123,絶対に一生忘れないこととまたしたくなったことと開店準備
「そうだね。結婚だね。伸くん、結婚しよう!」
有希は、うれしくなって伸にしがみついた。正直なところ、そこまで深く考えてはいなかったのだが、一生一緒にいたいと思っていることは間違いないから、それはやはり、男女で言うところの結婚ということになるのだろう。
「でも、失敗しちゃったな」
「え?」
有希のつぶやきに、伸が聞き返した。有希は言う。
「だって、そういうプロポーズみたいなことはさ、伸くんから言ってほしかったのに、うっかり自分で言っちゃった」
それから、ふと思い出して言う。
「そう言えばさ、僕が記憶を失くした後で、もう一度付き合うことになったとき、伸くん僕に『四の五の言わず、一生、俺のそばにいろ』って言ったんだよ」
「えっ、そんなことを?」
伸は、ぎょっとしたような顔をしている。
「そうだよ」
本当は有希が、一言一句そのように言わせたのだが。
「考えてみたら、あれってプロポーズだよね」
「あ、あぁ」
伸から手を離して、有希はあお向けになる。
「なぁんだ。伸くん、ちゃんとプロポーズしてくれてたんだ。もちろん僕は、『はい』って言ったよ。『一生、僕をそばに置いてください』って」
「そうなのか……」
呆然としている伸に向かって、有希はさらに言う。
「このベッドで愛し合った後で、そう言ったんだよ。それで、その後、もう一度したんだ」
あんなに素敵な思い出を、伸が覚えていないのは寂しいが、自分が覚えていればいい。絶対に、一生忘れない。
そして、何度でも伸に話して聞かせるのだ。ただし、自分が言わせたことだけは内緒にして。
あのときのことを思い返しているうちに、早くも体の奥が妖しく疼き始めた。さっきは数時間後などと思っていたのだが。
「ねぇ。伸くん」
「……うん?」
「また、したくなっちゃった」
季節は、わずかながら春の兆しが見え始めている。伸は、ダイニングバーの開店準備のために、連日出かけている。
早い春休みに入っている有希は、毎日、伸の部屋に入り浸っている。ベッドでうとうとして、ふと目を覚ますと、いつの間にか帰っていた伸が、床に座って、じっと見下ろしていた。
「伸くん。おかえり……」
伸びをする有希を見ながら、伸が微笑む。
「ただいま。って言っても、もうずいぶん前からここにいるけど」
言われてみれば、伸のコートは、すでにハンガーに掛けられている。
「え。ここで何してたの?」
「ユウの寝顔を見ていたんだよ。かわいい顔を見て、疲れを癒していた」
有希は上体を起こす。
「伸くん、疲れてるの?」
「うん。少しね」
「じゃあ、もっと癒してあげるから、ここに座って」
そう言ってベッドの奥に移動すると、伸は素直に、空いた場所に腰かけた。有希は、伸を両腕で抱きしめる。
有希の背中に腕を回した伸に尋ねる。
「今日は何をしたの?」
「今、店長と最終的なメニューを決めているところで、試作したり、料理に合わせる食器の見本を見たり。今日は、ユウのお母さんも来て、料理の試食をしてもらった」
「ママは、厳しいことを言ったりしなかった?」
有希に対しては、いつも優しい母だが、経営者としては、とてもシビアで妥協を許さない。
「そんなことないよ。とても優しかった」
「そう」
それならば、きっと伸の料理を気に入っているのだろう。それに、人柄も。そうでなければ、人を見る目が確かな母は、料理人として伸をスカウトしなかっただろうし、そもそも、有希と付き合うことを許さなかったはずだ。
「オープンまで、あと少しだね」
「うん。緊張する」
有希は、伸の髪に頬を寄せる。
「伸くんなら、大丈夫だよ」
「でも、パークレストランなんか比べ物にならない高級店だし、客層も全然違うだろうし」
「相変わらず心配性だね。どこの店だって、どんなメニューだって、伸くんの料理が素敵においしいことに変わりはないよ」
「ありがとう」
それから伸は、思いがけないことを言った。




