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この場にケルベロスが居たなら勝ち目はなかっただろう。番犬の嗅覚と俊敏性は脅威だ。
だからと言って、他の個体が凡庸かと言われればそんなことはない。厄介な相手であることは間違いなかった。
ヤルダバオトを生かすためにその場に残ったミニオン達。しかし足止めといってもやみくもに攻撃すれば良いということではない。接触は相手にわずかな消耗を与える代わり、一瞬で消し飛ばされるだけだ。時間稼ぎという目的は果たせない。
「肩慣らしといこうか」
ハデスがそう呟き軽く腕を振ると、その手の先に居る個体は魂が抜けたように崩れ落ちる。
「耐性は無いか。過去に居た個体に比べれば弱そうだね」
「万が一のことがありますから、ここは私たちが対処します」
「まあ、このくらいの相手ならその方が効率が良いか。任せるよ」
ただ、ハデスは肉体的な能力が高いわけではない。敵を倒すには基本魔力を消耗する攻撃が必要になる。カロンは主が序盤から消耗することを危惧し、自らが前線に立つべきだと進言し、その提言は受け入れられた。
カロンを含めた5体の神獣が前線に立ち、攻勢に出る。
カロンは船を漕ぐオールを長刀のように振り回し、敵を薙ぎ払う。その身体能力は非常に高く、回避が間に合わず、一薙ぎで数体のミニオンがひき潰される。
彼を筆頭に、他の個体も攻めに転じる。
アスカラポスは剪定鋏を器用に使い、着実に狩りを進める。カロンほど派手な活躍はないが、狙われた個体は今のところ例外なく討伐されてしまう。
辛うじて一般のミニオンでも抵抗できるのは下位の名もなき神獣だが、それらも浅い傷を負わせるだけで数体を犠牲にしなければならないというかなりの苦戦を強いられる。
「残骸は少ないか。厄介だね」
そんなミニオンの虐殺を前に、ハデスはそう呟く。
彼が残骸と呼んだもの、それはサルベージできなかったデータのことだ。
電脳世界では肉体的に死んでも、その人格や記憶はデータとして保持され、意図的に破棄したり、死の権能を持つハデスによるデータの抹消を受けない限り、復元が可能な状態で存在し続けることができる。それは事実なのだが、その仕組みには欠陥がある。というのも、復元された存在は元の人格を維持できるとは限らない。
その原因の一つだと考えられている回収しきれなかったデータ。概念的には残留思念が近いのかもしれないそれはこの世界のシステムの欠陥であると同時に、その欠陥があることで死者が蘇ることはないという不文律が侵されることはない。
この世界で当たり前のように受け入れられているその概念ゆえに、残留思念とでもいうべきデータ自体を利用する手段が生まれる。それがハデスの簡易領域という力であり、かつて大戦で猛威を振るった力になる。
仕組みとしてはいたって単純で、肉体を持たない人格データ、その破片である残留思念が逸れ単体で存在するという冥界に近い環境を利用するというものになる。使用すれば、その空間内に限り自身の支配領域に近い実力を発揮することが可能になる。
戦い、戦死者が出るほどに際限なく力を増す。その力は過去の大戦で振るわれ、ゼウスに対して多大な消耗を強いることができた。
それほど強力な力ではあるが、今回相手をしているミニオンとは相性が悪いらしい。他者に造られた存在であるミニオンは、倒しても残留思念は少なく、十数体を倒してなお、一帯を簡易領域に変えることは叶わなかった。
圧倒的な実力差を前に些細なことではある。とはいえ、ハデスとしては当てが外れたことに対して多少の苛立ちを覚える。しかし苛立ったところで現状は変わらない。彼はそれほど時間をかけずに気を取り直すと、先陣を切りミニオンを討伐する他の神獣たちに目を向けた。
「あまり離れるなよ」
それは、名もなき神獣に向けた言葉。
死者の世界に落ちた魂は不完全であり、強大な力と強い自我によって神獣となったが、その知性は彼らが生前持っていたものより数段落ちる。複雑な指示がこなせない程度の彼らに、ハデスは忠告をする。
簡易領域を作り出すことは叶わなかったが、それでも彼の強大な力は周囲に影響を及ぼす。大きすぎる力のすべてを体内に押しとどめることはできず、あふれ出る力が周囲を汚染する。現世の存在にとっては猛毒に等しいそのエネルギーだが、冥界の勢力にとっては心地よく、現世に居るだけで消耗している彼らにとっては消耗を抑える貴重なエネルギーだった。
