125,甘えた口調と麗衣からの電話と泣きじゃくる有希
有希が高校生のときにも、彼に猛アタックして来たクラスメイトがいた。彼は好青年で、最終的には諦めてくれたし、その後、家庭の事情で引っ越したが、あのときも、ひどく心が乱れたものだった。
愛しい恋人を誰にも渡したくない。もちろん、有希が自分だけを深く愛してくれていることもわかっているが……。
「ユウ」
「うん?」
有希が反り返るようにして、伸の顔を見上げる。
「一緒にシャワー浴びる?」
「伸くんが洗ってくれるの?」
甘えた口調に、伸は思わず微笑む。
「もちろん」
それきり、有希の口からその話が出ることはなかった。
きっと相手は有希の態度を見て、見込みがないと悟って諦めたのだろう。そんなふうに思っていたのだが。
その日、有希は伸の部屋から学校に行った。仕事は夕方からなので、伸は、部屋の掃除と洗濯をした。
事あるごとに買ったペアの部屋着やパジャマは、いつの間にか十着を超えた。洗濯機の中で絡まり合いながら回るそれらを見るたび、なんとも言えない幸せな気持ちに包まれる。
スマートフォンに着信があったのは、そろそろ出かける支度をしようと思っていたときだった。
有希からかと思ったのだが、画面に表示されている名前は麗衣だ。仕事の話だろうか。
そう思いながらスマートフォンを耳に当てた途端、声が聞こえて来る。
「安藤さん?」
「はい」
「急にごめんなさいね」
どこか切羽詰まったような声に、伸は身を硬くする。
「いえ。どうかしましたか?」
「それが、有希が……」
病室に駆け込むと、ベッドサイドの椅子に座っていた麗衣が、立ち上がってこちらを見た。ベッドに横たわった有希の左頬には、大きな絆創膏が貼られている。
「ユウ!」
「伸くん……」
こちらに手を差し伸ばした有希の顔は青ざめ、目に涙の粒が膨れ上がる。その手を握るのと同時に、有希の顔は苦しげに歪み、涙の粒がこぼれ落ちた。
かがみ込むと、病衣からのぞく胸の辺りにも絆創膏が見える。
「何があったんだ」
そう尋ねても、有希は泣きじゃくるばかりだ。すると、背後で麗衣が言った。
「ナイフで切り付けられたの」
「えっ?」
伸は、思わず振り向いた。有希によく似た美しい顔をした麗衣が、絞り出すように言う。
「隣のクラスの学生に」
その後、有希は激しく泣いて過呼吸発作を起こし、ナースコールのボタンを押して、処置してもらうことになった。
「外でお待ちください」
看護師にそう言われ、伸と麗衣は、廊下に追いやられた。立ち尽くす麗衣に、伸は尋ねる。
「どういうことなんですか?」
有希を切りつけたのは、いつか有希が話していた学生だった。かねてから、有希につきまとい、交際を迫っていたが、その執拗さを薄気味悪く思った有希は、彼を避け続けていた。
だが、たまたま一人で歩いているときに彼が目の前に現れ、どうしても一度だけ話を聞いてほしいと言い、近くの公園に誘われたのだという。
一度だけならと、有希は仕方なくついて行ったのだが、案の定、交際を迫られ、恋人がいることを理由に断ると、彼は、突然逆上した。
そして、隠し持っていたナイフで切り付けたのだ。
たまたま通りかかった人が声を上げたため、彼は逃げ、その人が通報してくれたのだという。有希は救急車で病院に搬送された。
「そいつはどうなったんですか?」
廊下の隅にあるベンチに並んで腰かけ、麗衣に話を聞いた。
「さっき警察の人が、警邏中の警察官に身柄を確保されたって」
「そうですか。ユウの怪我は?」
「それが……」
いつもは気丈な麗衣が、言いかけたまま、両手で顔を覆ってしまった。
ようやく落ち着いた麗衣が話したところによると、最初に胸に向かって突き出されたナイフは、有希がよけたため、皮膚の表面をなぞるように切っただけで済んだ。
だが、有希を突き飛ばして倒し、馬乗りになった彼は、有希の頬を深く長く切りつけたのだ。




