19話 暗雲の中でも
そろそろ帰る時間だと身支度を済ませていると部屋の扉がノックされた。
「アカメー、陽ちゃん、いるかー」
この時間はいつも仕事に出ているはずの護兄さんが部屋に入って来た。
「兄さん、今日は早いね」
「おう、今日は早上がりできたんだ。夕飯はカレーだっていうから今から待ちきれないぜ」
「えっ、今日カレー何ですか。食べたかったなぁ…」
陽さんが残念そうにそう言うと兄さんは「可哀想になぁ」と言いながら笑みを浮かべている。
「陽ちゃんの分は俺が全て平らげておくから安心してくれ」
「どこに安心の要素が。護さんって時々性格悪いですよね」
「おっと、せっかくアカメとよくしてくれているのに嫌われちゃ敵わん」
兄さんが降参とばかりに両手を上に上げておどける様子を見て陽さんは呆れたように鼻から息を吐く。
「それで、兄さんどうしたの?」
「顔を見たかったってのもあるけど、もう遅いだろう。車で送ってやるよ」
「え、私はアカメと……いや、分かりました。送って下さい」
途中で言いかけたことを止め、陽さんは兄さんの提案を受け入れる。
「助かるよ陽ちゃん」
「貸し一つですね」
「馬鹿言え、ずっと借りてばっかだよ」
何の話をしているのか分からないが、陽さんと兄さんの会話はトントン拍子に進んでいく。
会話に混ざれなかったのは少々不服ではあるが、兄さんの車に押し込められた僕たちは歩いたら数十分かかる道をあっという間に駆け抜けた。
「護さんありがとうございました」
「おう、また来てくれよ」
「じゃ、ばいばいアカメ。また明日」
「うん、また明日」
陽さんに別れを告げた後、兄さんは家とは反対方向に車を走らせ出した。
「兄さん?どこに行くの」
「まぁまぁ、ちょっと付き合え」
そのまま少し車を走らせると、河川敷についた。
近くの駐車場に車を止めて少し歩き、程よい場所で兄さんは腰を下ろす。
そうして自分の横をポンポンと叩いた。
「ほら、アカメも」
ここまで来たら何となく分かる。兄さんも僕の事を心配してくれているのだろうと。
僕は何も言わずに隣に腰を下ろした。
太陽が沈み、風は若干冷たく感じるがまだ心地いいと感じる範囲。
川のせせらぎの音が心を落ち着かせ、虫の綺麗な鳴き声が耳を打つ。
しばらく無言の時間が続いたが、兄さんから口を開いた。
「最近、何かあったのか」
かなり開かれた質問、兄さんも何と切り出すか迷ったのだろう。
話せる内容でもない、何もないよと誤魔化すことも出来る。
だけど、自然と口から零れた。
「……兄さんは、大事なことを決めなきゃいけない時…怖くなったことはある?」
僕は聞くことを恐ろしく思いつつも、何処か心の嘆きとして抱いていたものを兄さんに打ち明ける。
今でも、かなり理不尽で不条理なことではあると思う。
そりゃ、いきなり殺人をしろだなんて受け入れられなくて当然だ。相手が悪魔だとしても、僕自身が悪魔となって相手も人間であるということを知ってしまっている。
だが、ベルの言うこともまた真実なのだろう。
相手の悪魔が躊躇なく殺しに来たことやベルが顔色一つ変えずに殺して見せたことを考えても、あれが悪魔として生きるための普通なのだろう。
つまり、あれは儀式のようなものだ。
殺しをすることによって人間の倫理の一線を越えさせ、悪魔としての覚悟を持たせようという意図だろう。
だけど、ベルは選択をしろと言っていた。
つまり、何がなんでも殺さないという選択も…取れたということだ。
だけど僕は動揺して、どっちとも取れない行動をした。
相手を殺すことも出来ず、無力化する程痛めつけることすら抵抗を示し、かと言って相手を救うために命を投げる事もできない。
そして、相手に選択の権利を明け渡し…その負債は殺すことをもってベルが背負ってくれた。
僕の代わりに手を汚してくれたのだ。
あの場をセッティングしたのはベルなのだから…とも思うが、ベルがやらずともいつかは相手を殺すか殺されるかの選択はやってくる。
結局のところベルの言う通り、僕は選ぶ覚悟の無い餓鬼ということなのだろう。
そんな自分が情けなくて、ここ数日は周囲にバレないようにと努めつつも塞ぎ込んでしまった。
僕はどうすればよかったのか、それは今でも迷っている。
兄さんは僕の言葉を受けて少し考えるようにした後、話し始めた。
「中々難しいことを聞くな、お前も年頃ということか」