今この時、ハデスたちは、自分たちが圧倒的優位にいると確信する。敵である霧の獣たちは過去の大戦時に戦った個体に比べ非常に弱く、防戦一方。服に傷をつけることすら叶わず一方的に討伐されていく。そんな状況では慢心もするだろう。
逃げる霧の獣も現れるが、一匹たりとも逃がさないという気概はなく、追わなくても居場所のない彼らが生き残ることはないだろう。そんな油断もあり、神獣たちはハデスの力が及ぶ範囲から離れることなく戦闘を続ける。
そんな中、逃走した個体の中に未成熟とはいえヤルダバオトが混じっていたのだが、彼らは気づくことなく取り逃がす。
彼らは自分たちが警戒すべき相手を殺し損ねたことに気づかない。目の前にいる霧の獣の討伐を第一に考え、焦りのない歩くような速度で進軍する。目指す先は発見されたゼウスの施設。ハデスにとって、染みついた死臭を辿ることは造作もなく、はっきりと見える道筋を辿るのだった。
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ハルトは表側で起きている騒動も知らず、アークが出す課題をこなす日々を過ごす。
アークもハルトに不安を与えないためか、彼が尋ねてもまともな情報は渡さなかった。
「か、勝った……」
次の課題で最後。そう告げられたハルトは、目の前で降した再現体を前にそう呟く。
再現体は所詮本物ではない。その高い身体能力と目を見張るほど強力なスキルの数々。それを駆使した戦力は恐ろしいが、その力を最大限に生かし、常に思考を回転させるわけではない。稀に力押しですべてをなぎ倒してきたような存在もいて、そういう場合は再現元より再現体の方が厄介なのかもしれないが、基本はアークの判断能力を超えることはない。
「とはいえ、この空間だからこれだけ体が動くけど、実際のアバターでこの動きができるとは思えないな」
それでも強力なスキルを使っているだけという印象は抱かない。再現元よりは弱いといったところで、アークの処理能力をもって動いている敵は、集中力が切れず反応速度が異常に早い。今回勝てたのも数十回の試行回数と失敗すれば即敗北に繋がる奇策によるものに過ぎない。たった一度の機会で生死をかけた一撃なんてできない。あくまでリトライ可能な環境だからこそできたことだと彼はそう思った。
そんな苦労した訓練も次で最後らしい。訓練が終わった後はどうなるのか。暇な時間を過ごすことになるのだろうかと思いつつ、それは勝てた後考えるべきことだろうと気を取り直す。最後の敵ともなれば苦戦は必至だろう。一生勝てない相手かもしれない相手が出てくるにも関わらず勝った後のことを考えるのは酷く滑稽な話だ。
そんなことを思いつつ、一体誰が現れるのか。そんなことを思いながら、再現体が現れるのを待つ。
いつもであればそれほど時間をかけずに現れるのだが、素体が現れるだけでも時間がかかっている。これまでと違う反応に違和感を覚えつつ、最後であればそういうこともあるかと思っていた。
しかし、そんな考えは慌てるアークと視界に走るノイズによって覆された。
「何が起きてるんだ?」
『干渉を受けています。まさかこの段階で襲撃が?』
「襲撃って何の話だよ」
『……黙秘します』
アークの反応に困惑しながらも、それ以上反論を口にする気力もない。立っていられないほどの気持ち悪さに苛まれながら、早くその苦痛が終わるのを願う。
「多少ましになったか」
苦しみが弱まり始めたのは数分後。体感時間なので実際はもう少し短いかもしれないが、気絶できるほどの激痛ではないせいでやけに長く感じた。
吐き気を伴う苦痛に苛まれ、その影響が弱まった後でも体調はすぐれないが、それでも何が起きたのか確認しなければならない。原因をわからないまま放置しておけばまたあの苦痛が襲ってくるかもしれない。疲労感を理由に動かなかった場合に起こる最悪を考え、彼は何とか体を起こす。
そして彼は、ノイズの発生源、構築途中だった再現体を目にする。
『干渉の原因が発見されました。外部からではなく内部、それもハルト、あなたの精神体内部からこの空間に干渉があったようです』
「なんで、ここに」
完成度は八割程度。しかし見間違えるはずもない。
今目の前に現れた再現体、それは彼の父親の姿をしているのだった。




