「弟子」
あの日、山の頂上にある食のアジトで、牡蠣は何度も自分の手を見つめていた。
「指スマ……。」
食から聞かされた言葉が、頭から離れなかった。
生命エネルギーを指へ集めて、一撃を放つ。
その代わりに寿命を削り、身体が耐えられなければ指そのものを失う。
そんなものを、どうして食は使っているのか。
そして、どうして自分の前でそれを見せたのか。
牡蠣にはまだ分からなかった。
夜になっても、なかなか眠れなかった。
食のアジトには小さな部屋があり、牡蠣はそこに敷かれた布団の上で横になっていた。
外からは風の音が聞こえる。
隕石によって壊された世界を吹き抜ける風。
時々、遠くから何かが崩れる音まで聞こえてくる。
牡蠣は目を閉じる。
だが、眠れない。
目を閉じると、あの日の光景が浮かんでくる。
巨大な隕石。
逃げ場のない自分。
そして、怒りに任せて振り抜いた拳。
あの時、自分の拳が隕石を砕いた。
どうしてあんなことができたのか。
自分には何があるのか。
牡蠣は布団から起き上がった。
「……寝れねぇ。」
部屋を出ると、食が縁側に座っていた。
夜空を眺めながら、静かに月を見ている。
「起きたか。」
「うん。」
牡蠣は食の隣へ座った。
しばらく二人とも何も言わなかった。
風が山の木々を揺らしている。
やがて牡蠣が口を開いた。
「じいさん。」
「なんじゃ。」
「俺って……何なんだ?」
食はすぐには答えなかった。
「どういう意味じゃ?」
「今日、俺が隕石を壊しただろ。」
「ああ。」
「あれ、普通じゃないんだろ?」
「普通ではないな。」
「じゃあ、俺には何かあるのか?」
食は空を見上げたまま答えた。
「ワシにも、まだ分からん。」
「分からない?」
「おぬしが隕石を砕いたのは事実じゃ。じゃが、それだけでは何とも言えん。」
牡蠣は黙った。
食の言葉は意外だった。
もっと簡単に「お前には特別な力がある」と言われると思っていた。
「じゃあ、指スマっていうのは?」
「どうしたいんじゃ。」
「……知りたい。」
食が牡蠣を見る。
「本当にか?」
「うん。」
牡蠣は自分の拳を握った。
「俺は、さっきの隕石を壊した時、自分が何をしたのか分からなかった。」
「……。」
「でも、あれをもう一度使えるなら、今度は自分でちゃんと使いたい。」
食は黙って牡蠣を見つめる。
「指スマは怖いぞ。」
「分かってる。」
「寿命を使う。」
「分かってる。」
「指もなくなるかもしれん。」
牡蠣は少しだけ視線を落とした。
それでも、逃げるようには答えなかった。
「それでも知りたい。」
食はしばらく何も言わなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「……そうか。」
それだけだった。
その夜、牡蠣は再び布団へ戻った。
今度は少しだけ眠れた。
翌朝。
太陽が山の向こうから昇り、山頂を照らす。
牡蠣は外へ出ると、食が庭で何かをしているのを見つけた。
「おはよう。」
「おう。」
食は手に持っていた木の枝を地面へ置いた。
「昨日の話じゃが。」
牡蠣の足が止まる。
「うん。」
「本当に指スマを知りたいのなら、まず一つだけ聞いておく。」
食の目が真剣になる。
「途中で怖くなっても、ワシのせいにはするな。」
牡蠣は少し考えた。
そして頷く。
「分かった。」
「それから、ワシの言うことを聞け。」
「……それはちょっと嫌だな。」
「弟子になるなら聞いてもらう。」
「弟子?」
牡蠣は目を丸くした。
食は笑う。
「そうじゃ。ワシから指スマを学ぶのなら、それが一番早い。」
牡蠣は食の顔を見た。
昨日まで会ったばかりの老人。
自分を助けてくれた人。
そして、指スマという未知の力を知っている人。
牡蠣はしばらく黙っていた。
そしてゆっくり頭を下げた。
「お願いします。」
食は目を細めた。
「……よし。」
こうして牡蠣は、刺身 食の弟子になった。
ただし、いきなり指スマを撃つわけではなかった。
食が最初に牡蠣へ命じたのは、意外なことだった。
「走れ。」
「……え?」
「山を下りて、また登ってこい。」
「それだけ?」
「それだけじゃ。」
牡蠣は少し拍子抜けした。
「指スマは?」
「まだじゃ。」
「生命エネルギーは?」
「まだじゃ。」
「じゃあ何の修行なんだよ。」
食は笑った。
「身体ができておらん。」
「……。」
「指スマを使う以前に、おぬしは自分の身体すら満足に扱えておらん。」
牡蠣は自分の身体を見下ろす。
確かに十歳の少年の身体だ。
大人と比べれば小さい。
「だからまず走れ。」
「どれくらい?」
食は山道の先を指差した。
「日が沈むまで。」
「長すぎるだろ!!」
牡蠣の声が山中に響き渡った。
食は笑いながら家へ戻っていく。
「終わったら飯じゃ。」
「それ先に言えよ!」
牡蠣は文句を言いながらも山道を走り始めた。
最初は勢いよく走れた。
だが、しばらくすると息が苦しくなる。
足が重くなる。
肺が痛い。
それでも走る。
何度も転びそうになりながら、山道を下る。
「はぁ……はぁ……。」
ようやく山の中腹まで来たところで、牡蠣は立ち止まった。
「無理……。」
後ろを見る。
まだ山頂は遠い。
「こんなの、指スマと関係ないじゃん……。」
それでも、昨日の食の言葉を思い出す。
身体ができていない。
指スマを使うには、まず身体が必要。
牡蠣は息を整え、もう一度走り始めた。
昼を過ぎ、夕方になっても走り続けた。
何度も倒れた。
何度も休んだ。
それでも最後には山頂へ戻ってきた。
「た……だいま……。」
牡蠣はその場に倒れ込んだ。
食が縁側から顔を出す。
「遅かったの。」
「……死ぬかと思った。」
「まだ生きておる。」
「それだけで褒めてくれよ……。」
食は笑った。
「よくやった。」
その一言を聞いた瞬間、牡蠣は少しだけ嬉しくなった。
だが、食は続ける。
「明日もじゃ。」
「…………。」
牡蠣の顔から笑顔が消えた。
「嘘だろ?」
「本当じゃ。」
「毎日?」
「毎日じゃ。」
「指スマは!?」
「そのうちじゃ。」
「いつだよ!!」
山頂に牡蠣の叫び声が響いた。
その日から、牡蠣の一年間にわたる修行が始まった。
まだ指スマを使うことすらできない。
生命エネルギーを感じることすらできない。
ただ走り、食べ、眠り、また走る。
そんな毎日が始まったのだった。
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