82,逃れられない運命と諦められない生野と有希のショック
「僕は、付き合えないなら、その理由を教えてほしいって言った。そうしたら、伸くんには、ずっと思い続けている人がいて……」
「え……。でも、結局は付き合うことになったわけだろ?」
有希はうなずく。
「その人は、もうずっと昔に亡くなっているんだ。それでも伸くんは、その人のことが忘れられなくて、長い間、辛い思いを抱えて生きて来たんだよ」
生野は、絶句したまま有希の顔を凝視している。
「その人には到底勝てないと思った。ずいぶん悩んだよ。だけど、それでも伸くんのことが好きでたまらなくて、諦められなくて……。
伸くんは、その人のことは、多分一生忘れられないけど、それでもいいならって言ってくれて、僕は、それを受け入れたんだ」
こんな話を生野にするのは残酷な気がしたが、今までずっと誰にも話せなかったことを初めて口に出すと、止まらなくなった。
「だからって、伸くんが僕を愛してくれていないっていうわけじゃないよ。伸くんは、とても優しいし、僕を大切にしてくれるし、ずっと一緒にいようって言ってくれている」
生野が、わしゃわしゃと髪をかき回して言った。
「なんか納得行かないな」
「え?」
「お前、その人の身代わりにされてるだけなんじゃねぇの?」
「そんな、ことは……」
痛いところを突かれた。それは、有希が、ずっと気にしていることだ。
生野が言った。
「それでお前は、辛くないのか?」
「……辛いよ」
だがこれは、逃れようのない運命なのだ。「彼」なくして、伸と出会うことは出来なかったのだから。
「チクショウ!」
生野が、拳でベンチを叩いた。その顔が、苦しげに歪む。
「そんな話を聞いたら、お前のこと、諦められなくなるだろ」
「だから、こんな話聞きたい? って言ったじゃないか」
有希は、こぼれた涙を乱暴にぬぐった。
二人とも言葉が出ないまま、時間だけが過ぎて行く。やがて、乱れたままだった髪をかき上げて、生野が言った。
「決めた」
そして、眼鏡を取って、有希の顔を正面から見つめる。
眼鏡を外した生野を初めて見た。斜め上から街灯に照らされた顔は、頬に落ちた長いまつ毛の影が、まるで涙のようだ。
見つめ返す有希に、彼は言った。
「お前のこと、やっぱり諦めない。いや、諦められない」
「そんな……困るよ」
「お前が幸せなら、それでよかったんだよ。今日のことをいい思い出として、気持ちを切り替えるつもりだった。
だけど、お前が辛い思いをしているのに、放っておけない」
有希は、溢れた涙をぬぐう。
「放っておいてくれよ。何を言われても、生野の気持ちには答えられないよ。
僕は、伸くんのことしか……」
そのとき突然、両肩を掴まれた。生野の顔が近づいて来て、よける間もなく唇が塞がれる。
生野の体を押し戻そうとするが、強い力に抗えない。無理やり唇をこじ開けて、舌が入って来る。
駄目だよ……。有希の目から、涙がぽろぽろとこぼれる。
生野の舌が妖しく動く。無意識のうちに、それに答えそうになっている自分に気づき、有希は、はっとして、思い切り生野を突き飛ばした。
息を弾ませながら、生野が、呆然と有希を見る。すぐにでも、この場を立ち去りたかったが、涙がぼたぼたとこぼれ、嗚咽が漏れて立ち上がれない。
「ごめん……」
生野の言葉に、有希は、激しく首を横に振る。
有希はショックを受けていた。
自分が愛するのは、生涯、伸一人だけ。体を許すのも、伸だけ。確かに、自分でも、少し呆れるくらい淫乱だとは思うが、それは、相手が伸だからであって、セックス出来れば誰でもいいというわけではない。
自分のすべては伸だけのもので、ほんの少しでも、ほかの誰かに心がなびくことはないし、まして、欲情することなど絶対にあり得ない。
今まで、ずっとそう信じて疑わなかったのに、今、生野のキスで、体の奥が、切なく疼いているのだ。伸にしか触れられたことのない部分が。




