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プロメテウスは戦闘力に秀でている方ではない。むしろ頭脳派といっていいだろう。だからと言って、簡単に勝てるほど甘い相手ではない。
立ち上る火柱にハデスが瘴気の壁を貼るが、火は死者の弔いにも用いられる。相性は悪く、ハデスの方が消耗は大きい。
「まだか!」
「罠らしく丁寧に作ってあるよ。見惚れるくらいにね」
「精霊使いに褒められるなんて光栄だよ」
「そんなこと聞いてない。あとどれくらいかかるか聞いてるんだ!」
「気が散るから黙っててくれないかな!」
ハデスが苛立ちながら、急速に失われていく力に舌打ちをする。先の見えない状況に万全とはいいがたい体調。正直なところ早く冥界に戻りたいと思うところもある。
そんな障壁の裏では、シキがヤルダバオトの拘束を解こうと作業している。その口調は軽いが、額には汗を滲ませ、決して手抜きしているわけではないことがわかる。
思っていたよりもプロメテウスの戦闘能力が高いことはヤルダバオトとしても誤算だった。本来は消耗せずに済むよう、シキに罠を解除してもらう予定だったが、悠長に解放を待っていると間に合わないかもしれないと、出し惜しみしていた力を使い、拘束の内側からも拘束の解除を開始する。といっても、拘束には能力の制限効果もある。通常の10倍の消耗をしながら、作業速度は1/3以下というような状況に、本当にやる意味があるのかと思うところもあるが、やらないよりはマシだろうと、消耗については割り切り、全力を尽くす。
そうしている間も、ハデスとプロメテウスの攻防は続き、瘴気の壁を突き抜けた熱波が彼の肌を焼く。限界が近いと悟り、消滅するくらいなら撤退すべきか。そう思案した時だった。
『主様! 遅れて申し訳ありません!』
「間に合っただけ及第点だ。地獄門、開錠。ここから先、ここは冥界と化す。太陽の光だろうと闇に沈めてやるよ!」
ケルベロスの加勢。初めから居なかったのは、彼が門を繋げる役回りだったからだ。ハデス単独であれば乗り込めたが、その場所で門を開くことを許すほど、プロメテウスは甘くない。だからこそ、彼にその役目を任せて、なんとか間に合った。
先程まで押されていたハデスが攻勢に転じる。門から湧き出す瘴気は無尽蔵で、壁を厚く展開しながら、骨の棘や濃密な瘴気を刃のように放ち、プロメテウスを狙い撃つ。
とはいえ、壁を展開しながらの攻撃だ。炎の勢いは消せても、火柱を解除させるには至らず、一方的に攻めていくことは叶わない。
「相性が悪い相手だ。押し切れないか」
時間を与えてしまえば、有利になるのはプロメテウスの方だ。おそらく今も瘴気の壁の性質やハデスの弱点を分析しているだろう。だからと言ってハデス側に打てる手があるかと言われれば、無いというのが正直なところ。増援として現れたケルベロスだが、相性の悪いヘラクレスの逸話に関係ある存在。下手に前線に出して返り討ちに遭えば、門が閉じて瘴気の供給が断たれかねない。
今はヤルダバオトだけが頼りだという状況。早く戦えと怨嗟交じりの思念を抱く。
そんな中、彼の背後であくせくしていた2人は、漸く解除まで王手をかける。
「これだけ面倒なことをさせておいて、足手まといになったら許しませんからね」
「許すもなにも、精霊使いは俺を認めないんだから今更だろ……と、冗談は口だけにして、全力を尽くすさ。俺も、目的を果たさず死にたくはないんでね」
ガラスが割れるような音と共に、ヤルダバオトの拘束が解かれる。その瞬間に、彼は秘めていた残虐性を表面化させる。
ハルトの姿は、殻のようなものだ。
確かに、人が人として扱える限りの最大の力を持っている。だが、それが限界でもある。
その殻の内側にあるのは、魔物を砕いてその力を抽出した代物だ。ただ強くあれという願いを詰め込んだそれは、人の殻の中で窮屈そうにしている。
