8ー2 小さな狼煙
「秋月のおっさん、そんなの持ってたのかよ……すげーな」
「それ……本物、ですか?」
「当然だ」そう言って、秋月さんは自身の手に持っているモノ――ライフル銃を構えた。
「こんな山奥に居ると、することが無くてな……このあたりにはイノシシが出るんだよ。放っとくと、うちや周りの畑も荒らされるし、ちょうどいい機会だったから、猟銃の所持免許を取ったんだ。ま、これで人を撃てば、普通に重大な犯罪だがな」
秋月さんはライフル銃を足下に置くと、今度はその隣に置いてあった散弾銃を手にした。
「楠原氏、君も撃ってみるか?」
「えっ……」
「扱い自体は難しくない。私も人を撃ったことはないから、簡単に人を撃てるかどうかは別の話だが」
そう言って、秋月さんが散弾銃を持った手を俺の方へ差し出した。俺は恐る恐る、それを手に取った。それは、見た目よりもずっしりとした重さがあり、油断すると落としてしまいそうだ。漆黒で長い銃身が、太陽の光を鈍く反射している。
「実は、自分の銃を他人に触らせた時点で違法だ」
「えっ、えっ!」思わず手にした散弾銃を放り投げそうになってしまった。
「お、おい、うっかり落とすなよ」そう言う朱音の声も若干怯え気味だ。
「でも、違法って言うから……」
「コネクトセンターからデータ盗もうとしてたやつが、今更何言ってんだよ」
「それとこれとは……」
「ま、でも、これがあれば、勝てるかもしれねーな!」
「出来れば使いたくないというのが正直なところだな」秋月さんが神妙な顔つきで言った。「あの画像が、ただの脅しであればいいんだが……それで、どうだ? その銃は」
「うーん、確かに銃があるのは、心強いかもしれないんですけど……正直、本当に戦うってなった時にちゃんと扱えるかどうか……」
「もう、ヒロキはだらしねーなー」朱音が俺の背中をバシバシと叩いた。「やっても居ないのに弱気になるなよ」
「慌てて撃って、朱音に銃弾が当たったりしたら困るだろ?」
「う……それは、ありうるな……」朱音は背中を叩く手を慌てて引っ込めた。
「そうだな」秋月さんが右手をこちらへ伸ばした。「それは、私が本当に必要になった時にだけ、使うことにしよう」
俺は慎重に銃を秋月さんに手渡した。秋月さんは、散弾銃を左手で撫でながら言った。「実はな……昨夜、ちょっと考えていた戦略がある」
「おお、マジか!」
「ああ、恐らくこれが、一番現実的な戦略だと思う」
「聞かせてください、秋月さん」
「ああ、だが、その前に――」
「その前に?」
「朝飯にしよう」
*
符中のそれとは、比べものにならないほどの虫の声が鳴り響いている。
鬱蒼とした木々の間から、太陽の光が差し込んでいる。緩やかに風が流れ続け、夏ということを忘れさせるくらい、涼しい場所だ。
朝食を済ませてから、俺と朱音は秋月さんの家の裏手にある森の中を歩いていた。
「ここさ、父さんの家があった場所の近くでもあるんだけど、アタシが物心ついたときにはもう福岡に居たから、結構新鮮な場所なんだよな」
「へえ、じゃあ、朱音もここに来るのは初めてなのか?」
「いや、前にエマと来た時以来だ。三年前くらいかな……」
そう言って、朱音は懐かしそうな視線を頭上の木々へと向けた。エマと連絡が取れなくなってから、ついに三日が経つ。俺はエマの話題を避けるため、関係無いことを話すことにした。
「ここ、確かにいい場所だけど、ほんとにこんな所ぶらついてていいのかな……」
ここに来たのには特に理由は無かった。いわゆる散歩だ。ただ、秋月さんの方で準備したいことがあるらしく、俺と朱音は外へ追い出された。夕方頃まで戻ってくるなとのことだ。そんな訳で、朱音の提案で森の中を散歩しよう、ということになったのだった。
「仕方ねーだろ。他にすることも無いんだからさ」
「いや、俺はもっと訓練したって……」
「やめとけやめとけ、無駄に体力を消耗するだけで、モノになんかなんねーよ」
「くっ……正論すぎるけど、なんかすごく屈辱を感じる……」
「ははっ、ヒロキはしょーじきだな!」
朱音が笑いながら俺の背中を強く叩いた。
「秋月のおっさんの作戦、聞いただろ? あの通りやればいーんだよ」
「……まあ、そうだけどさ」
次の言葉を続けようとした時、朱音が「あ!」と言って、突然走り出した。
「ヒロキ、ヒロキ……!」
今度はこちらを振り向いて、小声で俺に向かって手招きをしている。俺は朱音と同じように、音を立てないように朱音に近寄った。
「どうした?」
「あそこ、あそこ」
朱音が指さす方を見ると、二匹のリスが木の枝の上に居るのが見えた。
「ああ、リスか」
「そうだ! リスだ! かわいーなーおい」
朱音は今までにみたこともないくらいのにやつき顔でリスの方を見ている。意外にも――と言ったら失礼だが――朱音はこういった小動物が好きなのか。朱音はその場でしゃがみ込むと、足下に落ちていた木の実らしきものを手に取った。
「これでおびき寄せようぜ」
「ええ……? リスって結構警戒心強そうじゃないか? 上手くいくかなあ」
「へへへ、ヒロキはそこで指をくわえてみてな」
朱音は何故かハードボイルドな台詞を俺に投げかけてから、手のひらに木の実を載せて、リスの居る木の幹の下からそっと手を挙げた。
