e-02
――ハルトがクロノスの居城である時計塔に向かっていた頃。
ハルトの素体を奪った怨念は、パンドラの連中の掃討を開始し、この世界に紛れ込んでいる彼らを殲滅しつつあった。
「――吸収」
「あああああ!!」
そんな掃討の中、ミオとラルクの2人から見えないところで彼はパンドラのプレイヤーの頭部を掴み、スキルを発動する。その効果は、現実の人間からの存在吸収だった。
通常の戦闘であれば精神体は保護され、リスポーン時に別の素体に移る。しかし彼の一部の攻撃は、その精神体を傷つけ、そのデータを奪い自分のものとしてしまう。
彼らはパンドラ構成員という立場上、その素性を隠してこの世界にログインしている。そのため、黒木を含む現実での電脳障害からの救護を行っている一部の存在も補足しかねる。結果として被害が表面化しないため、水面下で現実への被害が広がるという非常事態が起こっていた。
しかし、電脳世界側の存在である怨念には現実で起こる被害など無関係。彼は自分の力を強めるために、現実の人間、その脳が持つ処理能力を奪っていた。
「悲鳴が聞こえたが……」
「こっちも処理し終わった。例え仮初の体とは言え、断末魔を叫ぶ奴もいるだろうさ」
スキルを発動し終えると、パンドラプレイヤーの素体から手を放す。素体は力なく地面に崩れ落ちる。本来光と消える素体が残り続け、人形のように抵抗なく地面に倒れるその姿はどこか不気味だが、ラルクはそれをハルトの特異性とパンドラのプレイヤー素体が特殊なものであるからだと考え踏み込むことはなかった。
「しかし、もうそれなりの数の拠点を潰したと思うが、まだあいつは見つからないな」
「うまく隠れているのか、あるいは単に運が悪いだけか。ろくな情報を知らされていない捨て駒とはいえ、ゼウス残党がこれだけ送り込まれているとは予想外だったよ」
そんな討伐作業だが、怨念の言うようにそれなりの数をこないている。ハルトの復活にかかった時間、その半分は遺物の回収がメインだったが、残り半分は拠点探しとその襲撃を繰り返している。怨念の行動は常人には理解し難いものである。ミオもラルクもパンドラがこの世界に害をもたらす存在であることは認知しているが、彼らを討伐することに対するモチベーション、もとい執着心は持っていないため、心身ともに疲弊し、ついていけないという気持ちが芽生えるのは不自然な流れではなかった。
「どうにも良くない感じだ」
「確かに。たった数人で1つの組織を壊滅させようとしているんだ。無理がある」
「できないことじゃない。でも、時間がかかりすぎるという意味なら、間違ってない。だから、より大きな力を用意しよう」
「そんなものがあるのか?」
それなら初めから使えば良かっただろうと言いたげな表情を浮かべるラルク。その態度に、怨念は方をすくめて見せる。
彼が今回あてにする遺物だが、それは本来個人が運用するには規格外の兵器になる。しかし、今になって使えるようになった。それは、今の彼が個体を超える能力を獲得したからだった。
複数人の人の脳を使い、おそらくそれでも不十分。脳が焼き切れるくらいに無茶をさせる必要があるそれは、亜空砲と呼ばれる代物であり、キャラクターが現実のプレイヤーの脳を奪う際に使用された次元超越技術、それを用いた「座標特定」と「強制上書き」の特性を持った情報兵器だった。
とはいえ、使えるようになる見込みがあるのから、先に確保しておいても良かったはず。そう思うのも無理はない。しかし、現実の人間。上位存在の脳に接続し、意識を上書きするという超技術を断片的とはいえ利用しているのだ。他の遺跡よりも更に少なく、なおかつ辺鄙な場所に隠されている。
「ここまで手こずるとは思っていなかったんだ。それに、それだけの兵器を隠している遺跡が無事かわからない。辺境に向かって徒労に終わるなんて嫌だろう?」
「それは、そうだけれど」
「だが事情が変わった。数件で終わると思っていた奴らの拠点は無数にあり、潰しても潰しても終わりが見えない」
だからさっそく取りに向かおうと告げた彼は、2人の了承を得る前に出発する。そんな彼の態度に呆れながらも、この旅の終わりを見届けるために着いていく2人だった。
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彼らが向かった先は、世界の最果て。その境界面に建造された研究施設だ。この世界のすべてのキャラクターのパーソナルデータ、それらにアクセスするには最も都合が良い環境。同時にリスクも高い環境だった。
彼らがそこにたどり着いたのは、ハルトたちがクロノスを討伐した直後。何の因果か、施設内に入ろうとした直後、世界の崩壊が始まった。
「一体何が起きてるんだ!?」
「とりあえず施設に入ろう。施設を稼働させれば、座標固定装置があるはずだ」
データが不安定になる境界面に建造されたからこそ、この施設にはいくつかの安定化装置がある。それを知っていた怨念はそう言って2人を連れ施設内に入る。
