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歴史人物ノベル-フランス革命編  作者: Miris
マリーアントワネット

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第15話 最後の朝

 1793年10月14日、コンシェルジュリーから革命裁判所へ向かう時、わたしは石の冷たさを足元で感じていた。


 もう王妃ではない。そう言われ続け、そう扱われ続けてきた。けれど、何と呼ばれようと、歩く時の背筋だけは自分で選べる。わたしはそう思っていた。そう思わなければ、立っていられなかった。


 裁判の場には、言葉が多すぎた。


 浪費。陰謀。外国との通謀。国家への敵意。並べられる罪は、わたしの人生を他人の手で雑に縫い合わせた布のようだった。そこに本当のわたしがいるのかどうかなど、もう誰も気にしていない。


 わたしは座っていた。


 指先は冷えていた。


 それでも姿勢は崩さなかった。


 崩れた姿を見せれば、彼らはそれすら罪の形にするだろう。高慢だと言われ、弱いと言われ、演技だと言われる。何をしても言われるなら、せめて自分で選んだ姿でいたい。


 裁かれているのは、わたしだけではなかった。


 王妃という名。


 オーストリアの娘という影。


 人々が憎むために作った女。


 それらが、わたしの席に一緒に座っていた。


 ******


 裁判の夜、コンシェルジュリーへ戻ると、疲れは体より先に目へ来た。


 眠っていない。食べていない。長い問いと、短い答えと、あらかじめ形の決まった怒りに晒され続けた。けれど不思議なことに、心は完全には折れていなかった。折れる場所を、もう残していなかったのかもしれない。


 石壁に背を預けると、昔の部屋を思い出した。


 ウィーンの音楽の部屋。ヴェルサイユの鏡。プチ・トリアノンの庭。子どもたちの寝息。どれも遠い。遠いのに、消えてはいない。奪われたものが多すぎると、人は逆に、奪われなかった記憶にしがみつく。


 わたしは目を閉じた。


 もしもう一度、ウィーンの鍵盤に指を置けたなら。


 そんなことを考えて、すぐにやめた。


 戻れない場所を数え始めると、朝までに心が持たない。


 今あるのは、この石の部屋と、次に呼ばれる自分の名だけだった。


 ******


 裁判の中で、母としてのわたしまで汚される言葉が出た時、胸の奥で何かが切れた。


 多くの非難は、もう聞き慣れていた。浪費家。外国女。王家の敵。民の苦しみを知らない女。どれも痛まないわけではない。けれど、それらは長い年月をかけて浴びてきた泥だった。


 しかし、子どもに関わる下劣な言葉だけは違った。


 息子を奪われた母に、その母子の名誉まで踏みにじるのか。


 怒りがこみ上げた。


 でも、叫ばなかった。


 叫べば彼らの望む姿になる気がした。


 わたしは顔を上げた。


「自然そのものが、そのような訴えに答えることを拒みます」


 声は静かだった。


 自分でも驚くほど静かだった。


 その静けさの中に、わたしの怒りのすべてを込めた。


 場の空気がわずかに変わった。女たちの気配が動いたのが分かった。母であることは、王冠より古い。王妃を憎む者でも、母への侮辱には別の痛みを覚えるのかもしれない。


 けれど、それで判決が変わるわけではなかった。


 裁きは、もう道を決めていた。


 ******


 1793年10月16日の未明、判決のあと、わたしは牢へ戻された。


 死刑。


 その言葉は、思ったほど大きな音を立てなかった。むしろ静かだった。長い廊下の先で、前から待っていたものがようやく姿を現しただけのようだった。


 紙とインクを求めた。


 書きたい相手がいた。エリザベート。あの人なら、最後まで家族の名で受け取ってくれると思った。娘のこと。息子のこと。夫のもとへ行くこと。許し。祈り。書きたいことは多いのに、時間は少なかった。


 指が震えた。


 寒さのせいか、疲れのせいか、別のもののせいかは分からない。


 わたしは文字を書いた。できるだけまっすぐに。最後の手紙まで乱れたくなかった。そこに王妃の威厳を残したかったのではない。家族へ向ける言葉だけは、わたし自身の手で整えたかったのだ。


 夫を失った。


 息子を奪われた。


 娘を残していく。


 それでも、憎しみだけを最後にしたくはなかった。


 憎しみは、すでにこの国に多すぎた。


 わたしまで、それだけになりたくなかった。


 ******


 10月16日の朝、コンシェルジュリーの石壁はいつもより白く冷たく見えた。


 夜明けというには、あまりに静かだった。見張りの足音、布の音、遠くのざわめき。すべてが最後の支度として耳に入る。白い服が用意される。髪を切られる。手を縛られる。


 王妃だったころの支度とは、何もかも違う。


 それでも、人に見られながら整えられることだけは同じだった。


 わたしは少しだけ可笑しくなった。


 ヴェルサイユで朝の装いを見物された日々。テュイルリーで監視された日々。裁判で裁かれた日々。そして最後の朝。形は変わっても、わたしの人生にはいつも視線があった。


 ただ、この朝だけは違う。


 最後にどう立つかは、わたしが選ぶ。


「時間です」


 短い声がした。


「そう」


 それだけ答えて立ち上がる。


 足は思ったよりしっかりしていた。


 処刑場へ向かう道で、わたしはパリの空を見た。


 群衆の声は聞こえていた。罵りもあっただろう。好奇心もあっただろう。憎しみも、退屈も、勝利の熱も。その一つひとつを聞き分けるつもりはなかった。何年も浴びてきた悪意を、この朝に数え直す必要はない。


 荷車は揺れた。


 石畳の音がする。


 ウィーンを出た日の馬車を思い出した。あの時も、わたしは知らない未来へ運ばれていた。国境で名前を替えられ、ヴェルサイユで花嫁になり、王妃になり、母になり、囚人になった。


 いくつもの名を与えられた。


 いくつもの名を剥がされた。


 最後に残ったのは、名前ではなかった。


 顔を上げること。


 歩くこと。


 自分の沈黙を、自分で選ぶこと。


 処刑台の前で、わたしは息を吸った。


 怖くないわけではない。


 けれど、恐れに最後の顔を決めさせるつもりはなかった。


 わたしはマリア・アントーニアだった。


 マリー・アントワネットだった。


 王妃で、妻で、母で、囚人だった。


 そのすべてを通って、最後にここに立っている。


 何もかもを失ったあとでも、人にはまだ残るものがある。


 どう立つか。


 それだけは、最後までわたしのものだった。


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