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目が覚めたハルトは、いつもの自室とは違うところに居ることに気づく。
実際の時間は不明だが、体感として電脳世界に長時間居たことに伴う現実の情報量の多さ、触れる空気に鼻を抜ける臭い、眼球の乾きに産毛の擦れる感触。それらに過敏な反応をしてしまい、体が震える。それを近くに居た誰かが察し、慌てて鎮静剤を首筋に打ち込む。
急激な気だるさと共に脳が麻痺し、神経が鈍ったことで多少の不快感から解放され、浅い呼吸の中で多少の落ち着きを取り戻す。
体感時間に比べれば短期間だろうが、それでも一週間以上は寝たきりだったのだろう。筋肉が衰弱し、麻痺しているとはいえ腹筋を使って上体を起こすことすらままならない状況、酷い倦怠感に襲われる。
「俺は……」
「目が覚めたようね」
声がした方に目を向けると、そこに居たのは背の低い黒髪で眼鏡の女性だった。
「ここは?」
「電脳障害の治療室。と言っても、わからないでしょうけれど」
「セカンドプラネットに閉じ込められたプレイヤー達の治療室って解釈で合ってるか?」
「呑み込みが早いわね……実際はそれだけじゃないけれど、昨今に至ってはその認識でも間違いじゃないわ」
ログインした後、自分を監視していた人々が事件について知り、昏睡状態に陥った自分をここに運んだということなのだろう。
「目が覚める前の経緯について、何か覚えていることはない?」
「……いいや、ゲーム中に視界が暗転したと思い、気が付いた時には目が覚めていた」
自分が新たな電脳世界の創造主に祀り上げられた話なんてすれば、痛い奴だと思われるのが落ちだろう。そして仮に冗談だと笑われずに真面目に受け取られたら厄介ごとに巻き込まれるだろう。
しかし、今になって思えばなぜ自分はあんな、二度と目を覚ませなくなるかもしれないような戦いの中で笑っていたのだろう。そんな疑問を抱き、自分は戦闘狂だったのだろうかと考える。しかし、考えても答えは出なかった。
「目が覚めたなら、しばらくは検査かな。体質の変化が無いかも気になるし――」
「博士!」
「なによノックもせずに部屋に入ってきて」
「それが、電脳障害下にあった患者が次々と起き始めています。それに加えて、調査員の一人が持ち帰った情報が――」
「わかった。彼も目が覚めたし、向こうで何か起きたんでしょうね。全く、私抜きでどうにかならないかしら」
おとなしくしているように釘を刺された後、彼女と、突然部屋に入ってきたスーツ姿の大男は扉から出ていく。扉が閉まった瞬間、鍵がかけられたことを知らせる小さなビープ音が鳴ったのが耳に届いた。
「なんか、また自分の手から全てすり抜けていったような気がするな」
唯一の収穫は、自分の父親に会ったことくらいだろうか。後はなんだか面倒ごとに巻き込まれていただけの日々だったような気がする。
「まあ、なんだかんだ言って楽しかったか? もう、よくわからないな……」
そんなことをぼそぼそと呟きながら、大して寝心地も良くない患者用のベッドの上で、疲労感に押しつぶされる。
目を閉じ、あの世界がどうなったのか。結末を見届けることはできなかったなと思いながら、想像を巡らせているうちに眠りに落ちる大海陽人だった。
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ミオは、黒い渦の近くに転移した。移転技術のすさまじさを実感しつつ、慣れない感覚に酔い、体調は優れない。それでも自分がやらなければならない。それを自覚していた彼女は、渦の中に単身飛び込む。
崩壊に巻き込まれないほどの情報密度だ。嵐の中を突っ切るのは容易なことではない。体がバラバラになりそうなほどの風圧に耐えながら、一秒でも早く抜け出すために前へと進もうとする。
その手を、何かが掴んで渦から彼女を引きずり出した。
「全く、無茶をする」
「長老……」
感動の再開と行きたいところだが、そうも言っていられない。消耗しているタルタロスの姿に焦り、早く何とかしなければと持ってきた発信機を操作する。
「これで迎えが来るはず……」
しかし、転移は始まらない。
「なんで!」
彼女に知る由もないが、その時にはもう、ハルトと怨念の戦いは始まっていた。彼女の頼りにしていた転移は始まらず、タルタロスが守る小さな領域に庇護対象が1体増えただけだった。
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冥界の門に戻り、そしてハデスの容態を知るケルベロスとシキ。
シキは、釘を刺しておいたのに厄介ごとに首を突っ込んだハデスの行動に呆れていたが、ふと違和感を覚える。
ハデスの力を削いで得をする奴がいるのだろうか。