施設は放置されたことで経年劣化している箇所も見られたが、保存状態は悪くなく、エネルギーの供給さえすれば稼働する状態だった。安定稼働にはエネルギー生成機のメンテナンスと燃料投入が必要になるが、今は悠長なことをしている時間はない。他の遺跡で確保したバッテリーセルを投入し、緊急稼働を開始する。
揺れが酷くなり、外で起きている崩壊の振動が施設内でもわかるほど激しくなる。そんな中、コンソールを操作し、怨念は施設の安定化装置を稼働させる。
「これで、どうだ?」
「……ひとまず揺れは収まったな」
「危なかったですね」
とはいえ、今のままでは外の様子を知ることはできない。怨念はいくつかの観測装置を起動し、施設の外の情景をモニターへと映してみる。
「これは一体……」
「おそらく神獣の1体が消滅し、世界が維持できなくなったんだろう」
「それじゃあ、私の仲間は?」
「神獣の1体、タルタロスの庇護下にあるなら、おそらく消滅は免れているだろうが、無事は保証できない」
「そんな……」
悲愴な面持ちで座り込むミオに対し、表面上は冷静さを保っているラルクだが、彼も内心、現実へ戻れない可能性が出てきたことに危機感を覚えていた。
そんな2人を差し置いて、大して動じる様子のない怨念は、あることを考えていた。
「(この世界の崩壊、その手があったか)」
ゼウス残党、もといパンドラの目的は電脳化したパーソナリティを得て、この世界で永遠に生きること。その目的のため、この世界を手中に収める必要があった。
しかし、彼らが求めるこの世界を崩壊させれば、彼らは永遠に目的を果たすことができなくなる。
この世界に執着心はなく、同時にアバターは現実の人間に紐づけられた代物。ハルトの肉体を奪い脱出することができたなら、自分を生み出したこの世界との縁を切り、自由な生を得ることができるかもしれない。
とはいえ、今その計画を実行に移すわけにはいかない。パンドラの連中は元は現実の人間。彼らはこの世界から脱出することができてしまう。どうにかして彼らの精神体をこの世界に閉じ込め、この世界の崩壊に巻き込みたい。彼はそう考える。
「ここで悩んでいても仕方がない。幸い、この施設には機材がある。それを使えば仲間の救出が可能かもしれないぞ」
「それは本当? なら早くしましょう。状況は刻一刻と悪化しているわ」
亜空砲があるのなら、転移技術等もあるだろう。実際、パンドラの連中、その幹部あたりは移動の痕跡が無いため、転移技術を持っている可能性が高い。そして、それら技術の基礎はおそらくこういった秘匿された研究施設での検証を経ている。実験段階の危険な代物という可能性はあるが、それでも機材は残されていてもおかしくはない。
それを使えば、今崩壊に巻き込まれているキャラクターを助けることができるかもしれない。それは確かに事実だが、怨念がそれを口にしたのはミオを落ち着けるためであり、同時に転移技術の実験体確保のためでもある。
プレイヤーは現実の人間の魂がある。移転技術がそれに最適化されている場合、この世界のキャラクターが移転技術を使うリスクについては未知数である。それをデミを用いて実験しようというのが怨念の企みだった。
そんなことを知る由もなく、ミオは彼に協力し、準備を整え始める。
――その後、2人が準備を始め、その様子にラルクも協力し、3人でデミの救助の準備を整えることになった。
端末から施設内の状況は把握できる。その中にはプロトタイプと思わしき大型の転移装置があった。とはいえ、移転装置を稼働させるには多量のエネルギーが必要になる。エネルギーセルでは賄いきれないため、電力を復旧し、結果的に他の施設も使用可能になった。
「幸い近くに施設があるから座標特定は容易そうだな。この崩壊の影響がモノの位置まで影響がなければの話だが」
「それにしても、よく遺跡の装置を使いこなせるな。施設で知識を手に入れたところで、ふつうはできないぞ」
「運が良かったじゃないか。俺にその才能があったおかげでこうして今、窮地に立たされてもなんとかなりそうなんだからな」
この危機的状況で味方に疑問を持つラルクの思考に間が悪いなと思いつつ、軽い疑問なので受け流すことはできるので危険とは感じない。対応が軽く面倒だった程度でその話題は作業の間に流れ去っていく。
準備が整い、本来兵器の標準補正に使われる観測装置、それを以って放棄された神殿のある座標を観測する。
怨念がパンドラの構成員の脳が焼き切れるといったのは、あくまでプレイヤーというこの世界の外側に干渉するための負荷によるものであり、この世界の一座標の観測程度であれば設備による支援もあり消耗はない。
「映ったけれど……」
「霧に包まれて何も見えないな」
「逆を言えばタルタロスが霧を維持している。中には生存者がいるだろう。ただ、周囲は地獄だな」
