「欠損」
初めて指スマを撃ってから、数日が経った。
牡蠣は毎日のように指スマの修行を続けていた。朝は山を走り、身体を鍛える。それが終われば生命エネルギーを感じ取り、右手の親指へ集める。そして、食が指定した場所へ向かって、一撃を放つ。
最初は小さな石だった。
次は少し大きな石。
やがて岩へと変わった。
威力は少しずつ上がっていた。最初は表面に傷をつけるだけだった岩が、今では小さく砕けるようになっている。それが嬉しくて、牡蠣は指スマを撃つたびに自分の成長を実感していた。
「どうだ!」
指スマを放った牡蠣が、砕けた岩を見ながら胸を張る。
「昨日より強くなっただろ!」
「そうじゃな。」
食は頷いた。
「生命エネルギーの扱いにも、だいぶ慣れてきた。」
「やっぱりな!」
牡蠣は嬉しそうに自分の右手を見る。
親指には、もう最初の頃のような強い痛みはない。生命エネルギーを集める感覚にも慣れた。最初は少し動かすだけでも苦労していたのに、今では意識すればすぐに親指へ集められる。
だからこそ。
牡蠣の中に、少しずつ欲が生まれていた。
――もっと強く。
昨日より強く。
さっきより強く。
そしていつか、食が見せた指スマのような一撃を。
「じいさん。」
「なんじゃ。」
「あれ、もっと強くできるよな?」
牡蠣が親指を見ながら尋ねる。
「指スマのことか。」
「うん。」
「できる。」
食はあっさり答えた。
「生命エネルギーを集めれば、威力は上がる。」
「じゃあ、俺もやっていい?」
「まだ早い。」
「なんで?」
「今のおぬしは、力を集めることはできても、その力を完全には制御できておらん。」
「でも、撃ててるぞ。」
「撃てることと、扱えることは違う。」
牡蠣は黙った。
食は続ける。
「生命エネルギーは便利な力ではない。身体そのものを使って生み出しておる。無理に引き出せば、当然身体へ返ってくる。」
「……返ってくる?」
「ああ。」
食の視線が牡蠣の右手へ向く。
「特に指スマは、生命エネルギーを一箇所へ極端に集中させる。強い一撃を撃とうとすれば、それだけ指への負担も増える。」
「じゃあ、少しずつ強くすればいいんだろ?」
「そう簡単にはいかん。」
食はそれ以上、何も言わなかった。
その日の修行が終わる。
しかし、牡蠣の頭から食の言葉が離れなかった。
――強い一撃。
自分はどこまでできるのだろう。
夜になっても、そのことばかり考えていた。
そして翌日。
「今日はこれを使う。」
食が示したのは、これまでのものより遥かに大きな岩だった。
牡蠣は目を丸くする。
「これ?」
「ああ。」
「これを壊せって?」
「違う。」
食は首を横に振った。
「今日は生命エネルギーを集めるだけじゃ。」
「なんだよ。」
「昨日言ったじゃろう。強い力を扱うには、それだけの身体が必要じゃ。」
牡蠣は少し不満そうな顔をした。
だが、言われた通り修行を始める。
走る。
身体を鍛える。
生命エネルギーを感じる。
親指へ少しだけ集める。
そして戻す。
何度も繰り返した。
昼を過ぎ、夕方になっても続ける。
牡蠣は疲れていた。
それでも、頭の中には別のことがあった。
――もっと強く撃ちたい。
今日こそ。
食に言われていないことを、少しだけやってみたい。
修行が終わり、食が小屋へ戻った後。
牡蠣は一人で山頂に残った。
目の前には、巨大な岩がある。
牡蠣は右手を前へ出した。
「……一回だけ。」
誰に言うでもなく呟く。
生命エネルギーを感じ取る。
身体の奥から、力が湧き上がってくる。
それを右腕へ。
肩へ。
肘へ。
手首へ。
そして――親指へ。
じん、と熱が集まる。
「まだ……。」
さらに集める。
親指が熱くなる。
「まだいける。」
さらに。
生命エネルギーを押し込む。
その瞬間だった。
「――っ!」
鋭い痛みが親指を貫いた。
牡蠣は反射的に手を引こうとする。
だが、遅かった。
集めすぎた生命エネルギーが親指の中で暴れている。筋肉が震え、腕全体が痺れていく。
「ぐっ……!」
それでも牡蠣は手を下ろさなかった。
ここで止めたら、負けたような気がした。
「いける……!」
痛みを無視して、さらに力を集める。
生命エネルギーが親指へ集中する。
これまでとは比べものにならない。
圧倒的な力だった。
牡蠣は目を見開く。
「これなら……!」
次の瞬間。
小屋から食が飛び出してきた。
「牡蠣!」
「――!」
「やめろ!」
食の怒声が山頂に響く。
だが。
もう止められない。
「――指スマァッ!」
牡蠣が腕を振り抜いた。
――ドォンッ!!
