第5章 純の章 前半第2話【刃の自覚】
中学二年の時、クラスで一つの「違和感」に気づいた。
対象はC——成績優秀で人望も厚いクラス委員の男子生徒だった。教師からの信頼も厚く、学年でもトップクラスの成績。誰も疑わない。完璧な優等生。
でも、私は見ていた。
テスト中の彼の手の動きが、一瞬だけ止まる。視線が自分の答案用紙から、隣の席の優秀な生徒のそれへ、0.5秒だけ滑る。その視線の軌道は、明らかに意図的で、慣れていた。
それは「カンニング」だった。それも、かなり巧妙な手口で、おそらく何度も繰り返している。普通の教師なら気づかない。それほど計算され尽くした動作。でも私の目には、その「計算」が手に取るようにわかった。むしろ、その完璧すぎる動きに、むしろ異様さを感じた。なぜ、そこまでしてカンニングをする必要があるのか。成績も良く、人望もあるのに。
私はその光景を「観察」した。Cの心理。彼の「完璧な優等生」という仮面の裏側。どんなタイミングでカンニングをするのか。どんな表情で平然と装っているのか。それは、私にとって格好の「研究対象」だった。単なる不正ではなく、人間の内部に巣食う「ほころび」……それを間近で観察できる貴重な機会だった。
ある日、それは起こった。
テスト中、Cがいつものように視線を滑らせた瞬間、ふと彼の手から消しゴムが落ちた。床に転がる小さな音。彼はそれを拾おうと少し身をかがめた。その時、自然と彼の視線と私の目が合った。
彼の目が、はっきりと「見逃して」と言った。
そして、ほんの一瞬だけだった——「私たちは共犯者だ」という、ねっとりとした視線でもあった。私がいつも見ていることを、彼はどこかで気づいていたのかもしれない。
でも、私は何もしなかった。教師に告げ口する気もなかったし、彼を助ける気もなかった。ただ、その視線の重み、恐怖と懇願と諦めが混ざったその生の感情を、静かに「記録」した。
その夜、日記に書いた。
「今日、観測対象Cが『見逃して』と視線で訴えてきた。自分の正体がバレる恐怖と、今までの行いが露呈する危機的状況。観測者のルールとして、介入はしない。これは私の観察対象であり、裁きをする必要はない。」
ただ、その日記を書いている時、自分の指が少し震えているのに気づいた。興奮ではない。共感でもない。もっと別のもの——あの一瞬、Cの目に映った自分の姿が、なんだか妙に美しく感じられたから。これは、自分の中に「何か」が育っている証かもしれない。その芽が何かはわからない。でも、それが刃の形をしていた。
夏休み明け、Cは転校した。その後の話では、第一志望と目されていた名門私立高校の推薦を辞退し、近隣の公立高校へ進学したと聞いた。理由はわからない。罪悪感に耐えきれなかったのか、それとも単に違う誰かにカンニングがバレる前に逃げたかったのか。
最後の日、彼は誰にも何も言わなかった。ただ、教室の扉のところで一瞬立ち止まり、私の方を一瞥した。それは恨みか、それとも……不器用な「ありがとう」か、あるいは「お前も共犯者だ」という呪いか。それさえも、単なる私の思い過ごしかもしれない。
でも、その時も私は、ただ見ていただけだった。その曖昧な「分からない」こそが、私にとっての答えだった。




