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それは、親と呼ぶべきものを持たずに生まれた異質な存在。
現実世界、肉体と魂を持つ人間、その魂こそが命を持つか持たないかの判断基準だとするならば、電脳世界の住人は、それらを持たない。代わりにあるのは素体とそこに収まっているデータだ。
そういう意味では、それは電脳世界の住人に近い。しかし、存在が似ているからといって性質まで似ているとは限らない。対面するとよくわかることだが、それは人間を模す気がない。その性質故に、生き物に近い存在でありながら血が通っていないという印象を他人に与える。無情であり、仲間意識もない。協調性は表向きあるように見えて、目的のためには犠牲を厭わないだろう。
生まれながらにそういう存在として在る。一見奇妙だが、兵器として生み出された存在だと言われればそれらの性質も納得がいくだろう。常に冷静で動揺しない。それが彼に求められる役割だった。
その怪物は過去にも存在し、しかし今この時代に生まれたのは、かつての欠点を克服すべく造られた個体。
アークが造ったその個体は、かつて存在していたものたちよりも多くの権限を有し、ただの兵器としてだけではなく自ら思考をしていた。
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暗闇から目を覚ます。
肌から感じ取れる情報は多く、酷い頭痛がした。けれどそれも次第に収まっていく。環境適応とでもいうべき性質は、自分自身の疲労や痛覚さえもごまかすことができる。それが例え良い効果ではないとしても、思考を鈍らせる痛覚を遮断できるのは都合が良い。
とはいえ、彼はまだ生まれて間もないため、慣れるまでは長期間の行動は難しいだろう。今回の目覚めは、それほど長い時間にはなりそうになかった。
「腹が減った」
『十分な栄養は与えているはずですが』
実際に声が出ているわけではない。生まれたばかりのこの体では、舌は回らない。おそらく音を出そうとすれば拙く恥ずかしい思いをするだけだ。
そんな内心での独り言にも反応が返ってくる。洗脳や隷属の類ではないが、監視程度は付くらしい。彼を生み出したアークは、彼の精神に干渉できる。
とはいえそれは悪いことばかりではない。指揮を執るうえで彼のコンディションを常に監視できることは、戦況を有利に進めるにあたり有効であり、同時に多大なリソースを割いた彼を失う危険を回避しやすい。
「嗜好性は邪魔か。それとも価値あることか」
『……今回生まれた個体は、どうやら厄介らしいですね』
「厄介、か。それが俺の評価なのか? まだその程度だと」
災厄をもたらす悪魔。種族名とはいえそれを持つ存在だ。そして、この世界ではその存在は、精神は名前に引きづられる。故に彼は悪辣で、自分が他人から厄介と評価されることを好んでいる。しかし、確かに厄介であることは好ましいが、その程度の言葉で片付けられてしまうことは好ましくない。まだ何も成してはいない彼は甘んじて現状の評価を受け入れたが、できる限り早くその評価を超えることを胸に誓った。
何故生まれて間もない彼にそこまでの強い想いが芽生えたのか。それは、この世界が情報の上に成り立つ世界であることが関係している。
この世界を形作るネットワーク、それが保有する膨大なデータの中には、人の歴史やその人が語り継いできた物語も存在している。無からの創造よりも、そういったデータを核として肉付けをしていく方が、リソースの消耗は軽く、同時に実体が安定する。
この世界の多くの存在。神獣と呼ばれ強大な力を持つ存在ですらその性質を利用して生まれた個体は多い。そして彼らは、安定した実体と凡庸な個体よりも高い能力を有する一方で、その仕組みの枠からは逸脱することは無い。一部言葉遊びや同音異義語、別の神話の性質や名前、逸話の似た存在の性質を取り込むことで本来の権能以上の能力を行使する個体もいるが、それでも制約から抜け出すことはできない。
現実のデータに依存しているということ。それ自体が、現実で特定の柵を持たずに独立して存在する人間、ひいてはプレイヤーに対する劣等感に繋がっている。人間や現実に在る生き物たちは親や子、遺伝、寿命など、データの存在である彼らとは別の柵の下で生きているが、彼ら電脳世界の住人の中でそれを理解している個体は少数派だった。
そして、劣等感は羨望へ、羨望は憎しみへと変わっていく。そうして今はプレイヤーに対して、彼ら一人一人の性格を考慮することなく、ただプレイヤーであるというだけで侵略者扱いする現状へと繋がっていた。
話が脱線したが、ヤルダバオトという名を冠するその個体もまた、その法則の下で逸話に沿った性格を形成した。
とはいえ、彼はあくまでアークによって造られた存在。造られた目的を果たすという基底の上に、多少捻くれた性格と残虐性が上乗せされたに過ぎない。
アークは個体の性格を理解しつつ、それが今後の目的、ハルトの素体の完成に対する支障にはならないだろうと判断する。とはいえ、ヤルダバオトを再生産するリソースは無いため、多少危険や問題があったとしても、彼を動かす以外の選択肢はあってないようなものなのだが。
