第5章 純の章 後半第2話【10点】
あのカフェでの対決から、さらに数年が経った。
母が死んだ。突然だった。脳溢血。倒れて、そのまま戻ってこなかった。
「純、明日、帰ってこれるか?」
父の声は、ひどくかすれていた。私は「わかった」とだけ言って、電話を切った。
(何も感じない。そう思っていた。肉親の死さえも、私はどこか冷めた物語のプロットのように処理しようとしていた。)
葬儀は、小さな式場で営まれた。
参列者はまばらだった。父は、ずっとうつむいていた。
私は、焼香の順番を待つ間、ずっと母の遺影を見ていた。写真の中の母は、若い。多分、私が小学生の頃に撮ったものだろう。笑っている。その笑顔が、なぜか悔しかった。
(お母さんは、私の知らない顔をしている。私の観測範囲の外側に、私の知らないお母さんの豊かな時間が、確かに存在していたのだという敗北感。)
葬儀が終わり、実家に戻った。
父は「お前の部屋、そのままにしてあるぞ」と言った。
十何年ぶりに開けた自分の部屋は、まるで時間が止まっていた。机の引き出しの中には、子供のころ観察したアリのスケッチが書かれたノート。本棚には、子どもの頃に読んだ本。埃をかぶっている。私はあの頃から、世界を標本にすることしか考えていなかった。
母の遺品整理を手伝うことになった。服。化粧品。アクセサリー。それらは、どれも私の知らない母の匂いがした。
押し入れの奥から、ダンボール箱が出てきた。開けると、中にはアルバムが何冊も入っていた。私のアルバムだった。
生まれた時の写真。沐浴の写真。ハイハイの写真。七五三。運動会。遠足。ページをめくるごとに、母の手書きのメモがあった。
『初めての一歩。右脚から』『風邪をひいて、三日も熱が下がらなかった。心配で眠れなかった』『運動会の徒競走、ビリだった。でも、最後まで走った。えらかった』
年を追うごとに、写真の枚数は減っていく。小学校高学年になると、年に数枚。中学生になると、一枚あるかないか。
(私が、カメラから逃げていたからだ)
写真を撮られるのが嫌だった。自分を見られるのが嫌だった。見る側に回りたかった。
それが、私の「観察者」としての始まりだった。見られる側はいつも傷つき、見る側は常に安全な特等席にいられると知っていたから。
でも――
(お母さんは、それでも写真を残そうとしていた。減っても、ゼロにはしなかった)
最後のページ。
高校の卒業アルバムの写真だった。私は、その写真を見たことがなかった。卒業アルバム自体、もらってすぐに押し入れにしまったから。
そこには、写っていた。
無理に笑っている自分の顔。
その横で、母が泣いている。
涙を拭いもせずに、こちらを見ている。
(お母さんは――私のことを、ちゃんと見ていた。安全な場所から見下ろす私を、お母さんは傷つく覚悟のまま、見上げ続けていた。)
その日、私は久しぶりに母の日記を開いた。
父が「お母さん、書いてたぞ」と渡してくれたものだ。
日記には、毎日の天気と、買い物のメモと、時々、私のことが書かれていた。
『純、今日は久しぶりに電話があった。声、元気そうだった。よかった』
『純の小説、読んだ。難しいけど、私たちのことを書いてくれているのかな。少しだけ、うれしかった』
『純に会いたい。でも、迷惑かな。いつでも帰っておいで、とは言えない。帰る場所があるって思ってもらえれば、それでいい』
私の目から、涙がこぼれた。声をあげて泣いたのは、何年ぶりだろう。喉の奥から、歪な、制御できない感情が、止めどなく溢れ出して止まらなかった。
(私は、ずっと誤解していた)
(お母さんは、私の話を聞いてくれないと思っていた。でも、聞いてくれなかったのではなく、私が聞いてもらおうとしなかった――いや、聞いてもらう前に、相手の価値を測って、遮断していたんだ)
(私は、誰も信用していなかった。自分だけが特別だと思っていた。でも――)
母は、私のことをずっと見ていた。話さなくても。写真に残らなくても。母なりに、私という人間を「観察」していた。私の冷酷な観察とは違う、ただ存在を肯定するためだけの、祈りのような観察を。
私は、自分のノートを開いた。あの日、書いた日記。
『お母さんの価値が一つ下がった。今までは8。今日は6』
その数字を、指でなぞった。酷く冷え切った、傲慢な私の記号。
そして、ペンを握り、インクが裏に染みるほどの強い筆圧で、その数字を激しく塗り潰した。その上に、新しく書いた。
『10』
(これで、いい)
母はもういない。でも、私はようやく「見られている」ことを受け入れられた気がした。剥き出しの自分を、誰かの視線に晒す恐怖を引き受ける覚悟ができた。
それが、私にとっての最初の「赦し」だった。




