113,伸の表情の変化と有希の激しい動揺とどうすればいいか考えたいこと
「あのときも、結局、原因はよくわからなかったの。お医者様は精神的なストレスが原因じゃないかって言っていたけど、あの子は、何も話してくれなくて。
その後は順調に回復したから、ほっとしていたんだけど……」
有希は思う。そんなこと、話せるはずがない。原因は行彦と愛し合っていたことなのだし、それを話したところで、信じてもらえないどころか、余計に心配されるだけだっただろう。
伸は、辛い胸の内を誰にも言えず、一人で苦しみに耐えたのだ。その後も、長い年月をずっと。
有希は、うつむく潤子に尋ねた。
「伸くんは、今どうしているんですか? 会わせてもらってもいいですか?」
「もちろんいいけれど、今は眠っているわ」
「それなら、顔だけ見せてもらってもいいですか?」
ここまで来て、このまま帰れるわけがない。潤子が立ち上がりながら言った。
「えぇ。行きましょう」
伸は目をつぶり、血の気のない顔で横たわっている。頬がげっそりとこけている。
有希は激しく後悔する。伸が不安を抱えていることも、体調がよくないこともわかっていたのに、自分には、もっとやるべきことがあったのではないか。
気配を感じたのか、伸が身じろぎした後、ゆっくり目を開いた。
「伸くん!」
顔を近づけた有希を見た、ぼんやりとした伸の表情が、やがて驚きに変わる。目を見開いた伸がつぶやいた。
「どうして?」
「……え?」
訳がわからず、じっと顔を見つめていると、伸が、いきなり上体を起こした。
「急に起きちゃ駄目だよ!」
有希は、あわてて伸の背中を支える。伸が、あえぎながら、有希の腕をつかんで言った。
「どうして? ……行彦」
「……え?」
今、なんて? だが、聞き返す前に、ふと伸の表情が曇ったかと思うと、すぐに苦しげに顔を歪め、額に片手を当ててうつむいた。
「伸!」
後ろで見ていた潤子が、伸に駆け寄る。
脇によけた有希は、潤子に寝かされる伸を呆然と見つめる。さっき伸は、確かに「行彦」とつぶやいたが、潤子には聞こえていただろうか。
そして、その後の表情の変化。あれは、失望だ。間違いない。伸は一瞬、有希を行彦と見間違えたのだ。
でも、どうして? 有希と行彦は同化したのだ。伸がそう言ったではないか。
自分は、有希でもあり、行彦でもある、伸にとってはユウだ。それなのに、どうして?
聞きたいことは山ほどあったが、そばには潤子がいるし、再び眠ってしまったのか、伸は固く目蓋を閉じている。
心配そうに伸の顔を見つめていた潤子が、ふと我に返ったように有希を見た。
「有希くん。せっかく来ていただいたのに、ごめんなさいね」
「いえ。……あ……今日は帰ります。何か必要なものがあったら持って来ますけど」
「ありがとう。今のところは大丈夫よ」
「はぁ。じゃあ、あの、明日また来ます」
出来ることなら、ずっと伸のそばにいたいし、実際、そうするつもりでここに来たのだ。だが有希は、さっきの短いやり取りで、激しく動揺していた。
伸の中で、ただならぬことが起こっているのは間違いないし、今まで、伸や自分の身に起こったことを考えれば、何があっても不思議ではない。
そして、有希の考えが間違っていなければ、おそらくそれは……。今はただ、一人になって心を落ち着け、どうすればいいか考えたい。
次の日、有希は、学校の帰りに病院に行った。病室に行くと、伸はリクライニングさせたベッドに体を預け、窓の外を眺めていた。
「伸くん?」
声をかけながら入って行くと、伸がこちらを見た。腕には、点滴のチューブがつながっている。
有希は、自分で壁際のパイプ椅子をベッドのそばに持って行って腰かける。その様子をじっと見つめる伸は、黙ったままだ。
有希は、自分から口を開いた。
「伸くんに何が起こったか、僕には想像がついているよ。伸くん、僕のことを忘れちゃったんでしょう?」




