第6章 拓と瞳、光莉の章 第1話【光莉の誕生】
プロローグ「光莉、誕生」(瞳視点)
瞳は、産声を聞いた。
陣痛が始まってから、どれだけ経っただろう。痛みと疲労で意識が朦朧とする中、はっきりと聞こえたあの声。
「おぎゃあ——」
看護師が、小さな塊を抱き上げる。赤い。皺くちゃ。でも、確かにそこに、新しい命がいる。
「お母さん、おめでとうございます。元気な女の子ですよ」
瞳の腕に、その小さな体が渡される。温かい。思ったよりずっと軽い。でも、確かに重みがある。
——この子が、私の。
涙が止まらなかった。何の涙か、自分でもわからなかった。嬉しいのか、寂しいのか、それとも——ただ、この重みが、たまらなく愛おしいのか。
産房の外で、拓が待っている。瞳はそのことを思い出し、看護師にうなずいた。
ほどなくして、拓が入ってきた。彼の目は、少し赤かった。何も言わずに、瞳のそばに座り、小さな命を覗き込む。
「……瞳、ありがとう」
それだけだった。でも、その短い言葉に、すべてが込められていた。
光莉——そう名付けた。光の莉。光の中に咲く花。
その夜、瞳はただ二人の姿を見つめていた。隣で拓が光莉を抱き、あやしている。慣れない手つきで、でも、なぜかその手つきに、彼のこれからの父としての姿が透けて見えた。
——この子が、私たちを変えるのだろうか。
——それとも、私たちはこの子のために、変わらなければならないのだろうか。
答えは出なかった。ただ、小さな命の重みだけが、確かにそこにあった。
窓の外で、月が静かに浮かんでいた。その光が、三人を包んでいるようだった。
第1章「新しい日常」(拓視点)
光莉が生まれてから、生活は一変した。
夜中に泣く。オムツを替える。ミルクをあげる。慣れない手つきで、でも、少しずつ覚えていく。
ある日、拓が光莉を抱いていると、瞳が隣に座った。光莉の小さな手が、拓の人差し指をぎゅっと握る。その力は弱いのに、なぜか離れそうにない。
「ねえ、拓さん」
瞳が静かに言った。
「あなた、光莉を抱くときの手つき——昔と変わらないね」
「え、昔?」
「優しいけど、どこか……戸惑ってる。いつもそうだった」
拓は一瞬、言葉を失った。瞳の口調は責めるものではなかった。むしろ、懐かしむように、少しだけ笑っていた。
「怒ったの?」
「怒る?」瞳は首をかしげた。
「あなたの『戸惑い』が、嫌いじゃなかったから。それが変わってないって思ったら、なんだか……安心した。私たち、変わったよね。でも、変わらないものもあるんだね」
拓は何も言わなかった。代わりに、光莉の小さな手をもう少しだけ優しく包んだ。
沈黙が流れる。でも、その沈黙は昔のような重苦しいものではなかった。光莉がいる。それだけで、何かが違った。
その夜。
拓は久しぶりに裏アカウントを開いた。新しい投稿はしない。でも、過去の投稿を見返す。
——あの頃の俺は、何を求めていたんだろう。
——誰かに見られること? それとも——自分を確かめたかっただけなのか?
——でも、今は違う。今の俺は、見られることを恐れない。でも、それ以上に——見られることを求めてもいない。
——あれは、もう過去の自分だ。でも、その過去は、俺の一部でもある。
ふと、光莉の寝顔が浮かんだ。無防備で、無垢で、何の傷も知らない。
——いつか、光莉がそれを知る日が来る。
——俺の裏アカウントのこと。瞳との不倫のこと。純に書かれたこと。晒されたこと。全部。
——その時、光莉はどう思うだろう。俺は、何と言えばいいのだろう。
隣の部屋から、光莉の泣き声が聞こえる。瞳が起き出して、あやしている。
拓は、そっと布団を出た。
「代わるよ」
「ありがとう」
瞳が、少し疲れた顔で微笑む。その笑顔に、昔の彼女の面影はない。でも、それはそれでいいと思えた。
——俺たちは、変わったんだ。
——あの頃のままじゃ、いられない。
——でも、変わらないものもある。光莉への想いだけは。
光莉を抱きながら、拓は思う。この子は、何も知らない。俺たちの過去を。俺たちの傷を。俺たちの、どうしようもない業を。
それに対する答えは出ない。でも、それでいいと思えた。
光莉が小さな手を動かした。拓の人差し指を、またぎゅっと握る。
その握り返しの強さが、「今は、それでいい」と言っているようだった。
窓の外の月明かりが、光莉の寝顔を優しく照らしていた。
その光は、光莉誕生のあの夜と同じ。でも、何かが違って見えた。見る側が、変わったから。
――『中継セクター観測保管庫』――
※最下層にノイズとして格納
観測LOG_028:『光莉の誕生』
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