130,好きで好きでたまらないことと豹変した有希の態度と震える肩を抱きしめること
有希が、伸の目を見ながら言う。
「じゃあ、伸くんも?」
「何が?」
「伸くんも、潤子さんのこと、僕と比べられないくらい大好き?」
潤子というのは、伸の母親の名前だ。
「それはどうかな。俺はもういい大人だし、ユウと違って親離れしているから」
「そんな、人を子供扱いして……」
伸は、にやにやしながら言った。
「だって子供だろ?」
有希が唇を尖らせる。
「子供は伸くんとセックスなんかしないもん」
有希の言葉に、伸はぎょっとする。
「おい。麗衣さんに聞こえたら……」
「ママは盗み聞きなんてしないよ」
「そんなこと言ってないだろ」
伸は、気を取り直して言った。
「つまり、俺が一番好きなのはユウってことだよ」
有希のことを誰よりも深く愛している。好きで好きでたまらない。
それこそ、麗衣が同じ屋根の下にいなかったならば、今すぐにでも愛し合いたいくらいに。
有希が、まるで伸の心を見透かしたかのような、愛らしく色っぽい笑みを浮かべた。そんな表情が出来るくらい元気になったことがうれしい。
そのときは、そう思ったのだが、事態はそれほど単純ではなかった。
「嫌だ……嫌!」
ソファで隣に座った有希は、伸の腕を両手でつかんだまま、ぼろぼろと涙をこぼす。午後、麗衣と三人でお茶を飲んだ後、伸が、いったんマンションに戻ってから出勤すると言った途端、さっきまで笑顔を見せていた有希の態度が豹変したのだ。
「伸くん、行かないで。ずっと僕のそばにいて」
「ユウ……」
「有希、それは駄目よ」
口ではそう言いながら、麗衣も心配そうだ。
「あ……じゃあ、マンションには戻らないで、もう少しここにいて、直接店に行くことにするよ」
伸としては、精いっぱいの妥協案を示したつもりだが、有希は激しく首を横に振る。
「嫌! 行っちゃ駄目。僕のそばにいて!」
有希は、小さな子供のように顔を歪めて泣いている。伸は困惑して、麗衣を見た。
「しょうがないわね。鈴木さんに電話して、もしも調整がつくようなら、今日だけ安藤さんに休んでもらう、っていうことでいいかしら」
そう言いながら、麗衣が伸の顔を見た。
「はい。それでかまわないですけど」
仕事は大事だが、今は有希のことを一番に考えたい。
麗衣は、電話をかけるために自室に行った。伸は、しゃくり上げている有希の肩を、そっと抱きしめる。
「泣かないで。大丈夫だよ。ずっとユウのそばにいるから」
かわいそうに、大変な目に遭ったばかりで、有希はショックを受けて動揺しているのだ。
どんなに恐ろしかったことだろう。有希には、なんの落ち度もないのに、ひどいことをされて……。
「伸くん……」
有希は、伸の胸に顔をうずめた。
麗衣が戻って来たが、有希は伸から離れようとしない。伸は、気まずさを感じながら、そばに立った麗衣を見上げる。
麗衣は、有希の後頭部の辺りに視線を向けながら言った。
「アルバイトの子に来てもらうから、今日のところは大丈夫ですって」
「そうですか。よかった……」
麗衣は立ったまま、有希に向かって語りかける。
「有希。ママは、安藤さんの腕を見込んで、あのお店で働いてもらっているのよ。誰でもいいっていうわけじゃないの。
安藤さんだって、真剣に仕事をしているのよ。お店の人たちにも迷惑がかかるし、こういうことは、今日だけよ」
有希が、伸の胸から体を起こす。
「僕だって……」
有希は涙に濡れた顔で、麗衣を見ながら言った。
「僕だって、伸くんじゃなきゃ駄目なんだ。一分でも伸くんと離れると、まともに息が出来ない。
伸くんがいないと、怖くてたまらない。伸くんがいないと、僕は生きていられないんだよ!」
そしてまた、顔を歪めて泣き始める。伸は、震える肩を思わず抱きしめた。
「ユウ。大丈夫だよ。ずっとそばにいるから」
有希は伸にしがみついて、すすり泣いている。麗衣が、伸を見て言った。
「ごめんなさいね」
「いえ。俺は平気です」




