1話 再び目覚めた日
「…メ、アーカーメ―。起きてー」
周りの喧騒、どこか安心する聞き馴染んだ声、そして小気味のいいリズムが聞こえてきて僕の意識はゆっくりと浮上してきた。
「…何してるの?」
「机ドラムだよ、世界を獲れる演奏を極めようかなって」
「…陽さんしかやってないからもう世界一だね」
「それもそうか、やめよっと」
そう言って机をタカタカ叩いていたペンを筆箱にしまった目の前の女の子、宮沢陽は呆れた目を向けながらズレた眼鏡を直す僕にこれまた呆れたような目を返してくる。
「授業中ほとんど寝てたでしょ、注意こそされなかったけど睨まれてたよ」
「えっ…やらかしたなぁ…」
現在の時刻はお昼を回っており、ちょうど5分程前に四限の授業が終わったところだ。
授業の始めの方の記憶はあるのだがそれ以降はないため、ほぼほぼ寝てしまっていたということになる。
「大丈夫?最近寝れてる?」
「まぁ、ほどほどに。大丈夫、心配されるほどじゃない」
「そっか。でもラッキーだったね、先生精霊教信者じゃなくって。授業の内容悪魔についてだったし」
「…悪魔、か」
僕はそう呟いて遠くで聞こえてくるサイレンの音の方を向くように外に目をやった。
僕らの世界には悪魔がいる。
残虐にして外道にして強欲、人間を悪しき道へと導こうと目論む地の底よりやってきた悪しき者。それが世間の悪魔に対する認識である。
実際、悪魔に関する事件は数えきれないほど起こっているらしい。毎朝のニュースや新聞でもメインとして報道されることが多いのはやはり悪魔がらみの何かだ。
僕は実際にその姿を見たことはないが、角や牙、翼が生えているなんてものや、摩訶不思議な力を使う、普段は人間に化けていて社会に溶け込んでいるなど色々な噂が飛び交っている。
中には耳を疑う噂もあるが、その悪魔に対抗すべく立ち上がっている精霊教会の人たちが使う奇跡のようなものが存在するのなら、あながち間違いではないのかもしれないとも思う。
何にせよ、出来ることなら一生関わりたくない存在であるというのは確かだ。
「アカメどうしたの?」
視線を戻すと心配半分不満半分といった様子で陽さんがこちらを見ていた。
「ごめん何でもない。今日ちょっとボーっとするみたい」
「ご飯食べれば元気出るかな。そういえば今日購買行くんじゃなかったっけ?」
「あ!まずい…」
どうやら今日は本当にボーっとしているらしい、さっきから間抜けな声をあげることが続く。
この学校は購買を利用する生徒が多く、四限終わりのチャイムと同時に動き出さないと買えなくなってしまう。
まだこの学校に入って一か月ほどだが既に何回か経験しており、その時は仕方なく自販機で売られている携帯食料をボソボソと食べることになった。
多分今回も同じ末路を辿ることになるだろうとため息と乾いた笑いが同時に口から洩れる。
「…もしよかったら私の分け」
「それ俺にもくれる気ない?」
「…ない」
少々気落ちしながら鞄を漁って財布を探していると、同じクラスの湊くんがいつの間にか陽さんの机の端に顔を乗せていた。
「ケチだなぁ。よっアカメ、永い眠りから目覚めたか」
「うっ、まぁ見られてるよねぇ…」
「あの先生性格悪そうなのに度胸があるこった」
そう言ってケラケラと笑う湊くんに苦笑いを返した。
これは向こう三日ぐらいはいじられそうだ。
「それで、何しにきたの?」
「話しかけに来ちゃ悪いのかよ…だけど、アカメ困ってそうだな」
「購買行きそびれちゃって」
「なら、今じゃんけん負けた奴に全員分買いに行かせてんだけどアカメの分も買ってこさせるわ」
「え!わ、悪いよ!」
「いいんだって、最早何人分でも変わりゃしねぇよ。パン二個ぐらいでいいか」
「あ…うん、ありがとう!」
「どういたしまして!」
「あんた何もしてないでしょ…」
陽さんの指摘をガン無視した湊くんは電話で僕の分も買って貰えるように手早く連絡し、改めて陽さんの弁当に目を向けた。
「…というわけで、俺にくれる気ない?」
「ない」
「手厳しいなぁ…」
こうして湊くんが雑に扱われるのもここ一か月の内に見慣れた光景である。
さて、僕の分も買って来てもらうんだからジュースくらいはお返ししないとだよな。起きてから眼も何だかゴロゴロするし、コンタクトも一緒に変えてこよう。
僕はその旨を陽さんに言い残して教室を出ようとする。
「アカメ」
「ん?どうしたの?」