そのことに気づいたシキは「あの老狸どもが!」と感情を表に出し、らしくもない悪態を吐く。
同時に、彼らのいる空間も揺らぐ。冥界は地上とは違い崩壊に直接巻き込まれることはなかったが、余波だけでも酷く揺れた。
シキは一部の神獣やそれに仕える者たちをわざわざ追いやったことを理解した。そして、間に合うとは思えなかったが、それでもいかなければならないと使命に駆られる。
そんな2体の前に、突如として現れるゲート。そこから出てきたのは、彼女の知る存在だった。
「あんたは……」
急いでいる中で現れたその人物に対し武器を構えるシキ。彼女の実力をもってしても容易には勝てない相手に、タイミングが悪いと舌打ちをする。
だが、現れたそいつは両手を上にあげ、降参のポーズで交渉を持ち掛けてくる。
その不可思議な状況の中、ケルベロスとシキはそいつの話を聞くことになった。
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プロメテウスは大方の準備を整えた後、残りをアークに任せ、パンドラの幹部の部屋を訪れていた。その相手は、怨念をおちょくったホログラムの男。ヴィジョンと名乗る水晶使いの男だった。
「忌々しい連中が……この世界を手に入れるはずだったのに、何なんだこの様は?」
「まあ落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか!?」
中身は大人だろうに年甲斐もなく癇癪を起すその姿は見ていて不快感を覚えるが、それでも表面上は彼の調子に合わせる。それは彼がまだ利用しがいのある存在だからだ。ある意味、おだてておけば機嫌を損ねることはなく、誘導に疑問を持たない程度の相手は扱いやすく楽だった。
「世界を支配する力。確かにあなたの理想は素晴らしい。あなたにはその資格がある」
「そうだ。なのに手に入れる世界がこんな、ボロボロで……」
「でも、それでよいのでしょうか」
「何が言いたい?」
「確かに世界を手に入れるほど大きな力というのは規格外でしょう。けれど、それ以上の力があるとしたら、その方が魅力的ではありませんか?」
「それは、そうだが、そんな力があるのか?」
本当に分かりやすい。内心笑みを浮かべながら、彼はその耳にこっそりと、あなただけに伝えるという意味を込めて囁く。
「世界を創造する力。それがあれば、全てはあなたの思いのままです」
「自分好みの世界に作り替える手間なく、始めから理想の叶った世界を作る……良いではないか。それならこんな世界はもうどうでもいい。
――とはいえ、その力を手に入れる方法に算段はついているのか?」
「ええ。でなければそもそも提案などいたしません」
怨念が亜空砲を使う前に消えたことで生き延びたヴィジョンと、彼を利用しようとするプロメテウス。
その計画を進めるべく、プロメテウスが現場に戻ると、そこには戻ってきたデュカリオンとハルト、そしてフロアの姿があった。
「決着はついたようですね。しかし、素体を持ち帰ってくるはずでは?」
「既に汚染が進んでたので、放棄してきました」
「なるほど。裏切り者を処分で来たので気分は晴れた。そういう具合でしょうか」
「端的に言えばそんなところです」
パンドラの情報観測技術を使い、正常とはいえないなりに素体を使っていた怨念、その動向はある程度監視できていた。そのうえで、遺物を収集していた相手はそれなりの強敵だったと思うが、その戦闘後にしてはやけに落ち着いている。そんな印象を抱いたが、興ざめするような戦いだったのかもしれないとその違和感についてはさして気にせず話を進める。
「これ以上の要求は止めてくれよ。1回我儘を聞いただけでも温情なんですから」
「ああ。本当に助かったよ」
「――それで、あんたの計画は順調かい?」
その言葉に、動揺を表に出さずに済んだのは、自分をほめても良いだろう。
「もちろん順調だよ。君を新しい世界の主人として、再構築を行う準備は順風と言っていい」
「納得していない神獣の排除に、パンドラのスパイまでやっている奴が、その全てをこの世界の趨勢を憂慮した親切心か。無欲には見えないんだよ、あんた」
出自が怨念に近いからか、あるいは一度アークの裏切りに遭ったからか、害意には敏感なヤルダバオトは、人の身で改めて対面したプロメテウスの胡散臭さに嫌気がさしていた。取り繕っているが、その内心を暴くために直接的な表現を使うが、なかなか尻尾を出さない。
「急にどうしたんだ。君も納得していたじゃないか。突然気が変わるなんて、偽物から何か吹き込まれたかな」
「あんたは誰にも相談せずに物事を決める癖があるんだ。悪意はないが、その行動の結果起こることにあんたは責任を持たなすぎる」
「本当に、どうしたんだ。全く、素直に言うことを聞いてくれていれば、手荒な真似はせずに済んだのに」
