第6章 拓と瞳、光莉の章 第5話【二十歳】(光莉視点)
二十歳になった。
成人という区切りを迎えたその年の夏休み、帰省した光莉を待っていたのは、いつになく張り詰めた家の空気だった。
夕食の後、瞳から「少し話があるの」と告げられ、光莉は静かに応接間へと通された。
正面のソファには、瞳と拓が並んで座っていた。二人の表情は一様に硬かった。
瞳が、小さく息を吸い、静かに話し始めた。
それは、光莉が十四歳の頃からずっと心の奥底に隠し持っていた、あの「空白」の正体だった。
「純」という一人の女性のこと。拓の裏アカウントの闇。父と母の間にあった不倫という関係。それらすべてを暴くように書かれた一冊の小説。そして──瞳自身が、自分の醜さと向き合うために、ノートに過去のすべてを書いていたということ。
瞳と拓は、自分たちの人生の最も愚かで、最も醜い部分を包み隠さず光莉に話した。
光莉は、黙って静かに聞いていた。
瞳が最後の話をした後、光莉は小さく息を吐いて言った。
「お母さん、ありがとう。教えてくれて」
瞳の肩が微かに震えている。
「……怒らないの、光莉?」
「怒るって、何に?」
光莉のあまりに平穏な声音に、瞳は返す言葉がなかった。
「私、十四の時から、ずっと一人で考えてた。お父さんとお母さんが、一体何を隠して、何に怯えているのかって。でも、今、二人の口から全部教えてもらって、ようやくわかった気がする」
「何が……?」
「お父さんも、お母さんも、誰よりもずっと苦しんでたんだってこと。そして、その苦しみを、私にだけは絶対に知られたくなかったんだってこと。……私を守ろうとしてくれていたこと。それだけで、十分だよ」
瞳の目から、堰を切ったように涙がこぼれ落ちた。
「ごめん、ごめんね、光莉──」
「謝らなくていいよ。お母さんは、お母さんなりに、必死で私を守ろうとしてくれていたんだから」
拓は、黙ったまま、膝の上できつく握られていた瞳の手を、そっと自身の手で包み込んだ。
その夜、部屋に戻った光莉は、ノートを開き、ペンを走らせた。
「今日、お父さんとお母さんから、あの頃のことを聞いた。全部。」
「でも、これだけではまだわからない。提示された事実だけでは、当時の彼らの本当の心の中は見えない。」
「もっと知りたい。もっと、わかるまで考えたい。」
「それが、私のやり方だ。」
光莉はペンを置き、インクが乾いていくのを見つめた。その問いは、解決したのではなく、より深い領域へと彼女を導くように、胸の中で静かに灯り続けていた。
真実を知った夜、光莉の脳は冴え渡り、どうしても眠ることができなかった。
ベッドの中で寝返りを打ちながら、両親がそれぞれに抱えていた人生の「業」について思考を巡らせる。
(お父さんは、かつて誰かに見られることでしか、自分の存在を確認できなかった。お母さんは、祖母からの不条理な「特別」であるという呪縛に、ずっと苦しんでいた。二人とも、自分の弱さと向き合い、それでも逃げずに、私を育てるために今日まで前に進んできたんだ)
(そして私も、二人から生まれた子供だ。わからないことを放っておけない。真実が明らかになるまで思考を止められない。それは、私の弱さであり、誰にも負けない強さである)
でも、まだ、彼らの心までは完全に見えていない。主観の告白を聴いただけだ。
光莉は机に向かい、ノートを開いて、夜の静寂の中に新しい一歩を書き加えた。
「AIによる高度なアーカイブ解析があれば、もっと客観的に過去を見ることができるかもしれない。でも、それだけでは足りない。私は、彼らに会いたい。純さんに。康介さんに。Eさんに。沙織さんに。直接、話を聞きたい。」
「それが、私の次の一歩だ。」




