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84,ファミレスと目元を赤くする生野と嫌な予感

「大丈夫だよ。家までタクシーで帰るつもりだし」


 母に言われて、遅い時間には、いつもタクシーで帰ることにしているのだ。

 

 生野がうつむく。

 

「まぁ、俺に家までついて来られても困るよな」


「そんなこと言ってないだろ。生野だって襲われるかもよ」


「馬鹿。襲われねぇよ」


 そう言う口調に元気がない。

 

 今ここで別れたら、もう二度と会えないかもしれない。遠くに引っ越すのならば、なおさらだ。

 

 それで生野は、別れの時間を引き延ばしたいのかもしれない。有希だって、名残り惜しいのは同じだ。


 これから先の住まいもまだ決まらず、きっと寄る辺ない思いをしているに違いない生野に、有希は言った。

 

「時間が大丈夫なら、駅前のファミレスに行く?」


 生野が顔を上げた。

 

「俺は大丈夫だけど、お前はいいのか?」


「うん。母親は仕事で、明け方まで帰って来ないから」




 終夜営業のファミリーレストランは、八割ほどの席がうまっている。メニュー表を見ながら、生野が言った。

 

「パスタでも食べるかな。ちょっと腹が減って来たし」


 有希は驚く。

 

「えっ、もう? さっき食べたのに」


 だが、生野は当たり前のような顔をして言う。

 

「さっきって言ったって、もう何時間も経っているじゃないか。お前は腹減ってないの?」


「うん。まだ」


「だから、そんなに痩せてるんだな」


「痩せてないよ」


「痩せてるよ」



 結局、生野は、カルボナーラとジンジャーエールを、有希は、フルーツ杏仁を注文した。大きな皿に盛られたカルボナーラが運ばれて来ると、さっそく生野は豪快に食べ始める。

 

 杏仁豆腐の上に飾られたイチゴを口に入れて咀嚼しながら、その様子を眺めていると、生野が、突然手を止めて、フォークを皿の上に置いた。口の中のものを飲み下し、ジンジャーエールを飲んだ後、その手を下ろしてしまう。

 

「どうかした?」


「いや」


 首をかしげながら、ぼんやりと見ていると、生野が、うつむいたまま言った。

 

「これを食べ終わったら、帰らなくちゃいけないだろ」


「あ……」


「俺、やっぱり……」


 そう言いながら、眼鏡を外し、目元に片手を当てた生野は、それきり黙ってしまった。どうしていいかわからず、そのまま見守っていると、生野の口から小さなうめき声が漏れた。

 

 もしかして、泣いている?

 

「生野?」


 何も答えないまま、生野は、両手で顔を覆った。有希も、スプーンから手を離す。

 

 

 ずいぶん長い時間が経ったような気がするが、もしかすると、ほんの数分のことかもしれない。生野は、テーブルの隅に置かれた紙ナプキンを数枚取って顔を拭き、眼鏡をかけてから、ようやく顔を上げた。

 

「ごめん」


「うぅん」


 眼鏡越しにも、目元を赤くしているのがわかる生野に、有希は言った。

 

「急いで帰らなくてもいいから、冷めないうちに食べたら?」


 食べかけのカルボナーラは、もうすでに冷めてしまっているかもしれないが。生野は、上目遣いに有希を見た。

 

「お前もそれ、食べろよ」




 時間が過ぎ、いつしか客は、二人のほかに二組ほどになった。それぞれが注文したものは食べ終えてしまったので、コーヒーを頼んだ。

 

 会話は途切れがちだが、どうにも別れがたく、席を立つことが出来ない。ほとんど口をつけないままのコーヒーも冷めてしまった頃、生野がぽつりと言った。

 

「もう終電行っちゃったかな」


「そうだね。このままここで、始発を待つ?」


「お前は帰らなくていいの?」


「うん」


 生野が、有希の顔をちらりと見る。

 

「じゃあさ、少しいいか?」


 有希は警戒する。

 

「……何?」


 また、話がおかしな方向に行くのは困る。生野が言った。

 

「お前の話が聞きたいんだ」


「また?」


 やはり、嫌な予感がする。だが、生野は引き下がらない。

 

「いいだろ? これで最後なんだし」


 それを言われると弱いのだが。

 

 そして、生野は言った。

 

「初恋の話とか」


 あぁ、やっぱりそういう話かと思う。有希は聞いた。

 

「生野って、M?」

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