135,母からの電話と落ち着いた口調で話す有希と親切のつもりで言ったこと
有希がそうしてほしがっているのだし、彼に必要とされるならば本望だ。もちろん、そんなことになってほしくはないが、たとえこの生活が一生続くとしても、有希のためならばかまわない。
伸は、休職する代わりに、この家の家事全般を引き受けた。最初、麗衣は拒んだが、有希のそばにいるためではあっても、一日中何もしないのは手持無沙汰だと言うと、渋々承知してくれたのだった。
有希はいつも、掃除をしたり洗濯をしたりする伸の目の届くところにいて、体調のいいときは手伝ってくれるのだが、料理をするときだけは、あまりそばに来ない。
あるいは、包丁が怖いのかもしれない。以前、彼は、いつか料理を覚えたいと言っていたのだったが。
朝食の後、麗衣は自室に上がった。伸は後片付けを終え、ソファの上で、クッションに寄りかかって体を丸めている有希のそばに行く。
昨夜もうなされ、起こした後、しばらく泣いていた有希は、むくんで疲れた顔をしている。
「ユウ」
声をかけると、彼は目だけをこちらに向けた。
「少し部屋で休む?」
「……うん」
ベッドで横になっている有希の隣でスマートフォンを見ていると、着信があり、名前を見て、伸は、はっとした。有希がこちらを見る。
「母からだ」
母の潤子とは、しばらく連絡を取っていない。有希が襲われて怪我を負ったことは伝えてあるが、見舞いに来るという潤子に、もう少し落ち着いてからと言って断って、それきりになっている。
なんと言えばいいのかと躊躇していると、有希が言った。
「出ていいよ」
「うん……」
電話に出るなり、潤子が言った。
「伸、今どこにいるの?」
「えぇと……」
「何度電話をかけても出ないし、マンションにもいないし」
「えっ、行ったの?」
「そうよ。今、マンションの駐車場よ。あなたいったい、どこで何をしているの?」
「えぇと……」
口ごもっていると、有希が起き上がって言った。
「伸くん、代わって」
「え?」
「僕から話す」
「でも……」
「大丈夫だから」
そう言って、手を差し出す。
「わかったよ」
伸は、有希にスマートフォンを渡した。
「もしもし、潤子さん? 有希です。お久しぶりです」
有希は、落ち着いた口調で話し始めた。
「僕が怪我をしたことは聞いていますよね」
伸の心配をよそに、有希は、自分が怪我をしてから今までの経緯を、かなり簡潔ではあるが、理路整然と冷静に説明した。
「……はい。ご迷惑をおかけしてすいません。……はい。伸くんがそばにいてくれれば。……そんな……」
ちらりと伸を見てから、再び話し出す。
「ありがとうございます。母に話します。……はい。伸くんに代わります」
そして、伸にスマートフォンを差し出した。
「もしもし?」
「あぁ、伸。そんなことになっていたなんて、ちっとも知らなかったわ」
「黙っていてごめん」
「それはいいけど、有希くんにも言ったけど、近いうちに、お見舞いに伺うわ」
伸はあわてる。
「そんな、ご迷惑だよ」
麗衣も暮らしている実家に来るなんて。
「でも、有希くんはいいって言ったわよ」
「そりゃあ、来るなとは言えないだろ」
思わず顔を見ると、有希が微笑んで言った。
「いいよ。ママもいいって言うと思うけど」
「そうかな……」
それから、潤子に向かって言う。
「来るときは、いきなり来ないで事前に言ってよ。麗衣さんの都合もあると思うから」
そういえば、伸のマンションで二人で過ごしていたときに、突然、潤子が訪ねて来たことが、カミングアウトするきっかけになったのだった。
「わかってるわよ。あなたのことでは、以前から麗衣さんにお世話になっているし、こういうことがなくても、一度ご挨拶したいと思っていたのよ」
「あぁ、それから、来るときは、きちんとした格好で来てよ」
これは親切のつもりで言った。ラフな服装でやって来て、この家のたたずまいを見たら、きっと後悔するに違いないから。




