡り、不安という感情が徐々に大きくなっていくのを感じていた。一歩一歩踏み出すごとに、自分の足音がやけに大きく聞こえる。
何故だか、大きな音を出すのはためらわれた。この森に潜む何らかの影に、自分が見つかってしまってはいけない――そんな感じだ。それにしても、思っていたよりもこの森の闇は深い。頭上を仰ぐと、空は雲で覆われており、月明かりも無い。
「はっ……」唐突に近くで聞こえた物音に、思わず身体を震わせた。俺は反射的にその場でしゃがみ込んだ。
――落ち着け。どうせイノシシか何かだ。
そう思った直後――茂みの中から大きな影が現れ、こちらへものすごい速さで近づいてきた。
「うわっ!」気付いた時には、その影はすぐ目の前まで迫ってきていた。俺は思わず両手を目の前で組んだ。
「ぐっ!」
片足が唐突に引っ張られ、体勢を崩した。背中に強い衝撃が走る。鳩尾のあたりが強く押さえつけられる。
「くそっ!」せめて正体を見定めてやる――そう思い、右手のMRDを影の方に向けようとしたが、その右手すら強く押さえつけられた。
(くそ――何か、何か反撃しないと……!)
「おらァっ!」俺は思いっきり、頭を影めがけて突き出した。頭に強い衝撃と痛みが走り、影の方から素っ頓狂な声が聞こえた。同時に俺の身体に掛かってる圧迫感が薄れた。
今だ――!
俺は影を押しのけて立ち上がり、MRDのライトを影に向けた――。
「うおぉ……」そこには、頭を抱えてうずくまる朱音の姿があった。
「……あれ?」
朱音は頭を片手で押さえながら、恨めしげにこちらを睨んでいる。
「ったく、紛らわしいことすんなよな……いてて」
「いや、朱音が急に飛び出してくるから……」
「ヒロキがこんなとこふらついているのが悪りーんだろ! 普通に襲撃しにきた奴かと思ったじゃねーか」
「いやいや、朱音が勝手に部屋を抜け出したから、追い掛けて来たんだよ」
「く……もういい」
朱音はあまり納得してない様子だったが、事実なのだから仕方が無い。
「それで、なんでこんなところに居るんだ?」
朱音は暫く俯いて黙っていたが、やがて歩き出した。
「ついてくれば分かる」それ以上は何も言わないからな、という雰囲気を放ちながら、朱音はそのまま進んでいく。こうなると、朱音は絶対に何も言わないだろう。これまでの経験から俺はそう感じた。
(全く、頑固なやつだな……)
まあ、仕方が無い。俺は無言で朱音についていくことにした。そのまま暫く歩き続けると、なんとなく見慣れた場所に出てきた。周囲を見回してみると、ここは丁度、昼間にリスを見かけた場所の付近だということに気付く。昼間はこのまま真っ直ぐ進み、見晴らしの良い崖まで歩いた。
「こっちだ」だが、朱音は真っ直ぐ進まずに、左の細い道を進んだ。俺は黙って朱音の後ろを付いていく。今までの広い道とは打って変わって、かろうじて人が一人通れるくらいの道幅だ。両側に生えた背丈の高い植物が、行く手を阻んできて、非常に通りにくい。だが、前方にいる朱音は、その小柄な身体のおかげか、すいすいと先に進んでいく。
俺は朱音を見失わないように、両手で植物をかき分け、早足でそれについていく。暫く進むと、唐突に目の前がひらけた。
「ここは――」
目の前には、大小様々な大きさの、直方体の石――お墓が並んでいた。長らくここには訪れる人が居ないのだろう。あたりには草が生い茂っている。だが、そんな未整備の状態ゆえか、あたりには蛍の光がきらめいている。まるで、ここに眠っている人々の魂が漂っているかのようだ。
「墓場、か……?」
「……」