山頂が震えた。
凄まじい衝撃が前方へ走り、巨大な岩が一瞬で砕け散る。
土煙が舞い上がる。
牡蠣は立ったまま動かなかった。
成功した。
今までとは比べものにならない。
これなら、もっと強くなれる。
そう思った。
だが。
「……あれ?」
右手に違和感があった。
牡蠣はゆっくりと手を見る。
親指が――ない。
「…………。」
理解できなかった。
ほんの少し前まで、確かにそこにあった。
なのに。
親指の先から先が、まるごと消えている。
「じいさん。」
牡蠣の声が震えた。
「俺の……指……。」
食はすぐに牡蠣の腕を掴んだ。
「動くな!」
「でも……。」
「今すぐ生命エネルギーを止めろ!」
「どうやって……。」
「さっきまでやっていたことを逆にするんじゃ!」
牡蠣は必死に意識を集中させた。
身体の中を巡っていた生命エネルギーを戻す。
腕から。
肩へ。
身体の奥へ。
ようやく流れが収まる。
だが、親指は戻らない。
牡蠣は自分の手を見つめた。
怖かった。
今まで痛みに耐えてきた。
転んでも、傷ついても、何度だって立ち上がってきた。
だが、これは違う。
なくなった。
本当に、自分の身体の一部が消えた。
「……指、なくなったのか?」
「ああ。」
食の返事は短かった。
「生命エネルギーを使いすぎた代償じゃ。」
牡蠣は何も言えなかった。
食が言っていたことを思い出す。
生命エネルギーは身体そのものから生まれる。
指スマは、それを一箇所へ極端に集中させる。
強い力を求めれば求めるほど――身体が耐えられなくなる。
「……これが。」
牡蠣は消えた親指を見つめる。
「指スマの代償……。」
食は答えなかった。
牡蠣は初めて理解した。
指スマは、ただ強い一撃を撃つための力ではない。
自分の命を削って放つ力なのだ。
強くなればいい。
そう思っていた。
もっと力を出せば、もっと強くなれる。
そんな単純なものだと思っていた。
だが違った。
強くなればなるほど、自分自身も壊れていく。
牡蠣は拳を握ろうとして――途中で止めた。
親指がない。
「……怖い。」
初めてだった。
牡蠣が、力そのものを怖いと思ったのは。
食はそんな牡蠣を見つめ、静かに口を開く。
「だから言ったんじゃ。」
牡蠣は顔を上げる。
「指スマは、強ければよいというものではない。」
その言葉が、重く胸へ落ちた。
牡蠣はしばらく、自分の手を見つめ続けていた。
そして――。
それでも、指スマを捨てようとは思わなかった。
怖い。
失うことも怖い。
また同じことになるかもしれない。
それでも。
あの日、隕石を前にして何もできなかった自分には戻りたくなかった。
だから牡蠣は、消えた親指を見つめながら、もう一度だけ右手を握ろうとした。
――今度は、ちゃんと使えるようになりたい。
強さだけではなく。
その力と、代償まで理解した上で。
こうして牡蠣は初めて、指スマの本当の恐ろしさを知った。
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