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ハデスの侵攻は順調以外の何物でもなかった。
「霧の獣が出たからと焦ったけれど、彼らも馬鹿だね。この程度の強さで表に出てくるなんて。もう少しうまくやれば、見つからずに力を蓄えることもできただろうに」
それでも自分の敵ではないけれど。
そう内心で付け加えつつ、徐々に目的地が近づいてくる。
「さて、そろそろ隠れ家に到着だ。風化せず霧の獣を生み出せるほど状態が良いならさすがに警戒した方がいいだろうから、ここは僕に任せておくれ」
目的地に近づくと、ハデスは他の神獣たちにそう告げる。カロンはそんなハデスに自分だけ楽しむつもりなのかとでもいうように恨めし気な目線を向ける。彼としても、生死を捻じ曲げ、彼の役目である死者の魂を冥界へと運ぶという行為を妨げている相手に一泡吹かせてやりたいという気持ちはある。しかし冥界の主であり自分よりも一段上の実力を持つハデスが警戒する相手だ。自分では力不足なのだろうと多少の不満は態度に漏らしつつ、はっきりと異議申し立てするようなことはなかった。
そうして周りの神獣を抑えたハデスは、とっさに放てば味方を巻き込んでしまうほどの力を込めた一撃を繰り出す。
「冥王深怨波」
彼が放った黒い波動は周囲の木々をなぎ倒し、通り過ぎた痕には塵も残らない。しかし、その強烈な一撃を食らってなお、その施設だけはまだそこに建っていた。
「さすが古代文明の遺物といったところか。施設に対する霧の獣の弱さが気になるところだけど、設備はあっても材料が無かったとかかな?」
ふとした違和感。勘というものは経験に基づくものであり、大半は外れるが時には無視したことを後期するものだろう。けれどハデスはその違和感を取るに足らないものだと判断し、無視してしまった。
いくらハデスが建てた施設とはいえ、ハデスの力を込めた一撃で無傷とはいかない。むしろ建物の姿を保っているだけでも異常なのだ。それゆえに壁は脆く崩れ落ち、施設内と外を隔てるものは消えてなくなる。
そんな崩落の間近、施設内から一つの人影が飛び出す。
「狙いは、あれか」
まともな防具も身に着けず、片手に黒い剣を手にしたその男は、それだけ呟くとすぐさまハデスに斬りかかる。
「曲者がっ」
「おっと、危ない」
それを阻んだのはカロンだ。その手に握った太く頑丈な櫂は断ち切れず、表面に浅い傷をつけるに留まる。
カロンはすぐさま力の込め方を変え、その櫂を長刀のように振るい襲撃者を殴打せんとするが、危機を機敏に察知したその襲撃者は距離を取り、当たる寸前のところで逃げることに成功する。
そうして奇襲は失敗に終わる。襲撃者であるハルトはそのことを少し残念に思いつつ、手痛い反撃を食らうことなく済んだだけで及第点だろうと気を取り直し、武器を構えなおす。
「さすがに一撃では沈まないか。でも……」
「ここは私に」
「……そう? なら任せようかな」
「ありがとうございます」
そんなハルトを前に、ハデスは次の一撃の構えを取る。だが、カロンがそれを制止し、自分が戦うと宣言する。
おそらく、ハデスはその一撃で終わらせるつもりだっただろう。しかし、その悠然とした態度に比べ、彼が保有するエネルギーは先ほどの一撃で大きく減少している。冥界であればすぐに回復するところだが、地上では時間経過での回復はほぼない。倒した敵がミニオンという存在であり、回復の補助になりにくいというのも逆風だった。
そんな中で、防具らしいものを身に着けていない身軽そうな敵が現れた。となると攻撃を当てるには広範囲攻撃を繰り出すか、あるいは外れることも視野に入れて攻撃を繰り出さなければならないだろう。
ハデスの強さを考えれば杞憂かもしれないが、カロンはハデスが戦えなくなることを不安視し、自分が戦うことを申し出たわけだ。
「立ちふさがるか。だが、おまえの相手をする余裕は無いんだよ」
しかし、そうしてハデスを後ろに下げ、立ちふさがったカロンに対し、ハルトはそう告げる。
お互い数度剣を交えた頃、独断専行していたハルトを追うように、施設内から数体のミニオンが現れ、ハデス以外の神獣たちと対峙する。
「なっ」
「ここは任せる」
それはカロンも例外ではなく、ハルトがカロンの一撃を大きくはじくと、その隙に彼はハデスを守る包囲を抜ける。
「あいつに任せると言ったんだけれどね」
「退いてくれるなら、ありがたいんだが」
「冗談いうなよ。おまえらは全員まとめて煉獄送りだ」
そうしてハデスとハルトの戦いが始まるのだった。




