69,伸からの電話に何度も泣いたこととうれしかったことと駅の階段で思わず足を止めたこと
毎日忙しくしていても、家事を完璧にこなし、強くて優しく、美しく、有希のことを愛し、理解してくれる母のことが大好きだ。有希にとって彼女は、母親であるのと同時に、一番の親友のような存在でもある。
だが、あまり一緒にいられないことが寂しい。特に、こんな夜は。
つまらないバラエティー番組を見ながら、ミートボールの入ったグラタンとサラダを食べていると、スマートフォンに着信があった。表示を見ると、伸からだ。
伸のほうから電話をかけて来るなんてめずらしい。有希は、口の中のものを急いで炭酸水で流し込み、電話に出た。
「伸くん!」
「ユウ。今、家?」
「うん」
「何かあった?」
「……え?」
伸が言った。
「昨日の夜に別れたきり、連絡がないから、どうかしたのかと思って」
その言葉を聞いた途端、また涙が滲む。
いつもならば有希は、家に着いたら、すぐに電話をしたりメッセージを送ったりするし、朝や昼間にも、何度もメッセージを送る。だが、昨夜からずっと気持ちが落ち込んでいて、連絡出来ずにいたのだ。
「ユウ、大丈夫?」
「伸くん……」
そう言うなり、涙がこぼれた。
「ユウ、泣いてるの?」
伸の言葉に、いよいよ涙が止まらなくなる。どうやら自分は、泣きそうな顔だとか、泣いているのかとか言われると、余計に泣いてしまう質らしい。
「伸くん……」
「俺が冷たい言い方をしたせいかな」
「そんなこと……」
しゃくり上げていると、伸が言った。
「無神経だったね。ごめん」
そんなふうに言われると、ますます涙が止まらなくなってしまう。
小さな子供ではあるまいしと思いながら、泣き止むことが出来ず、言葉が出ない。スマートフォンを握りしめたまま泣いていると、伸が言った。
「ユウ、もう泣かないで。どうしたら許してくれる?」
『許してくれる?』だなんて。別に伸が悪いわけじゃない。自分が勝手にいじけているだけだ。
「そんなんじゃ、ない」
しばらくの間、有希は泣き続け、伸は、有希が泣き止むまで、そのまま辛抱強く待っていてくれた。
朝の満員電車に揺られながら、有希は昨夜の電話のことを思い返す。
あの後、ようやく涙が収まった有希は言った。
「伸くん……」
「うん?」
「伸くんのせいじゃないよ。我がまま言って、ごめん」
すると、伸が言ったのだった。
「我がままだなんて思っていないよ。本当は俺だって、ずっとユウと一緒にいたい。ただ、約束を破って、ユウと会えなくなることが怖いんだ。
それに、ユウのお母さんを失望させたくない。高校生の息子が、父親ほども年の離れた男と付き合うことを許してくれる人なんて、滅多にいないだろう。
お母さんの恩に報いるためにも、ユウのことを大切にしたいんだ。ユウのことを、愛しているから」
「伸くん……」
伸の言葉に、せっかく止まった涙が、また溢れ出した。
その後、伸は、そのうち有給休暇を取って、どこかに出かけようと言ってくれた。出かけなくても、部屋でいちゃいちゃするだけで、有希は十分幸せなのだが、たまには、外でデートするのもいいし、伸が、そんなふうに言ってくれただけで、とてもうれしい。
日曜の夜には、また泊まりに行く約束をして、二言三言、愛の言葉を交わしてから、ようやく電話を切る頃には、すっかり気持ちが晴れていた。
学校の最寄り駅に着き、改札のある隣のホームに向かうため、跨線橋の階段を上る。ちょうど一番上までたどり着いたところで、隣のホームに電車が入って来た。
人の波に混じって階段を下りて行くと、電車を降りて改札に向かう生野の姿が目に入った。思わず足を止めると、後ろから舌打ちが聞こえたので、仕方なく、再び歩き出す。
生野に見つかりたくなかったので、改札の脇に寄って、生野の姿が見えなくなるのを待ってから外に出た。
学校に向かって歩きながら、有希は考える。
もう屋上は使えなくなってしまった。どこか一人でのんびり出来る場所を、別に探さないと……。