朱音は無言のまま、一つの墓石の方へと歩いて行く。ほとんど手入れのされていない墓石ばかりの中、その墓石の周囲だけは、雑草も綺麗に取り除かれており、墓石も比較的綺麗だった。いつの間にか出ていた月明かりがその墓石に反射し、そこに刻まれている文字がはっきりと俺の目に入った。
――九重家乃墓。
「ここ、父さんの家があった場所の近くって話、しただろ?」
「ああ……」
「ここが、アタシの一族のお墓なんだ」
そう言って、朱音は墓石の頂きを手で撫でた。
「今は、秋月のおっさんが手入れしてくれててさ。昼も行こうかどうか迷ってたんだけど、ヒロキを付き合わせるのもどうかと思ってな……まあ結局、こうしてヒロキも連れて来ちまったけど」
「そうだったのか……すまん。なんか、邪魔したな」
「ふ、気にすんなよ。アタシと秋月のおっさん以外、誰もここになんか来ないんだ。ここに入ってるアタシの先祖も、来てくれて嬉しいと思ってるさ」
そう言いながら、朱音は墓石をぽんぽんと手のひらで叩く。
「アタシの父さんは、ここには居ない。きっともう、この世のどこにも……分かってるんだ、本当は」
朱音は俯いて、背中を丸めた。
「だから、アタシがここに入れてやるんだ。魂だけでも、ここに居るってことにしてやるんだ。じゃないと、父さんが、あまりにも可愛そうだよ」
朱音は左手を服のポケットに入れ、何かを取り出した――英介さんのMRDだ。
「朱音、それ……」
「別に、魂がどうとか、そういうオカルトを信じてる訳じゃないんだけどさ」そう言って、朱音はその場にしゃがみ込んだ。「それでも、これは、ここに置いといてやりたいんだ」
朱音はMRDを持つ左手を、お供え物を置く場所に伸ばし、静かにMRDをそこへ置くと、両手を合わせて、黙祷を始めた。俺は何も言わずに、朱音がそうしたように両手を合わせ、目を閉じた。
たとえ、既に英介さんがこの世を去っていたとして――たとえ、この墓の中に眠っているわけではなかったとしても、世界で誰よりも愛した娘に、世界で誰よりも愛されている父親であることは、間違いない。それは、とても幸せなことだろうと、俺は思う。
俺は目を開くと、足下で小さくなっている朱音の背に声を掛けた。
「朱音……俺は最初、お前のことを、粗暴で自分勝手なやつだと思ってたよ」
「何だよ突然……喧嘩売ってんのか?」
朱音の言葉を無視して、俺は言葉を続けた。
「でも、それは違った。本当の朱音は、誰よりも身近な人たちのことを気に掛ける、優しくて、父親想いの女の子だ」
きっと、これまで朱音は、多くの人から否定されてきただろう。
エマをこの世界に繋ぎ止めるために、自らを飾り立て、暴力を使わざるを得ない状況下では、暴力を振るい、後に引けない状況では、誰よりも先に前に踏み出して、ぶつかっていき、その度に、自分勝手で、粗暴な人間だと言われてきたのかもしれない。
だがその全ては、大切な人たちを守るための行動だ。本当の朱音はきっと、繊細で優しい、不器用な女の子なのだろう。
「は!? おまっ……ちょっ、えぇっ?」
朱音はあからさまに動揺した態度を取った。それがなんだかおかしくて、俺は笑った。
「お、おい、何笑ってんだよ……」
「気にするな。今のは、ただの俺の独り言だ」
「え、えぇ~? いや、気にすんなって言われてもよ……」朱音はもじもじと身体を捻った。「そんなこと、初めて言われたよ。なんか、変な気持ちだな……」
「ああ、俺もだ」
「何だよそれ、はは……」
俺と朱音は、顔を見合わせて、静かに笑った。
「……あれ?」そのとき、俺はあることに気付いた。その場にしゃがみ込み、英介さんのMRDが置かれた台座を除き込んだ。
「どうした?」
「いや、英介さんのMRDが、動いているような……」
そう言った直後、MRDから光線が発せられた。