「…茶化さなくていいから」
「まさか、茶化してなんかないよ。ただ成長が嬉しくてな」
兄さんは本当に嬉しそうに目を細め、僕の方を見る。
それが何だか恥ずかしくて僕は反対に眼を逸らしてしまった。
「それで本題だが、勿論怖いよ」
兄さんは川の方を見ながら軽い口調で、でも纏う雰囲気はどこか重いものを感じさせるようであった。
「本当にそれでいいのか、まだ他の道があるんじゃないか、失敗したらどうするのか…そんなことばかりが頭を反芻するよ」
「やっぱり、そうだよね…」
僕は他の人も同じなのかと安堵するとともに、やはり向き合うしかないのかというある種の絶望のようなものを感じた。
そんな僕の様子を見て、兄さんは僕の頭に手を置く。
「まぁ、これは俺のやり方だが…自分の望むものを再認識するとちょっとは選びやすくなるかもな」
「…望むもの?」
意図を図りかね、僕はオウム返しをしてしまう。
「そう。まず無理なことでも夢物語だとしても何でもいい、自分の理想を思い描け。それが実現できそうならいいが、大抵の場合はそれが無理であることを認識してしまう」
兄さんは僕の頭を撫でながら言い聞かせるように続ける。
「ならどうするか。俺はそこから、その理想に一番近い未来に行くためにはどうするのかを考える」
「一番、近い未来…」
「そう。家族と一緒に居たいでもいい、皆と笑顔で過ごしたいでもいい、自分を貫き通したいでもいい、こいつだけはどうしても許せないも、もしかしたらあるかもしれないな。自分の思い描いた未来に行くために、それを阻害する原因を解いていくイメージだ。そうやって楔を打ち続けていれば、いつかは理想に近づいていく」
兄さんは手を止め、僕の肩に手を置き問いかける。
「アカメ、お前の理想は何だ。お前の理想を阻害しているものはなんだ。お前の理想に近づくために、お前は今何をすればいい」
僕は兄さんの言葉を受け、頭の中で散らばっていたものが少し体系だったものになっていくのを感じた。
今すぐには答えは出せそうにないが、それでもいつかは決められる。そんな気がした。
僕が少しすっきりしたような顔になったのを見て取ったのか、兄さんは優しく微笑んだ。
「ようやく兄貴らしいことができた気がするな。お前頭いいからこっちも困るぜ全く」
「そ、そんなことない!今だっておばさんと協力して僕とユウの学費を出してくれているじゃないか!」
兄さんはもう自分の稼ぎがあり、家を出て一人暮らしだって出来るのだ。
それでも家に残ってくれているのは、僕たち家族がいるから。
おばさんも最初は反対したらしいが、兄さんがあまりに意固地で最終的には折れたらしい。
僕たちが不自由なく学校に行けているのは、おばさんと兄さんのおかげなのだ。
兄さんは少々不機嫌そうに僕の頬を両手で挟む。
「むぐっ」
「ガキがそんなこと気にしなくていいんだよ。お前らが幸せになることが俺の理想だ。どうか叶えてくれよ」
「…分かったよ、でも兄さんも幸せになるのは条件だからね。そこも含めて理想にしないなら叶えてあげないから」
「こりゃ手厳しい。分かったよ、お前の理想も叶えてやる」
こちらに意趣返しされて愉快そうに笑った後、さらに悪い笑みを浮かべた。
「と、いうことはだ。お前が幸せになる未来の横に陽ちゃんはいるんだろうな?」
「な、何を言い出すのさ⁉」
突然陽さんの名前を出され、一気に恥ずかしくて赤面寸前までいってしまう。
「とぼけんなよぉ、我が弟ながら爪が甘いのぉ」
「う、うるさい!」
「あ、陽ちゃんが言ってけど、最近葵くんって子と仲良くしているらしいな。今度休みにうちに連れてくるといい」
「何で知ってるんだよ…」
「陽ちゃんがメッセージで」
「何で交換してるんだよ…」
いつの間に交換してたんだよ…と驚きを通り越して呆れていると、してやったりという顔で悪い笑みを強めた。
「いやぁ、最近お前に優位を取れることは少なったからなぁ!清々するってもんだぜぇ‼」
「…陽さんも言ってたけど、やっぱり兄さんって時々性格悪いよね」
そこからしばらくはぎゃあぎゃあ河川敷で騒いだ後、僕たちは車に戻った。
「兄さん?どうしたの?」
「……いや、何でもない。まだいじれたなって思って」
「この野郎まだ言うか!」
明後日の方向を向いて固まっていたから何かと思ったが、相変わらずこの人は…。