アークはこれ以上観測範囲外のイレギュラーが起きないことを願いつつ、再度休眠状態になったヤルダバオトの調整を行うのだった。
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それから間もなく、ヤルダバオトは活動を開始する。
彼の身体能力や思考力は確かに他の個体に比べ非常に高い水準にあった。その一方で、彼には経験というものが欠如している。他の個体がある程度基底を持つこと。他の個体との戦闘経験を共有し、撃破された個体の情報を糧に成長している他のミニオンと異なり、彼は縋るものが無く、何もかもが手探りだった。
だからこそ、指南役として2体のミニオンが選出され、それらの同伴の下で最初の任務は行われた。
片方は四足歩行の犬に近い外見をしたハウンドと呼ばれる個体。こちらはすでに広い範囲で活動している個体、そのうちの1体である。
もう一方は、リソースの回収が安定し始めたことで生産された新型、鳥のような外見をしたバルチャーと呼ばれる個体。和名でいうところのハゲタカという名称を与えられたそれは、ペット用の愛くるしい外見ではなく、野鳥の、どことなく飢えてギラついているような印象を与える鋭い目つきが特徴的だ。
2体はどちらもミニオンとしては下位に位置する能力であり、ヤルダバオトの付き添いであればピクシスのような強力な個体を与えるところだろうと疑問を持つかもしれない。しかし肝心の中位に位置するピクシスは指揮に優れ他の個体より複雑な思考が可能ではあるが戦闘能力が高いわけではない。そのうえヤルダバオトは実戦経験が少ないという欠点こそあるがピクシス以上に戦略に長けている。そのためピクシスとは役が被ってしまうため、今回は不要と判断された。
付け加えて、下位の個体が選ばれたのは、ヤルダバオトの力がまだ不完全であるということも理由だった。
「さあ、あるべき姿に変われ」
ヤルダバオトは2体のミニオンに自らの権能を行使する。彼はアークに生み出されたミニオンという立場だが、その性質は神獣に近く、本質的には彼らの行使するものと異なる部分こそあるが権能を持っている。
それはヤルダバオトにまつわる逸話。その別名であると言われる造物主、デミウルゴスに基づいた力。2体の身が淡く発光すると、その輪郭は曖昧になり、次にその姿をはっきりと認識できるようになった頃には、その体は一回り大きく、毛並みや羽根の艶は以前よりも艶やかに変わっていた。
「まだこの程度か」
とはいえ、彼はその変化に満足しない様子でそう呟く。
まだ練度不足のためか、彼は自身の権能である「造型」について、十分に行使できないらしい。過去の同個体は、下位の個体を上位相当、ピクシスを超える能力にまで引き上げることができる。しかし今の彼では中位の個体の強化はできず、下位の個体の強化は弱めの中位程度までしかできない。といっても、不完全なヤルダバオト本体が並みの中級程度の能力しかないため、強化した個体が強化する本体を超える能力値になるという逆転が起こらないのはある意味当然のことなのかもしれない。
とはいえ、ヤルダバオト本体の魔力消費、その魔力も自然回復することを考えれば資源を消費することなくミニオンの強化が可能というのは恐ろしい力だ。
『考え事もいいですが、そろそろ行動を開始してください』
「(急に話しかけないでくれ)」
そんな強化が終わった後、ヤルダバオトは自分の実力の把握と今後能力を完全なものにする算段を立てる。その最中、アークが思考に干渉してきたので、彼は思考を中断する。彼は考え事にどれくらいの時間を使っていたのか確認するが、これからの狩りに支障があるほどの時間は経過していないことを確認し、そんなに催促しなくてもいいだろうと内心軽く舌打ちをした。
「目標の戦果を上げれば撤収して構わないなら、早々に終わらせようか」
『本来、できる限り長時間、可能な限り多くのリソース回収を望むところなのですが』
「そういうのは他の奴に任せておいてほしい。大物を狩る代わり、俺は十分な休息の用意を求める」
『狩りの成果次第では交渉に応じます。ただ、肝に銘じておいてください。あなたは目的のために造られた存在である。それは覆ることのない事実です』
「言われなくても、己の立場は理解している」
『それなら、良いのですが』
ヤルダバオトは言葉に詰まるアークを嗤いながら、内心ではため息を吐く。己が自由を与えられることのない存在であることに自覚はある。だからこそ、それがどうしようもなくもどかしい。誰かの束縛の中で、あるいは本来ならば喜ばしい庇護でさえ、彼にとっては鬱陶しかった。
なぜミニオンの一個体に、その役割に不適切なパーソナリティが与えられたのか。その能力はともかく、どんな性格の個体が生まれるかまではアークに制御できなかったと言えばそれまでだが、彼がそういう性格であることは、アークにとっても、その命令に従わなければならないヤルダバオトにとっても不幸な話だと言えた。




