159,伸が苦笑したことと不満そうな有希と「頭がいい」と言われたこと
「ねぇ。伸くんからも言ってよ」
それは、ある日の朝食後のことだ。後片付けをしていると、デジカメを手にした有希が、テーブルの向こうから助けを求めた。
有希は麗衣に、絵を描くための写真を撮らせてほしいと再三言っているのだが、麗衣はなかなかうんと言わない。
麗衣は実年齢よりもずっと若く見え、とても美しいのに、なぜか写真嫌いらしい。
「ママはいいわよ。安藤さんを描いたらいいじゃないの」
麗衣の言葉に、有希は口を尖らせる。
「言われなくても伸くんは描くよ。だけど、ママのことも描きたいんだもん」
「何か昔の写真があるでしょう。オーストラリアに行ったときのとか」
「そんな昔のじゃなくて、今のママがいいの」
「あら。あのときのほうが若くていいんじゃない?」
麗衣もなかなか手強い。
そこで、伸も加勢する。
「麗衣さんは、今もとても若くてお美しいと思いますが」
「そんな、おだてていただかなくて結構よ。お化粧だってしていないし」
伸は本心から言っているのだが。それに、彼女は素顔でも十分に美しい。
有希が言った。
「じゃあ、お化粧してよ。それならいいでしょう? 撮らせてくれるまで、僕は絶対にあきらめないからね」
伸は苦笑する。母子そろって強情だ。
すったもんだの挙句、麗衣がメイクをした後、庭に出て写真を撮るということに決まった。
夏に花火をして以来、有希は庭にも出ないまま過ごしている。その有希を連れ出すことに成功したのだから、あるいは、すべて麗衣の計画通りなのかもしれないなどと思うのは、深読みのし過ぎだろうか。
伸は遠慮して、掃除をしながら、家の中からサッシ越しに見ていたのだが、あれこれ言い合いながら、庭のあちこちで写真を撮る二人は微笑ましかった。
「見てよこれ」
有希が、デジカメの画面をこちらに向ける。庭木に手を添えて佇む姿や、カメラを見て微笑む麗衣は、まるでモデルのようだ。
「麗衣さん、やっぱりきれいだね」
だが、有希は不満そうに言う。
「でもさ、僕が撮りたかったのはこういうのじゃないんだ。もっとこう、自然な感じの普段のママが撮りたかったんだよ」
「なるほど」
有希の言いたいことは、よくわかる。伸を撮った写真も、有希が描いた伸の絵もそういう感じだった。
「でも、麗衣さんはこういうふうに描いてほしいんじゃないの?」
「なんかポーズが古臭いんだよね」
有希の言葉に、伸は笑った。
「写真のそのままを描かなくても、ユウなりのアレンジを加えて描いてもいいんじゃない?」
「そうか。そうだね。さすが伸くん。頭がいいなぁ」
「はは。ありがとう」
その後、数日をかけて有希が描いた絵は美しい水彩画で、絵の中の麗衣は、聖母のようでも少女のようでもあり、伸は、これが有希の目に映っている麗衣なのだと思った。
「まぁ……」
朝食の前に有希が絵を見せると、麗衣は感嘆の声を上げた。しばし見入った後、顔を上げると、頬が上気し、その目はかすかに潤んでいる。
「これが私?」
有希が得意げに言う。
「そうだよ。僕は結構うまく描けたと思っているけど」
「うれしいわ。ちょっと恥ずかしいけど……」
「恥ずかしがることないじゃない。親子なんだから」
麗衣が微笑む。
「そうね。ママもとっても素敵な絵だと思うわ」
有希もうれしそうに笑う。
「よかったら、ママにプレゼントするけど」
麗衣が言った。
「あぁ……ありがとう。とってもうれしい。額装して部屋に飾ろうかしら」
「いいですね」
伸がそう言うと、有希が声を上げた。
「そうか。それはいいね。僕もそうしたい。ねぇ、伸くんにプレゼントした絵も部屋に飾ろうよ」
かくして伸は、自分の絵に囲まれながら生活することになった。有希が最初に描いた細密画のほかにも、水彩画とクレパスで描いたものがあり、二枚は壁に、もう一枚はインテリアとして買ったイーゼルに立てかけられている。




