127,話がしたい伸と飛んで来た枕と泣き崩れた有希
しばらくの間は、そんなことをあれこれと考えていたのだが、ふと気づくと、麗衣が部屋を出て行ってから、ずいぶん時間が経っている。
不審に思い始めた頃、麗衣が戻って来た。反射的に立ち上がるが、有希の姿はない。
「ごめんなさいね」
麗衣が申し訳なさそうな顔をする。
「いえ。ユウは……?」
もしや具合が悪いのだろうか。
「それが……」
麗衣は言いよどむ。
「お座りになって」
「はぁ」
そんな場合ではないと思いながら、伸は仕方なく腰を下ろす。
「具合が悪いんですか?」
「それもあるけれど」
向かい側に腰を下ろして、麗衣が口を開く。
「あの子は、こんな顔ではあなたに会えないと言って」
「え……。それは、傷のことですか?」
麗衣が、辛そうに目を伏せる。
「ええ」
そんな……。伸は、思わずテーブルに両手をついて言った。
「ユウの部屋に行かせてもらえませんか? 話がしたいんです」
麗衣が、戸惑いの表情で顔を上げた。
「ええ……」
麗衣の後について広い階段を上り、有希の部屋の前に着いた。
「ここで待っていて」
そう言って、麗衣は中に入って行った。伸はドアの前で、麗衣が有希を説得するのを待っていたのだが、なかなか声がかからない。
今日のところはこのまま帰ったほうがいいだろうか。そう思い始めたとき、中から言い争うような声が聞こえた。
考えるより先に、手がドアノブをつかんでいた。
だが、部屋に一歩踏み込んだ途端、叫び声とともに枕が飛んで来た。
「来ないで!」
淡いブルーのピローケースに包まれた枕は、伸に届くことなく床に落ちた。
「ユウ……」
ベッドで上体を起こした有希は、うつむいて 両手で顔を覆っている。麗衣が、戸惑うように伸を見ているが、かまわずそばまで行く。
ベッドサイドにかがみ込み、伸は、そっと有希の背中に手を当てた。
「勝手に入って来てごめんよ。でも、どうしてもユウと話がしたくて」
有希は、顔を覆ったまま嗚咽を漏らす。
「もう、駄目……」
「ユウ。何が駄目なの?」
「だって……」
伸は、有希の背中をさすりながら、言葉の続きを辛抱強く待つ。
やがて、嗚咽の隙間に有希が言った。
「こんな顔じゃ、もう、伸くんとは……」
「俺とは、何?」
有希は言いつのる。
「お医者さんは、傷跡が残るって。……こんな顔、伸くんに見せられない。伸くんとは、もう……付き合えない!」
「ユウ……」
泣き崩れた有希を呆然と見つめていると、麗衣が言った。
「安藤さん。今日のところは……」
「あ……わかりました。」
立ち上がりながら、なおも泣き続ける有希に声をかける。
「今日は帰るよ。でも、傷跡があろうと何があろうと、俺のユウに対する気持ちは少しも変わらないよ。
それだけはわかってほしい」
なんということだ。犯人は、なんとむごいことを。
そもそも有希の容姿に惹かれてつきまとい始めたに違いないのに、振り向いてもらえないとわかった途端に、その顔に消えない傷を刻みつけるとは……。
もちろん伸だって、有希はとてもきれいだと思うし、その美しさを愛してもいる。だが、決して美しいから愛したわけではない。
容姿を差し引いてもなお、自由で大胆で無邪気でありながら、優しく繊細で真っ直ぐな心に魅力を感じ、強く惹きつけられているのだ。
そもそも有希とは、彼が生まれる前から、運命的で不思議な絆で強く結ばれている。伸と有希以外に、その真実を知る者はいないが。
有希のことが心配で、かわいそうでならない。出来ることならば、片時も離れずそばにいて、なぐさめ、抱きしめていたい。
だが、今の有希は、それを望んではいないのだ。でもそれは、伸を思う気持ちゆえなのだと信じている。
有希のことは、仕事を休んで彼に付き添っている麗衣にまかせ、今はただ、じっと待つしかないのだ……。
伸はそう思い、あえて連絡などはせず、いつも通りに過ごすことに決めた。