「さあ、おいで。木の実だぞ~」
だが、リスの方は朱音にまったく気付いていない様子で、二匹とも明後日の方向を向いている。恐らく、朱音の身長が小さすぎるせいだろう。そもそも見えるところまで手が届いていないのだ。
朱音もそのことに気付いたのか、思い切り背伸びをして距離を出そうとしている。だが、徐々に足がぷるぷるしてきて、最後には「ぐふ」という声とともにしゃがみ込んでしまった。
「おい、ヒロキ」
「ん?」
「あたしを肩車しろ」
「は?」
「は? じゃねーよ。ほら、はやく!」
そう言うやいなや、朱音は俺の背中に回り込んで、俺の両肩をぐっと掴んで押さえ込もうとしてきた。
「うお、おい、朱音!」
「早くしろよ! リス、いなくなっちゃうだろ!」
朱音はどうしてもリスに木の実をあげたいらしい。
(子供かよ……)
観念してしゃがむと、両肩に朱音の足が乗せられる感覚があった。
「いくぞ、落ちるなよ」
「はは、アタシの運動神経を侮るなよ!」
俺は両手で朱音の足をしっかりと掴み、両足に力を入れた。
「よっ……と」
思ったよりもずっと簡単に俺は立ち上がることが出来た。朱音の身体は、こんなにも軽かったのか。
「よーしよし、いいぞいいぞ~」
一方、頭上の朱音は楽しげな様子だ。
「ほら、ほら、木の実だぞ~」
朱音はさらに身体を上に伸ばそうとしているのか、両足をぐいぐいと俺の両肩へと押し込んでくる。体勢を崩さないようにしながら、俺も頭上を見上げると、丁度リスが朱音の手に気付いた様子だった。
二匹のリスはお互いを見たり、朱音の木の実を見たりを何度か繰り返したあと、少しずつ朱音の方へと近づいていく。
「お、これはいけるか……?」
「シッ……! ヒロキ黙ってろ!」
俺の声よりも大きな朱音の声に反応して、リスは一瞬身を引いた。
「あぁっ……」
そのままリスは逃げていくか――そう思われた。だが、再び身を翻して、朱音の木の実を凝視し始めた。
「おぉ……」
(朱音、完全に無意識に声が出てるな……)
俺は音を立てないようにゆっくりと足を前に出し、朱音をリスに近づけていく。リスの方も、近づいては少し離れ、また近づいては少し離れを繰り返しながら、徐々に朱音の手に近づいていく。そして――朱音の手の平にリスが乗った。
「おお!」朱音は目を輝かせながら、歓喜の声を上げた。
リスは手の平の木の実を手に取ると、一目散に森の中へと消えていった。
「ヒロキ! 今の見たか!? おい!」
朱音がそう言いながら俺の頭をバシバシと叩き、身体をジタバタさせたので、思わず体勢を崩しそうになった。
「おわっ!? 見てた見てた! 見てたからあんま暴れるなよ」
「あはは! すげー! すげーかわいかった!」
朱音が笑いながら俺の頭上で身体をジタバタとさせた。
「わっ!?」頭上に気を取られている隙に、足に何かが引っかかる感覚。しまった――と思った時には、身体は完全にバランスを崩していた。
「おお!?」
俺は朱音を抱えたまま、膝から崩れるようにして地面に倒れた。
「うわっ……いつつ……」
目を開くと、朱音の顔がすぐ近くにあった。
「おい、だから暴れるなって言っただろ……」
「へへへ……」朱音はやたら楽しそうな顔のまま、ただ笑うだけだった。
「はあ、もういいから、そこどいてくれ」
「ふふふ……そいつはできねーな」
何を考えているのか、朱音はそう言って、一向に俺の上からどく気配はなかった。お腹のあたりに軽い圧迫感と、温かな感触があった。そのせいか、やたら胸の鼓動が強くなっているような気がした。
「全く……はあ」俺はその場で両手両足を広げ、地面に大の字になった。空に広がる木々の葉が、太陽の光をきらきらと反射しているのが見えた。今、自分が置かれている状況を忘れそうなほど、ここは静寂で満たされている。
「はーあ、なんつーか、こんな楽しいって思ったの、久しぶりだわー」
「それは良かったな」俺は投げやりに答えた。
「なんだよ、怒ってんのか?」
「別に」
「なんだよー、怒ってるじゃんかよー。そんなマジになるなよーほれほれー」
朱音がどんどんと俺のお腹の上で身体を揺らした。
「おえっ……! お前なあ」
「あははは」
あまりにも楽しそうに笑っているので、俺はつい朱音に逆襲をしてみたくなった。
「このっ!」
だから、思いきり身体を起こしてみた。
「うおお~!?」朱音はそのまま後ろにひっくり返り――「いて!」おもいっきり頭を地面にぶつけた。
(あっ、やべ……)
これは、朱音がぶち切れるパターンか?
「だ、大丈夫か……?」
俺は恐る恐る、朱音の顔をのぞき込んだ。朱音は一瞬、呆けたような顔をしてから――
「ぷ……あはははは!」弾けるような笑顔になった。
俺と朱音は立ち上がって、お互いに自分の服についた土を払った。
「今ので、人生二回目の肩車だ」
「俺だって、誰かを肩車したのなんて、今のが二回目だ」
「へー、よかったじゃん」
「何がだよ……」
「さあなー」
「なんだそりゃ……」
(なんか、昨日までの朱音とは随分変わったな……)
何か、朱音の中で吹っ切れるものがあったのだろうか。
「さーて、次はこっちだ」そう言って、朱音はまた歩き出した。
「え? まだ戻らないのか?」
「いいからいいから、付いて来いって」




