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フロアはついてくるだけという感じなので、特に目的は説明することもない。変化の程度は、彼が行商人をする際に使っていた馬車をアークが軽く改造したものを移動手段に代えるくらいだった。とは言ったものの、変化を実感するほどの行程があったわけでもないのだが。
「乗り物があるのはありがたいな」
「獣の背は慣れませんか」
「ああ。他の生き物の呼吸に合わせるのは、どうもうまくいかない」
始めは気乗りしなかったフロアとの会話だが、さすが長生きの商人といったところか。ハルトの態度から察したのか昔話は少なく、相槌を打つ程度にとどめるようになり、考えていたほど 彼との会話は苦痛にならなかった。
そんな中、ハルトはふと思い出したことを尋ねる。
「そういえば以前、ゼウスの研究施設から出てきた俺以外の誰かについて言及していたが、その時に出てきたのはどんな奴だったか、詳しく聞かせてくれないか?」
「何か気になることでも?」
「ああ。俺は自分の体を奪った奴に心当たりがあったんだが、そいつが犯人の場合、どうも想像している状況とあんたが語った情景がかみ合わないんだ。詳細を聞けばその乖離が埋まるんじゃないかと思ってね」
「そういうことでしたら。とはいえ、あなたにとっては思い出しても楽しくないことでしょうし、手短に話しましょう」
片手間で御者をしつつ、馬車の車輪が回る音にかき消されない程度の声量でフロアは語り始める。
そうして語られた過去の怨念たちによる戦闘と、Eの存在。それに対してハルトは安堵と怒りという二つの相反した感情を同時に抱えることになる。
「(そうか。彼は別に裏切ったわけではないのか……でも、似てもいない俺の演技をする誰かに成り代わられて、それを見抜けなかったのは、一時とはいえ相棒として認めた奴として不合格じゃないか)」
「……難しい表情をされていますね」
ころころと表情を変えるハルトの様子を見たフロアにそんなことを呟かれつつ、旅は進む。
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世界の端、その外側の勢力は、この世界において安寧を手にしている数少ない存在だ。
しかし、安寧と停滞は紙一重。脅かされない代わりに変化もない。そのことに飽き、自らその安寧を手放すこともあるだろう。
ゼウスという組織への加担、現実世界への干渉。それら混沌をまき散らした存在、その性質を継ぐクロノスは、力の行使の際に晒した隙を突かれ、今の今まで休眠状態にあった。
しかし、大きな揺らぎを前に深い眠りにあっても揺り起こされ、今になって舞台上に返り咲くこととなる。
「いろいろと見逃したようだが、クライマックスはまだらしい」
永い時を傍観者として過ごした存在、それが退屈によって転身した結果は、観測者だ。舞台裏であれこれと余計なことをして、当事者たちの反応を見る。そんな気まぐれで厄介な存在だが、その権能の性質故に対処するにも多大な労力を強いられる。意思を持った災害とでもいうべき存在は、まだ満足に動かない体を引きずりながらも笑う。
「さて、この体が動くようになるのが先か、それとも彼らが辿り着くのが先か……」
近くに居れば弱った力でもプレイヤー相手に一方的にやられる心配がない。他の神獣たちによって力を封じられてなお、この世界における規格外はそれなりの力を有している。
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目の良い規格外の怪物に監視されていることを知るすべはなく、ハルトたちは旅を続ける。
そんな中で出会う脅威もあったが……
「ご主人様が相手をするまでもないですね」
返り血を浴びることすらなく、襲撃してきた魔物を潰したアークはぼそりと呟く。
ゼウス時代の遺物の力は健在であり、普段はかわいらしい人型の躯体だが、その戦闘能力は折紙付きだ。並大抵の魔物では太刀打ちできない。
「お嬢さんやっぱり怖いねえ」
「頼りになると言ってください。今は味方なので、恐れを含む表現は不適切です」
「そして気難しい、と。あの朴念仁がよくあんたみたいなのを飼いならしたものだなあ」
ハルトが馬車の奥で寝ているのをいいことに好き勝手話すフロアと、ハラスメントだと後ろ指をさされるようなことをいわれても平然と受け流すアーク。会話の内容は険悪そのものだが、お互い大して気にしていない。どちらも重要なのはハルトからの印象のみという割り切り方をしている。そういう意味で彼らはどこか似ているのかもしれない。
「しかし、過去の怨念ですか」
「盗み聞きとは感心しないね。そんなに気になるなら直接聞きなよ」
「……どうにも彼には今一つ信用されていないようで、機嫌を損ねるのではないかと不確定なことに対する懸念があるのです」
「そういう顔色伺いの方が案外不信感につながるものさ。これでも商人だから取引における信用の大切さは知っているから、全く参考にならない話でもないだろう」
アークは別段フロアに相談する気はなかったが、最近思考が口から零れることが多いと反省する。単なるマニピュレーターに過ぎないと思っていた素体だが、得てみるとそうでもないと実感させられた。
そんな思考の傍ら、呟きに対してないと思っていた返事に動揺する。それが、いつもの飄々とした態度からは想像できない真面目なアドバイスであるならなおさらのこと。アークは、悩みに対して真摯な姿勢を見せたフロアに対し、不気味で信用ならないという評価を多少修正する。それでもまだ信用には程遠いあたり、フロアの第一印象が酷いものであったのは確かだろう。
アークからしても、ハルトという人間はそれほど特別な人間では無い。確かに啓人という元ゼウスを親に持つというのは異質だが、それが本人の素質の全てではないということを彼女は理解している。だからこそ、彼が彼自身の力で得たいくつかの異質な能力については称賛し、同時に独りでは生きるのにも苦労しそうな弱さに、自分を必要としてくれるだろうという打算がある。
そんなハルトに対して、ただ啓人を親に持つというだけで傾倒し、全てを擲ってでも奉仕しそうな彼の姿は、奉仕に対して躊躇のないアークですら異様に感じるものだった。
「話が逸れたが、過去の怨念の話か。あれはキャラクターや人間とは違って見えた。いうなれば、アーク、あんたに近い。不愉快かもしれないが、道を踏み外したあんたみたいなものだろうな」
「なるほど。知的生命体を奉仕対象とする基底が消え、自由な体もリソースもない状態であれば、確かに自身を生み出した創造主に対し強烈な憎悪を抱くというのはそれほど突拍子もない展開ではありませんね」
「おいおい冷静すぎないか。一発殴られるくらいのことは覚悟していたんだが」
「殴ってほしかったですか? 罪悪感を抱くくらいなら口を噤んでいてください。それに、私が殴ったと思えるくらいの力を出せば、大けがですよ。手加減しすぎても殴った実感がありませんから」
「華奢な素体のわりに物騒だよなあ……って、待った。別に殴って欲しいわけじゃないので拳を構えないでくれよ」
ハルトと違い機嫌を損ねるかどうか大して気にしなくていい相手だからこそ、コミュニケーションを試すにはちょうどいい。とはいえ、サンプルがこの男だけというのはあまりよくはないのだろうなとも思う。それでも何もサンプルが無いよりはましだろうと、人間らしい冗談などを交えた会話を試してみる。
その後、そんな練習が役に立ったのかというと――
「どうかしたか?」
「いいえ、なんでもありません」
そう上手くはいかず、特訓の成果が出るのはしばらく後になりそうだった。




