第5章 純の章 前半第4話【核との出会い】
社会人になり、拓という上司と出会った。
初めて話した時、すぐに気づいた。
(この人には、核がある)
表面はごく普通のサラリーマン。誰とでも同じように笑い、同じように雑談し、同じように仕事をこなす。でも、その奥に揺るがない何かがある。このときはまだその何かは分からなかった。ただ、その何かに興味を持った。
そして、それが、私の刃を、まるで無効化するかのように受け止めた。
(私の刃が、刺さらない……?)
初めての感覚だった。これまで私は、人の「隙」を見つけるのが得意だった。言葉の端々、視線の泳ぎ、指先の震え——そういう「弱さ」を捉えて、自分の内側に取り込むことで、安心していた。でも、拓にはその「隙」がなかった。いや、あるのかもしれないけど、それが私には見えない。あるいは、彼の核が、それらの「隙」を全て飲み込んでしまうほどに深いのか。
その違和感が、私を強く惹きつけた。
裏アカウントも見つけた。あの日、カフェでスマホを見せてもらった時、IDを一瞬で記憶した。どうしてそんなことをしたのか、その時は自分でもわからなかった。ただ——彼の「核」の正体を、もっと知りたかった。データでは測れない何かを、確かめたかった。
帰宅後、検索した。そこにあったのは、パンストの写真と、短い文章。仕事の愚痴。日常の呟き。昼休みに見た猫の話。通勤電車で感じた些細な苛立ち。
(この人は、孤独なんだ)
そう思った。誰にも言えない性癖を抱え、それを吐き出す場所として、この裏アカウントを使っている。あの職場で頼りになる上司の顔の裏に、こんなに脆くて孤独な男がいる。表の顔と裏の顔。その落差が、私にはなぜか——愛おしく感じられた。
(私と同じだ)
そう思った。私は、この人のことをもっと知りたいと思った。
それから五年間、毎日のように拓のアカウントを見続けた。
朝、出勤する前に。昼休み、食堂で一人でいるとき。夜、自分の部屋に戻ってから。彼の投稿を読み、彼の言葉を追い、彼の「孤独」を——と、その時は信じていた。
でも、ある時——気づいた。
久しぶりに過去の投稿を遡ってみた。最初の頃の投稿と、最近の投稿を並べて読む。そこにあったのは、驚くほど変化のない、淡々とした日常の断片だった。パンストの写真に添えられた短い文章も、仕事の愚痴も、猫の話も——量産されているわけではないけれど、そこには「誰かに見られたい」という必死さも、「孤独を埋めたい」という渇きも、あまりに希薄だった。
むしろ——単純だった。ただの習慣。学生時代から続く「書くこと」の延長線上にある、自己表現の一つ。深い哲学的孤独からではなかった。もっと軽く、もっと気軽なものだった。
私は、自分の手を見つめた。五年間、毎日のようにこの指でスクロールしてきた。その時間の重みを、今になって実感する。
(私は、何を見ていたんだろう)
拓は確かに孤独だった。でも、それは私が想像していたような、誰にも理解されない「特別な孤独」ではなかった。誰にでもある、普通の孤独。それだけのことだった。
しかし私は、自分の鏡として拓を見た。小さい頃から誰にも話を最後まで聞いてもらえなかった私。書くことでしか自分を保てなかった私。その「誰にも届かない孤独」を、彼に重ねていた。自分と同じ「書かずにいられない」者として、彼に強く惹かれた。いや、惹かれたのではなく、彼の中に自分を投影していただけなのだ。
(この人の秘密を、私だけが知っている)
その優越感が、私の中でかすかに芽生えていた。でも、その優越感の裏で、もう一つの感情がずっと蠢いていた。
(いつか、このことを書く日が来るかもしれない)
それは、観察者が表現者に変わる瞬間の予感だった。
ずっと誰かに見られたいと思っていた。でも、見られると同時に、見られてはいけないと思っていた。その矛盾を抱えたまま、私はただ——観察し続けることしかできなかった。
でも、今ならわかる。私は拓を観察していたのではない。拓という鏡に映る「誰かに見られている自分」を、ずっと観測していたのだ。
それが、私の「計画」の本当の始まりだった。