すでに崩壊を始めた地表には異なるエリアの特徴が現れ、その境界面には触れたらその部位が消し飛びそうなノイズや虚無が空間に亀裂となって表れている。
「早く助けないと!」
「だが、あのエリアを指定してこちらに人を転移させることはできない。霧で視界が塞がれているからな」
「何とかならないの!?」
「無茶言わないでくれ。あの霧は空間の崩壊から身を守るための高い情報密度を持っている。それを透過しろっていうのは無理な話だ」
情報が維持できないほど不安定になっている空間での対処法は2つ。1つは他エリアとは断絶されたプライベートエリアを用意すること。今回の崩壊の場合、どうやらプライベートエリアでの被害発生はないらしく、その方法で空間を維持しているゼウスの研究施設は今のところ安全そうに見える。
対してタルタロスが行っているのはもう1つの方法。末端の情報が崩壊に巻き込まれるのを許容したうえで、情報を深層に隠す方法だ。この場合、彼らの生存は守られるが、タルタロスの消耗や階層が深く沈んでいくことに伴い救助の難易度が上がる点など、リスクが高い。
咄嗟に対処法を見つけ実行した手腕は評価できるが、崩壊が早期に収まらない場合、彼らの身は危険な状態にあった。
焦るミオを前に、怨念は1つの方法を提示する。
「方法はある」
「もったいぶってないでさっさと言いなさいよ!」
「落ち着けよ。焦っても仕方がないだろ」
「でも!」
「リスクがあるんだ。落ち着いてもらわないと話せない」
2人の説得もあり、ミオが多少落ち着いた時点で怨念は語る。
「移転技術を用いて、この中の誰かがあの座標に飛ぶ。そして、タルタロスに接触し、こちらからのアクセスを可能にする」
「リスクが高すぎる。巻き込まれたら俺たちも死ぬんだぞ」
「情報が不安定化した状態にも対応できる装備がいくつかある。それを使えば短時間だが崩壊エリアでの活動が可能だ。とはいえ、タルタロスの協力なしの帰還は難しい。崩壊しつつあるエリアでは、1キャラクターの転移という大掛かりな作業は難しい。通信や座標指定が間に合わないだろう」
つまり、一度向かえばタルタロスとの接触と、彼が展開している霧の内側への侵入。その2つができなければ崩壊に巻き込まれ、精神体が消滅するということだ。
「それでもやるなら準備する」
「……やるわ」
「この状況で何言ってるんだ。諦めて自分の身を心配したらどうだ?」
ラルクとしては、崩壊が収まらなければこの施設も危ないと考えている。逆に崩壊さえ収まればタルタロスたちも無事だ。そのため、なぜこんなことになっているのかの究明と対応に力を注ぐべきだと考えていた。
しかし、ラルクも感情的なミオを言葉で説得できるとは思わなかったため、特に説明はしなかった。今の彼女にそれを告げても、仲間を見殺しにしようとする冷徹な奴だと思われるのが関の山だからだ。
そんなラルクの思わぬ反論に焦ったのが怨念だった。
彼としては、キャラクターの転移に成功するかをミオで実験しようと考えていたため、その計画を止められるのは不都合だった。
先ほどの自分を疑うような発言といい、都合が悪い存在だと思い始め、後でパンドラの連中同様意識を吸収してしまおうかという思考がよぎる。
とはいえ、ミオに見られている目の前でそれはできない。仕方がないのでミオを味方するように話を合わせる。
「彼女の思いを汲んでやれ。仲間のいない世界で生き残っても虚しいだけだろ」
「お前からそんな言葉を聞く日が来るとはな……」
「何を言われても、私は彼らを助けに行くわ」
「わかったよ。勝手にしろ。でも俺は強力しないからな」
この危機的状況で仲間割れを始める2人に対しずいぶん悠長だなと思いつつ、どうにか実験はできそうだと安堵する怨念。
とはいえ、むやみにミオを殺すつもりはない。不安定な空間での活動用の装備をいくつか拝借し、型式の古いものはメンテナンスを施す。
そうして用意された装備をミオが身に着けたのを見届けたのち、怨念は彼女に一つの端末を渡す。
「これは?」
「携帯型の座標計だ。それがある座標に合わせて転移装置を稼働させる。正確な位置が分かっていれば霧の内側といえど届くからな」
「協力ありがとう。必ずやり遂げるから」
「期待してるよ」
そわそわとしながら転移装置の稼働を待つミオを背に、怨念は装置を稼働させる。いくつかの装置が稼働を始め、騒音が鳴り始める。
ハルトがカウントダウンを行い、それがゼロを告げた時点で、予兆なく彼女は転移された。
消えると同時に画面の向こうに姿を現した彼女を観測する怨念は、実験の成功に笑みを浮かべる。
「無事成功と……これなら使えるな」
そう零した彼は、彼女が装置を起動できるかに関心を持つことなく稼働後の移転装置の状態確認を始める。
すべては自分を生み出しておきながら、何の役割も与えずに捨てた憎い連中への復讐のために。常人には理解しがたい思考で、彼は彼一体の計画を進めるのだった。