それが表面化すれば、それは人の姿を保てるはずもない。
「懐かしい姿だ」
アークの支配下にあった頃の姿に近い魔物の姿へと転じた彼は、ハデスの了解も得ずに彼が張った結界を破り、プロメテウスの業火へとその身を投じる。
「馬鹿がっ、自殺行為だろ!?」
「時間を与えて不利になるのはこっちだろ。無茶は承知さ」
肌が焼けただれ、酷い痛みが全身を焼く。自分を構成する魔物の血肉が燃やされ、剥がれ、零れ落ちていく。それでも無茶をしたのは、これ以上相手に時間を与えるわけにはいかないと思ったからだ。
その無茶は、流石のプロメテウスも考慮していなかったのだろう。愕然とし、対応が遅れた結果、彼の接近を許してしまう。
「ああ、覚悟していても痛いものは痛いなあ!」
「無茶をする! だが、そんなボロボロの身で勝てると思うなよ!!」
炎の壁を突き抜けて接近したヤルダバオトだが、その姿は確かに満身創痍という状態だった。そこにプロメテウスは畳みかけるように権能を行使する。
「焼けろ!」
直視すれば目が焼けるような高温の炎。しかし、ヤルダバオトはそれを平然と受け止め、炎の中でも消えることはなかった。
「無策で突っ込んだと思われたなら心外だな」
「なぜ、平然としていられるんだ!?」
「耐性だよ。慣れるまでに随分と焼かれたが、もうお前の権能は通じない」
今の彼の素体は、魔物を糧にするのと同じようにあらゆるものを食らう。それは権能やそれによって生み出された炎までも対象とする。焼かれながらも炎を食らうという無茶を通し、プロメテウスの権能を取り込むことで炎への耐性を獲得するに至った。
「馬鹿げている」
「権能持ち相手を倒すための力なんだ。それくらい当然だろ」
ボロボロになりながら、それ以上のダメージを負うことはない。近接戦闘能力が高いわけではなく、接近を許した時点で彼の負けは決まった。
「詰みだ」
そう言って、ヤルダバオトの爪がプロメテウスの体を貫く。
「っ、だが、私は死なない」
「不死性か。厄介な性質だな」
体からデータを引き抜き吸収すると、焼けた皮膚が瘡蓋のようになり、多少マシな状態になる。それに対して急速に老いていったプロメテウスだが、本来なら死にかねない状況でも、まだ息を遺していた。
磔にして封印するしかない不死性。それは彼が自ら手放さない限り残り続けるものだった。
「出がらしに何ができる」
「確かに私にはもう何もできない。けれど、私が自分の敗北を考慮していないと思ったか?」
生きているだけ。そういった様子のプロメテウスに、何故そこまでして生に縋りつくのか問うヤルダバオトだったが、皺が増えくしゃくしゃになった衰えた姿にも拘わらず、その目は変わらず燃えている。それどころか、全てを失いかけているからこそ、その瞳に宿る思念は強まっているようにすら見える。
まだ終わっていない。そう理解したヤルダバオトはハデス達に警告を出そうとする。しかし、そう思い振り返ったところで、一手遅れたということを理解する。
「言われた通り連れてきたが、このプレイヤー、何か役に立つのか?」
パンドラの幹部の一人、水晶使いの男がプロメテウスの用意したその空間に現れる。
出遅れたとは言うまい。ただ、ハデスとシキはその姿が現れたと同時に彼に襲い掛かる。パンドラはこの世界の秩序を乱した存在だ。それを許しておくことはできないだろう。
しかし、水晶使いの男は、襲撃を理解し、懐から数個の結晶を取り出して砕いてみせる。
「全く、原住民は野蛮で困る。――クォーツプリズン」
確かに、彼は低俗で、思慮深い方ではない。けれど、戦闘に対するセンスはずば抜けているものがあった。
現実世界では評価されない才能。電脳世界においてその才を開花させた彼は、ハデスとシキを結晶に閉じ込めると、老いたプロメテウスに近づいていく。
