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第2章 沙織の章 第3話 【人物を描かない理由(中学一年生)】
美術室の隅で、沙織は風景画を描いていた。
窓の外の校庭。
誰もいないグラウンド。
雲一つない空。
顧問の先生が後ろから声をかける。
「沙織はいつも風景画だな。人物は描かないのか?」
「人物は……苦手で」
それは嘘だった。
本当は、人物を描くのが怖かった。
人物を描けば、誰かを選ばなければならない。描く人と描かない人が出る。
その「選別」が、自分の中の何かを暴走させる気がした。
でも、その恐怖の裏側で、もう一つの感覚が蠢いていた。もし、人物を描いたら、私は誰を選ぶ?誰を選ばない?その選択で、私は何を感じる?想像するだけで、手のひらに汗が滲んだ。
先生は何も言わずに去っていった。
沙織はまた筆を動かす。
でも、手が止まる。
窓の外で、誰かがグラウンドを横切った。
一人の男子生徒。
沙織は無意識に、その背中を目で追った。
今、私はあの背中を「描きたい」と思った。
でも、描かない。描かないことを、選んだ。
その瞬間、視界が一瞬だけ狭まった。それ以外のすべてが褪せて、その背中だけが浮かび上がる。
――これは快感だ。描くよりも、もっと深い、支配の快感。
沙織はその感覚を、誰にも言えなかった。




