156,絵を描いて過ごすことと「抱っこ」と嗚咽を漏らしながら言ったこと
「なんだか楽しそうね。何しているの?」
有希が答える。
「クッキーを作っているんだよ。ほら見て。本当は顔を描きたいんだけど」
楽しげな有希を見て、麗衣は微笑む。
「そう言えばあなた、小さい頃はよく絵を描いていたわねぇ」
伸は有希の顔を見る。
「そうなの? 初耳だな」
「そうだよ。小学校のときに、賞をもらったこともあるよ」
そこでまた、伸は思いつく。
「だったら、また描いてみたら? 手描きでもいいし、ペイントソフトで描いてもいいし」
「あは。そうだね」
笑う有希を見て、麗衣が言った。
「だったら、ママが画材をプレゼントするわ」
麗衣もうれしそうだ。
それから有希は、長い時間を絵を描いて過ごすようになった。
「写真は簡単にいろんな加工が出来るけど、最近は、それじゃちょっと物足りない気がしていたんだ」
相変わらず料理の写真を撮ったり、写真の加工もしているが、そう言って、もっぱらスケッチブックに向かっている。
夢中で描いているときは、嫌なことも忘れていられるようで、心なしか精神的に安定しているようなのも、伸にはうれしい。
だが有希は、何を描いているのかと聞いても教えてくれないし、見せてもくれない。
「駄目!」
伸がのぞこうとすると、そう言って隠してしまうのだ。ときどきデジカメの中の画像を見て、参考にしながら描いているようなのだが。
「ちょっとくらい見せてくれてもいいのに。せめて、何を描いているか教えてくれないかなぁ」
わざと、すねたように言うと、有希が真面目な顔で言った。
「出来上がったら見せるから、それまでいい子にして待っていて」
もちろん、有希がそう言うのだから、無理に見ようとは思わない。有希が机に向かって描いている間、伸は、少し離れた場所で、スマートフォンを見たり読書をして過ごしている。
夕食のために料理をしながら、ふとテーブルの前の有希を見ると、疲れた顔をしてぼんやりしている。
「ユウ?」
目だけこちらに向けた有希に話しかける。
「大丈夫? 最近、根を詰めすぎなんじゃない?」
今日は昼寝をすることもなく、午後中スケッチブックに向かっていたのだ。
「そうかな」
「そうだよ。明日は、少しのんびりしよう」
「うん」
有希は素直にうなずいた。
約束通り、次の日はスケッチブックを開くことなく、有希はずっと、伸のそばにいる。伸も、家事は最低限のことだけにして、有希に付き合うことにした。
「伸くん」
床にあぐらをかいて文庫本を読んでいると、有希が近づいて来た。伸は、本を脇に置く。
「うん?」
「抱っこして」
そう言いながら、向かい合って膝にまたがって来る。
「赤ちゃんみたいだね」
笑いながら腰に腕を回すと、有希は、伸の肩に両手を置いて言った。
「赤ちゃんじゃないよ」
そして、顔が近づいて来て、唇が重なる。されるままになっていると、やがて、唇をこじ開けて舌が入って来た。
こんなことは何ヶ月ぶりだろう。感動に胸を熱くしながら、伸もそれに応じる。
夢中になって有希の唇や舌を味わっていると、突然、彼が体を離した。あえぎながら呆然と見ると、やはり息を弾ませている有希の頬が赤い。
「伸くん……」
見る間に、目に涙の粒が膨れ上がって来る。
「ユウ?」
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。伸は、あわてて有希の両腕を掴む。
「大丈夫? 無理しなくていいんだよ」
だが有希は、ゆるゆると首を横に振る。
「違う……」
じっと顔を見つめていると、有希がつぶやいた。
「体が……」
「……え?」
「伸くんのキスが素敵で、体が、疼いて……」
「えっ。本当に?」
思わずそう聞くと、有希は、うっうっと嗚咽を漏らしながら言った。
「嘘なんか、つかない。……伸くん!」
有希が覆いかぶさるようにしがみついて来る。
「伸くん!」
伸の体も反応している。今すぐにでも有希が欲しい。だが。
「ちょっと待って、ユウ」
有希の体を、無理に引き剥がす。有希が、涙に濡れた顔で、不満そうな声を上げた。
「……何?」