「ちゃんと中に入らないとだめだよ」
「え、何のアドバイス?」
「……分かってるよ、気を付ける」
「うん」
満足そうに頷く陽さんと頭に?を浮かべている湊くんに苦笑しながら教室を後にし、僕はトイレの個室に入った。
そうして眼鏡を外し、手鏡を使いながらカラーコンタクトを取った。
その露わとなった瞳は赤よりもなお赤く、深く、まさに深紅と呼ぶにふさわしい見る人によっては芸術とも捉えられそうなほどのものだった。
「寝てる間に少しずれちゃったのかな」
慣れた手つきで目薬を差し、両目に黒のカラーコンタクトをつけると手鏡で違和感がないかどうかを確認した。
何故僕が眼の色を隠しているのか、それは悪魔が関係している。
昔から赤い眼を持つ人間は悪魔の贄や時には代行者や依り代として、疎まれ迫害されてきた歴史がある。
理由は簡単、どうも本当に悪魔にとって赤い眼を持つ人間は都合が良いらしい。
ある場所では赤い眼を持って生まれた者を差し出すことによって安泰を保証してもらったり、ある場所では悪魔が降りる依り代であるとして散々滅多打ちにした挙句炎で焼かれたり、またある場所では悪魔を最高の存在であると崇めて敬っているともされている。
正直どこまで本当かは分からないが、少なくとも僕はいい思い出を全くもって抱えていないということは確かだ。
だからこうして周りにバレないように隠しているというわけである。
自分で言うのも何だが実際かなりレア個体らしいので赤い眼の話なんて眉唾だなんて言う人も割といる。
だから一々赤い眼かどうかなんて確認する人なんていないため、こうして隠してしまうと普通に溶け込める。
家族は知っているとして陽さんに知られた時は完全に事故だったのだが、結果論として良い関係を構築出来ているのでそれは置いておくとする。
「さて、戻るか」
陽さんは今頃湊くんに絡まれてるだろうし、さっさと戻らないとちょっと不機嫌になるかも。
・・・
「はっ、はっ…すっかり遅くなったや」
夜、僕は自宅までの道を走って帰っていた。
学校ではあの後教室に戻ったら案の定ちょっと不機嫌になっていた。
こんなこともあろうかと鞄の中に放り込んであるチョコレートをあげると戻ったのでちょろいもんである。
僕の分のパンも買って来てくれた子に代金にプラスしてミルクティーとチョコレートを渡したら、その子は湊くんたちに「お前らもアカメを少しは見習え…」とげんなりしていた。
湊くんたちはどこ吹く風で「敗者に口なし」「言い出しっぺはお前だろ」「昨日同じことやっておいてどの口が言う」とボロクソに煽られていた。
あんなやり取りも楽しそうでいいなと思ったのは内緒である。
そして現在は放課後、もっと早く帰る予定だったが思ったよりもバイト先の客足が伸び、何となく気の毒で見捨てられずこの時間になってしまった。
「おばさん心配してるかなぁ…してるよなぁ…」
バイトのある日は遅くなるから寝てていいと伝えているのだが、いつも作ってくれたご飯と一緒に帰りを待ってくれているのだ。
思い出すだけで気恥ずかしさと気にかけてもらえる嬉しさの半々で心が満たされる。
もっと早く帰ろうと上向きの心持ちで走る速度をあげようとしたその時、悪寒が走る。
理由は分からない、ただとてつもなく嫌な予感がした。
僕はその感覚の赴くままに斜め前に地面に転がるように跳んだ。
次の瞬間、そのまま走っていたら直撃していたであろう場所に何かが空から飛来してきた。
凄い確率だが隕石でも降って来たのだろうか。だがそれなら脅威はなくなったはず、なのに僕の身体は警戒を一向に解かない。
何かいる。そう思うのと飛来してきたものがゆっくりと動き出したのはほぼ同時であった。
それは人の形をしていた。
いや、傍から見れば人であろう。目鼻立ちは多少整っているように見えるが日常で生活していて特別目立つ容姿をしているとか、そういう感じでもない。
だが、纏う雰囲気が異様過ぎる。
明確にこれと指摘できるものではない。だが、確実に人というものとは何かが違うと僕の感が警報を鳴らしている。
そもそも空からすごい勢いで降ってきて堪えた様子もないのだ、そんな人間いてたまるか。
「………私の攻撃を避けるとは、何とも忌々しい」
「…僕に何か用ですか」
「あぁ、主人の命だ。連れていく」
「…分からないですけど多分人違いですよ。一介の高校生捕まえて何ができると?」
「人間如きが私を謀ろうとするとはいい度胸だ。お前が赤い眼を持っていることは分かっている」
