83,止まらない涙と意趣返しと素早く電車を降りた生野
生野が立って行って、近くの自販機で飲み物を買って戻って来た。そして、有希に差し出す。
「これ、飲めよ。ごめん、悪かった。今のはひどかったよな」
有希は、ペットボトルを受け取りながら、力なく首を横に振る。頭の中がぐちゃぐちゃで、どうすればいいのかわからない。
生野は、元の位置に腰を下ろして言った。
「お前とのことは、きれいな思い出にするつもりだったのに、自分で台無しにしちまった。俺は本当に馬鹿だな」
自分もまた、生野を傷つけたのだと思い、苦しくて涙が止まらない。
泣き続けている有希を見て、生野が心配そうに言った。
「おい、大丈夫か?」
「わかんない……」
生野が、有希の手からペットボトルを取って、キャップを開けて再び差し出す。
「これ飲んで、少し落ち着いてくれ。本当にごめん」
言われるまま、一口だけ飲む。冷たいスポーツドリンクが、喉の奥へと落ちて行く。
いつまでも泣いていてはいけない。そう思うのに、一向に涙は止まらない。
やっとなんとか落ち着いた頃には、ずいぶん遅い時間になっていた。
生野が、家まで送ると言ったのだが、さすがにそれは断った。とは言え、途中までは同じ電車で帰ることになる。
駅までの道を歩きながら、有希は生野に聞いた。
「僕の顔、ひどい?」
子供ではあるまいし、泣き腫らした目で電車に乗るのは気が引ける。生野がにやりとする。
「いや。すげーかわいいぜ」
「だから……」
憮然とする有希に、すでにいつもの調子を取り戻したらしい生野は、ははっと笑いながら言った。
「泣いたの丸わかり。その顔で電車に乗るのが恥ずかしいなら、このままホテルにでも行くか?」
「行くかよ」
恥ずかしくても、このまま電車に乗って帰るしかない。すると、生野が言った。
「嘘だよ。ちょっと目は赤いけど、もうそんなに目立たない。それにこの時間は、みんな疲れていて、いちいち人の顔なんか気にしないさ」
そろそろ駅だというところで、生野が口を開いた。
「さっきは本当にごめん」
「もういいよ。僕も、馬鹿みたいに泣いて、ごめん」
生野が、不意に立ち止まった。そして、振り返った有希に言う。
「なぁ。また連絡してもいいか?」
「いいよ」
「あっ、いや。でも、通知があって、伸くんだと思ってスマホを見て俺だったら、がっかりするよな」
有希は、思わず噴き出した。生野が、傷ついたような顔で有希を見る。
「生野って、いつもそんなふうなの?」
「何が」
「そうやって、一人でああでもないこうでもないって」
「おかしいか?」
「大胆で図太いのかと思ったら、意外と細かいことを気にするんだね」
「うるせぇ」
やっと意趣返しが出来た気がして、有希は、少し愉快になった。
週末だというのに、電車は思いのほか空いていた。居眠りするサラリーマン風の男性や、スマートフォンの画面に見入る若い女性がちらほらといる程度だ。
二人は座席に並んで座り、振動に身をまかせる。やがて電車は、有希が降りる駅のホームに滑り込んだ。
「じゃあ」
有希が立ち上がると、生野も出口までついて来る。ドアが開き、降りた有希は、電車の中の生野に向き直った。
生野は、じっと有希の顔を見つめている。
「もう学校には来ないの?」
「あぁ」
「えぇと、引っ越しが決まったら、教えて」
「あぁ」
発車のアナウンスがあり、ドアが閉まり始める。そのとき、生野が素早く電車から降り、彼の背後でドアが閉まった。
驚いているうちに、電車は走り始める。
「いいの?」
生野が、改札の方向を見ながら言った。
「やっぱり、家まで送るよ」
「そんな、いいよ」
「でも、もう遅いし、危ないから」
「大丈夫だよ」
「でも、襲われたりしたら……」
有希は、ちょっと呆れる。
「襲われたりしないよ。女の子じゃないし」
生野が、有希の顔を見る。
「いや。そうとは限らない。お前、かわいいし、それに、非力だから」
確かにさっきは、強い力で生野に押さえつけられて、逃れることが出来なかったが。




