第6章 拓と瞳、光莉の章 第7話【十年】(拓と瞳の視点)
光莉が家を出てから、十年の歳月が流れた。
最初の数年は、こまめに連絡が届いていた。
どこへ行き、誰に会い、何を読んだか。しかし、年を重ね、彼女の旅が深まるにつれて、メールの頻度は少しずつ減っていき、やがて季節の節目に短い近況が届くだけになった。
拓は、時折、光莉のSNSのアカウントを、自室のパソコンでひっそりとチェックしていた。彼女が今、どの空の下で、何を見つめているのか。
ふと、マウスを握る手が止まる。これは、かつて自分が『純』に、裏アカウントを「見られていた」のと、全く同じ構図ではないか。
(そうか。今度は、俺が「見る側」になったのか)
苦い自嘲が胸をよぎる。
(でも、これはあの頃の不穏に満ちた『監視』じゃない。ただ、あの子が無事でいるかを、気にかけているだけだ。……それが、親というものなのかもしれないな)
一方、瞳はリビングで洗濯物を畳みながら、光莉のことを考えるたび、かつて自分を縛り付けた実の母親の姿を思い出していた。
(母は、私に「あなたは特別よ」と言い続けた。その言葉に縛られるようにして、私は自らあの泥沼へと突き進んでいったのだ)
(私は、光莉にどんな言葉をかけて育ててきただろう)
(「あなたはあなたでいい」――それだけだった。過剰な期待もせず、ただ肯定する。それだけで、本当にあの子を救えていたのだろうか)
どれだけ考えても、過去の教育に正解のスタンスなど出なかった。
でも、一つだけ、十年の沈黙が教えてくれた確信があった。
(光莉は、誰の操り人形でもなく、自分の意志で道を選び、歩いている。それでいい。それだけで、母親としての私の人生は、十分に報われている)
ある日の夕暮れ、珈琲を淹れていた拓が、ふと外の景色を見ながら呟いた。
「光莉、今ごろどこにいるんだろうな」
瞳は、編みかけのセーターから少しだけ目を離し、穏やかに答えた。
「どこかにいるよ。私たちの知らない場所で。でも、あの子の新しい目で見て、あの子の言葉でちゃんと考えてる」
「そうだな」
それだけの短い会話。しかし、その余白には、頼りない二人が親として積み上げてきた、十年分の祈りと信頼の質量が、確かに込められていた。




