最終章 光莉の章 第2話「見知らぬ誰かの視線」
ある小さな駅で、光莉は電車を待っていた。
時刻表はある。時刻は表示されている。
でも、電車がいつ来るのかは、誰も知らない。そんな田舎の無人駅だった。
ベンチは一つ。屋根は錆びている。
ホームの先には、ただの草むらが広がっている。
彼女は座らずに立ったまま、線路の向こうを見つめていた。何を待っているわけでもない。ただ、そこにいる。
その時、誰かの視線を感じた。
振り返ると、向かいのホームに一人の老人が立っていた。彼は光莉をじっと見ている。
じっと——と言っても、睨んでいるわけではない。ただ、なんとなく。理由もなく。彼の目は曇っていて、焦点が合っているのかいないのかもわからない。
一瞬、身体が強張った。
誰かに見られることに、光莉は慣れている。むしろ、見られることで自分が「ここにいる」と確認するようなところがあった。
でも、この老人の視線は違った。彼は光莉を「見ている」のではなく、ただ「そこに視線を向けている」だけのように見えた。
そこには意図もなければ、感情もない。ただの「存在」としての視線。
怖いと思った。同時に、なぜか懐かしい気もした。
電車が来た。光莉は乗り込んだ。老人は向かいのホームに立ったまま、動かなかった。電車が発車するまで、彼はずっとこちらを見ていた。その姿が、最後まで視界の端に残っていた。
車内は空いていた。光莉は窓際の席に座り、ぼんやりと外を眺める。景色が流れていく。
田んぼ。畑。小さな集落。
どこにでもある風景。
でも、その一つ一つが、誰かの生活の一部だ。誰かが住み、誰かが働き、誰かが誰かを待っている。
――あの老人は、誰を待っていたのだろう。
ふと、そんなことを考えた。電車を待っていたのか。それとも、誰かを。それとも――何も待ってはいなかったのか。
光莉は自分の手を見た。指先は冷たい。
でも、その冷たさの中に、かすかな熱が混ざっているような気がした。
自分のものか、誰かのものか、わからない。
彼女は鞄からノートを取り出した。最初のページを開く。そこに書かれた「0612」という数字。その数字を指でなぞる。
紙のざらつき。インクの凹凸。それが、唯一の手がかりだった。
(私は、誰に見られているんだろう)
誰にも見られていない。それが正解だ。彼女はただの旅行者で、誰の記憶にも残らない。
でも――もし、誰かの記憶に残るとしたら。それは、どんな形だろう。
電車はトンネルに入った。視界が一瞬、暗くなる。その暗闇の中で、彼女ははっきりと感じた。
誰かが、どこかで、自分と同じように窓辺に座っている。
誰かが、どこかで、自分と同じように誰かの視線を感じている。
その「誰か」が誰なのかは、わからない。でも、その感覚だけは確かにあった。
トンネルを抜ける。光が差し込む。窓の外には、また違う風景が広がっている。
光莉はノートを閉じ、そっと胸に抱いた。
「……もう少し、このまま歩こう」
誰に言うでもなく、呟いた。それは自分自身への確認だった。いつか、この感覚が何かを教えてくれる。そう信じて。