そう言うと、彼は用意していた罠でたちまち彼らを縛り上げてしまう。
「突然何をなされるのですか」
「彼は新世界の創造に必要な存在ですが、同時に危険すぎる。新たな世界は必要ですが、それは個人の意思が反映されたものであってはならないのです」
デュカリオンが尋ねると、彼らを拘束したのをいいことに饒舌に語り始めるプロメテウス。その様子をヤルダバオトは冷めた目で見る。
「どうせそんなことと思いましたよ。自分の干渉できない領域に、人間を使って干渉する。新世界を創造する贄。ハルトという男はそういう役目だということくらいね」
「随分と他人事みたいに語りますね」
「それはそうだ。ハルトは他人。私は私だ」
その一言に、プロメテウスは一瞬硬直し、目を見開いて取り乱す。
「まさか」
「既にハルトはここに居ない。私はヤルダバオト。神の名を騙る悪魔なんて言われることもある名前だ。覚えて帰ってくれ」
既に入れ替わっていたということを知り、プロメテウスは酷く動揺する。今までの計画が順調であっただけに、それが崩れ落ちていく状況は耐えがたいものだろう。
「自分の名前の組織を作る奴はみんな驕りがある。ゼウスは完全な世界を手に入れるために、キャラクターを人間じゃなくて自分を模倣した存在だという概念にかこつけて好き勝手して他の奴らに粛清されたし、あんたはパンドラの残党を使ってプロメテウスなんて組織を作って、電脳障害患者の総数と容態を管理できる状況を作ろうとした。全く、壮大で陰湿で余計なことをする奴だ」
「次の世界は失敗しない。理想の世界を作り、そこに資格ある人たちを迎え入れる。それは世界のためなんだ」
彼自身、救済を目的にしているのだろう。それは理解できる。しかし、その手段が極端すぎる。人に火を与えた時のように、争いも寿命もない完璧な世界なんて不可能なものを作ろうとして、それを誰にも相談せずに、自分の想像力の欠如なんて微塵も考えずに行動する。その結果が今の惨状だ。
「何が世界のためだ。救世主や創造主になりたいだけだろうに。
……とは言ったものの、この壊れかけの世界を放棄して、再構築をすることには賛成しているんだ。やり方が気に食わないだけでね」
「とはいえ、もう計画は進んでいる。止められはしない」
「それはどうかな」
既に拘束され、能力を使用することも叶わない状態。それは分かっているはずなのに、余裕そうな態度を崩さないヤルダバオトに対し、得体のしれない危機感が収まらない。ただのハッタリ。そう一蹴し、冷静さを取り戻さなければ相手の思い通りだと、深呼吸をして雑念を追い出そうとする。
しかし、ヤルダバオトの態度は確かに相手を騙すような部分も大きいが、それだけではない。今この状況で笑い、饒舌にプロメテウスに語ったのは、本当に策があるからだ。それが、例え自分だけに有利ではないとしても、勝ち目を作るには十分なものであることも、彼は知っている。
「――殺し合いした相手に助けを求める非常識さは、褒められたものじゃないんだけど」
「声をかける前に来てくれればそもそも呼ぶ必要もなかったんだ。気づくのが遅れた自分を呪ってくれ」
「その減らず口を先に聞けなくしてやろうかしら」
「呼ばれたからついてきたけど、回復しきってないんだよね。それに、おまえを助けるというのは気が進まないんだが」
「精霊使いに、ハデス……おまえが呼んだのか?」
「悪魔は交渉事が得意なんだ。まあ、生贄で命を散らすのも、因縁ある相手に殺されるもの大差ないだろう。ははは」
クロノスの転移魔法は規格外の代物だ。プレイヤーの特権を安定して行使できるわけではないこと、権能の行使に手馴れていないこと、因縁のある相手しか特定ができないこと。そういった要因からこの場に呼ぶことができたのは限定的な戦力だが、今この状況においては十分だった。
「だが、これは世界の意思。数体の神獣たちが抗ったところで運命は代えられない!」
「外の連中は、彼らが相手をしてくれてるよ。あんたの救援には来ない」
ただの虚勢。時間稼ぎができても援軍が来ないことはあり得ない。そう思うプロメテウスだったが、ヤルダバオトが語った内容はその全てが嘘ではない。
頼まれたミオという名のデミと、それを守る闇の巨人タルタロス。彼らを転移魔法でこの場所に連れてきている。彼らの力は、神獣といえど足止めには十分。同時に、タルタロスが戦場に出たことで降参ないし撤退する神獣もいるだろう。排斥された一種族を守り生き続けるほどの存在は、それに足る実力者だということを、当時を知る神獣たちは知っていた。
「完全なる新世界の創造、その障害はこの手で排除する!」
そんな事情も知らないプロメテウスは、ここは時間を稼ぎさえすればまだ計画は修正できると信じ、計画の失敗を認めず彼らの前に立ちふさがるのだった。