目の前の人間擬きの言葉に思わず顔をしかめてしまう。
つまり、目の前のこいつは悪魔なのだろう。人間ですと言われるよりよほど納得がいく。
そんな悪魔がさらに上の悪魔か何かに赤い眼を持つ奴を連れて来いと言われて、何故かバレて僕のところに来たと。
最悪だ、絶対に僕は碌な目に合わない。
「…見逃して欲しいのですが」
「私もお前のような下等な者には触れるのも嫌だが、主人の命だ。黙って従え」
交渉には端から応じる気はないらしい。当然だ、そもそもこちらに差し出せるものがない以上交渉にすらなっていない。
こんな化け物に戦って勝てるなんて思い上がるほど腕っぷしが強いわけでもない。
なら、取れる択は一つだ。
「お断りします…ッ‼」
「……チッ、馬鹿が」
僕は悪魔とは反対方向に全速力で走り、これから逃げる算段を出来得る限り頭を高速回転させて思考する。
まず、このまま道を進んで家に帰ってしまうのは絶対に取れない選択肢だ。こんなもの連れて行ってしまったらおばさんたちがどうなるか分からない。
あまり気が進まないが、精霊教会の支部に逃げ込むのが最も確実ではある。だが、この場所からでは距離があり過ぎる。あいつの方が速いだろうし着く前に捕まるのがオチだ。
なら一度どこかで撒かなきゃいけない、すぐ近くにもう使われていない工場団地がある。
二、三百メートルほどか。問題はそこまで逃げられるかだが、やらなきゃどの道捕まるだけだ。
おばさんごめんね、朝帰りする不良になりそうだ…。
「ッッ!右ぃぃいいい‼」
「なっ…!」
背筋がゾッとするような感覚があり、その本能の赴くままに回避行動をとると一瞬前に僕の顔があった場所に悪魔の拳が通り過ぎた。
今回ばかりは本能様々だ、死を前にして感覚が鋭敏になっているのだろうか。
それにしても誘拐が目的じゃなかったのかよ、気絶させるつもりで殴ったのかもしれないがあんなもん食らったら死ぬって。
走りながら後ろをちらりと見ると悪魔が自分の手を見ながら立ち尽くしていた。
ご自慢の攻撃を二回も躱されたから固まってしまったのだろうか。なんかプライド高そうだし、ざまぁないな。
そのまま僕は何とか工場団地内に入ることができ、適当な建物の中に入って息を潜めた。安全とは口が裂けても言えない状況ではあるが、幾分かの余裕が出来たため思考が回る。
何故僕が赤い眼を持っていることがバレた。
いや、心当たりはある。一度、目を晒したまま過ごしていた時期がある。考えられるとしたらその時だ。
それでこんな状況になっているのかもしれないが後悔はない。今は切り抜けることを考えなければ。
そう思い直し、悪魔が近くにいるか確認しようと顔をあげた。
「全く、つくづく忌々しい」
「ッ⁉ッグぅッ‼」
瞬間的に嫌な予感がしたのだが回避よりも早く殴り飛ばされ、壁に打ち付けられた。
殴られた頭部からはダラダラと血が流れ落ち、全身も頭を殴られたせいなのか打ち付けられたせいなのかは分からないが動かせない。
…あ、これマズいやつだ…
悪魔は人形のようにぐったりする僕に悠然と近づき、そのまま首を鷲掴みにして持ち上げる。
「貴様の存在を知ってからあの方は貴様に夢中だ。何故だ、何故こんな愚図ばかりを見るのだ。私はこんなにも貴方様に心酔し敬愛を示しているというのに」
「~~~っ!ッ‼」
悪魔の独り言なんて頭に入ってこない。ヤバい本当に殺される。
抵抗したいがかろうじて動くようになった左腕で悪魔の手を引っ張るぐらいの事しかできない。振り子の
要領で足で蹴ったり飛びつくなんてことが出来るほどエネルギーは残ってないし、右腕は動かない。多分折れてる。
「悪魔になってそれとは…。赤い眼の話もきっと個体差があるのだろう。お前は出来損ないだ。その程度で我々の上に立とうとは片腹痛い。傲慢が過ぎるぞ」
既に意識が飛びかけている。悪魔の声も遠くなる。
体が酷く寒い。息が出来ない。苦しい。…死ぬ。
「本当は生け捕りにして連れてくるように逢瀬使ったが…この程度では話にならんだろう。もう既に他の悪魔に殺されていたとしよう。安心して死ぬがいい」
既に朦朧とする意識の中、特に理由もなく上を見上げた。
ボロボロで抜けた天井の隙間から満月が輝いていた。
その満月に影が差し込み、闇そのものが僕に向かって降って来た。
そんな気がした。
次話からはもう少し短くする予定です(予定)。