その腕には、だらりと力ない姿で抱えられているシルクの姿があった。
「あと少し早く来てくれたらよかったんですが」
「俺が雑用をこなすなんてめったにないことだぞ。その好意を無下にするなら、それ相応の対応をしてやろうか?」
「すみません。つい欲が出ました。間に合っただけで上出来です」
その力があれば、自らの手で世界を手に入れることもできただろう。そのくらい、彼とこの世界は親和性が高かった。にもかかわらず、彼は怠惰で、他の者を働かせることに固執した。自分が出るのは、それ相応の理由が必要だと言って状況を見守るばかりで働かない。
そんな彼が珍しく動いたのは、プロメテウスが彼のやる気に火をつけたからだ。同時に、彼がしびれを切らすほどに状況に進展がなかったというのもある。パンドラの連中はこの世界を手に入れるための一手を打ったが、その先の進展は芳しくない。手駒とする予定だったプレイヤーも、その大半が現実へ帰還してしまい、人海戦術はとれない。そのうえ抑制していたはずの神獣も、弱ってはいたがプレイヤーを倒すには十分な戦力と自我を保っている。あらゆることが上手くいっていなかった。
そうして重い腰を上げた男は、こうして今、最終局面になって、退屈を紛らわす以外の目的で表舞台に姿を現した。
「もう私に力はありません。ですが、私の不死性、それを貴方に託します」
「おまえ、不死だったのか? 全く、始めからそうならそうと言ってくれないか」
そういって、彼は懐から新たな水晶を取り出し、それをプロメテウスに呑みこませる。
固い石を無理やり口腔に突っ込まれてもだえる彼の口を塞ぎ、窒息も厭わず無理やりに飲み込ませる。それを平然と行ってみせるその男に、悪魔としての性質を持つヤルダバオトも眉を顰める。
そうして石を飲み込んだプロメテウスは、その体が石へと変わっていくのを感じる。彼が使った石は、他人の存在を石へと変える代物。同時に、そうやってできた石は、装飾品へと加工することで彼に力を与える。
プロメテウスは良い協力者ではあったが、それだけだ。別に生きていなくても構わないと、彼は石になったそれをインベントリに仕舞う。
事態は急変したが、実際にかかった時間は一分程度。あっという間に起きた出来事に、ヤルダバオトも対応しきれず、その男の蛮行を許してしまった。
「……そういえば彼の使い道を聞き忘れていたが、まあ些細な問題だろう」
そういって彼は脇に抱えていたプレイヤーを地面に落とす。ごとりと気遣いの無い落とされ方をしたシルクは、痛みに呻き声をあげ、衝撃に覚醒する。
「さて、プロメテウスが言うには、私は新しい世界の創造主となるべき存在だという。であれば、自分たちのすべきことは自ずと分かるだろう」
そういって彼が目線を向けたのは、ヤルダバオト、そして、結晶に閉じ込められ、満足に動くことのできないハデスとシキだった。
「(これが策だと? 勝てないならすべてを巻き込んで破滅する算段だったかプロメテウス……)」
彼は、世界が再構築されればそれでよかった。この滅びに向かう世界を捨て、新しい世界を作ること。それが彼の悲願であり、そのあとのことはどうでもよかった。結果として他者には理解しがたい行動をとったといえるだろう。自己中心的で到底資格のないものを創造主に据えること。それは世界のその後を考えれば選ぶはずのない選択だった。
しかし、同時に彼は次の世界を憂いていた。
ただ一柱である己が恣意的に決めた存在が創造主になることが本当に正しいのか。世界とは人のためにある。彼の行いを知る者なら、どの口が語るものかと指をさしていうだろう。しかし彼自身は確かにその想いを持っていた。
だから彼は、もう一人の人間を選んだ。それは欲塗れの男とは正反対の誠実さ。この世界をもう一つの世界であると認めた存在。それがシルクであり、彼がこの場に連れて来られた理由だった。




