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 精神世界に在る肉体は、現実のそれを模した器に過ぎない。だからこそEが宿る素体と違い、壊れてもすぐに新しい器を用意すれば復活できる。いうなればデスペナルティのないリスポーンが可能であり、それを踏まえタルタロスは、通常であれば致命傷になる攻撃であろうと躊躇いなく繰り出し、それは訓練を逸脱した殺し合いのような体験だった。

 より正確に表現するのなら、殺し合いですらない。ハルトがタルタロスに攻撃を当てることができたのはわずか数回。それもかすり傷程度のものであり、ダメージを与えることはできなかっただろう。だから他人がこの光景を見ていたら、虐殺と表現していたかもしれない。


「こんなに強い相手との戦いが強制イベントなら、調整ミスだとか騒がれるところだぞ。戦闘が嫌いじゃないとはいえ、さすがに堪えるな」


 この仮想世界がゲームではないという認識はある。それでも愚痴としてそんなことを言いたくなる程度には苦痛な時間が続く。楽しめないことに時間を使い、軍人や戦士でもないのにアビリティなしでの攻撃の読み合いをさせられ、体の動かし方ひとつにダメ出しを受ける。物事の吸収が早い若い時期でもないので同じミスをすることもあり、そのたびにタルタロスからはやる気がないのかと叱責され、高難易度のイベントを生き延びてきたことによって得た自信は打ち砕かれ、単に自分が運が良かっただけなのだと理解する。

 そういった気分面でも酷く惨めなのだが、それ以上に彼を苦しめているのは、自分が作り替えられていくかのような違和感だ。

 先ほど精神世界では、器が壊れても復活できるという話をしただろう。今ハルトとタルタロスが居る空間自体がハルトの精神そのものであり、その中で彼の器を再生させるとなると、その感覚は表現しがたいものだった。そもそも器を壊されたときにおこる小さな自分を構成する要素が周囲に飛び散り、自我が希薄になる感覚と、その周囲に溶けた意識が無理やり1つの器に押し込められる感覚。意識が戻るころにはそこに立っているのだが、その際に感じる違和感が、器と意識の一体感が強まっていくような感覚だった。


 はじめはただアビリティを使わずに体を動かす感覚に慣れ、体が自在に動くようになっているだけだと考えていた。しかし、次第にその変化がその程度のものではないと感じ始める。そしてある時ふと抱いたのは、現実の体の動かし方を忘れているのではないかという不安。現実ではできない動きに慣れ、思考がそれに最適化されていく感覚は奇妙で恐ろしかった。

 それでもやらなければならない。きっと宇宙飛行士が無重力の中で長期間活動すると歩けなくなる程度の、そんな可逆的な変化であることを信じるくらいしか、今のハルトにはできなかった。


「(せめて、アビリティが使えたなら……)」


 そしてある時、強く念じたせいだろうか。戦闘中にエフェクトが散り、体が加速する。その突然の出来事にハルトは対応できず地面に激突し、殴打した痛みに呻く。


「な、なにが起きたんだ?」

『馴染んできたようだな。まだ制御まではいかない様子だが、それでも漸くこの段階になったか』

「知ってることがあるなら教えてくれ」

『……おまえは、私たちリトルと同様の手順で能力を使用する術を得た。システムの補助なしでも、能力を発動することはできるが、慣れが必要なのだ』

「なるほど。最初からそれが目的か」


 どうして先に伝えてくれなかったのか。そんな疑問はあるが、何か理由はあるのだろう。すでにきっかけをつかんだ今となっては、理由に興味はあっても聞く気は起きなかった。


『感覚が消えない間にもう1度やってみろ。それが終われば次は任意に発動できるようになってもらう』

「1回まぐれで発動した程度じゃ意味ないってのは同意だ。とはいえ、システムの補助なしでのアビリティ発動か。それはまた大変そうな話だ」


 口にはしなかったが、ハルトはこの出来事で器との同化が進んでいるという自分の感覚が正しいものであるように思う。本来システムの補助なしにはできないことが可能になる。この仮想世界の住人と同じようなことができるようになっていく。その違和感は、何か取り返しのつかない事態を引き起こすのではないかと不安を誘う。

 それでもほかに選択肢はない。タルタロスという怪物じみた強さを持つ相手から解放され、ヒュドラーの毒を取り除くという目的を果たすための手段がそう多くないということを知っているハルトは、その危険を知りながら、自ら足を踏み入れるしかなかった。



 教会に着いてから5日が経過したころ、毒の影響が体に現れ、軽い身体能力の低下で済んでいた症状の悪化に伴い、視界が霞んだり、咳き込んだりするようになる。その段階に入ってもまだタルタロスと長老からは神殿に向かうことは許されず、ハルトの精神は疲弊していた。


『おまえが言うアビリティというのは、機能補助の側面が強い。取得できるアビリティの制限や職業。そういったものは単なるタグに過ぎず、本来なら体内のリソースを使うことであらゆる攻撃ができる』

「俺がラピッドアクションと呼んでいるアビリティも、単にリソース、プレイヤーにとっての魔力を消費した加速する能力だってことなのか」

『そうだ。だが、リソースの管理をシステムに任せているプレイヤーに、リソースの扱い方を説いてもすぐに扱うことはできないだろう』

「理屈を言っても仕方ないから体で覚えろって話か。で、今更俺にそれを言って何になる? この訓練を始める前ならともかく、このタイミングで明かした理由はなんだ?」

『おまえがそのアビリティというものに固執しているという印象を受けたからだ。リソースの管理はできるようになってきた。にも拘わらずおまえはリソースを限られた使い方でしか運用しない。それでは意味がないんだ』


 そういわれ、ハルトは自分の行動を顧みる。この訓練を始めて最初に発動したのはラピッドアクションに似た効果だった。そして彼はその発動を再現するために何度もラピッドアクションを使用したときのイメージを使っていた。その後に再現しようとしたのもハイドアンドアサルトやクイックスラッシュといった過去に使ったことのあるアビリティを模したものばかりだった。


『システムの補助を受けた攻撃は、彼我の距離から妥当な太刀筋を導き、それの通りに体を動かすだけだ。相手がシステムに詳しいなら、その太刀筋は見抜かれる。だからこそこうしてシステムの補助に頼らない能力の使い方を教えているんだ。それなのに、システムに似た動きばかりしていては意味がないだろう』

「確かにそうだ。だからって俺に武技の知識も素養もない。素人丸出しの動きをするくらいならアビリティを使った時のような体の動きを真似したほうが上達は早いと思ったんだよ。というか、システムらしい機械的な動きをしてるってわかったんならその時に指摘してくれてもよかっただろ……」


 疲弊しているところに、追い打ちをかけるように今まで間違った方法で訓練していたと指摘され、ハルトは困惑と怒り、そして強い疲労感に苛まれる。


『今更矯正は難しいか。となると、私にできるのはここまでが限界だな』

「なんだよ。まともな指摘もしなかったくせに、今更手遅れだって言いたのか? 俺に時間がないって知ってるだろ」

『ああ。そうだな』


 考える暇も与えられず、ただひたすら戦闘を繰り返させられる日々。自分の行動のフィードバックもろくに返してこないタルタロス相手に必死で食らいつき、短い思考の中でトライアンドエラーを繰り返した。そのほとんどが無意味だと言われれば苦痛も覚えるだろう。


「ふざけんなよ……現実でも仮想世界でもうまくいかないことばかり。なんなんだよ。俺が一体何をしたっていうんだ。こんな目に遭う理由なんて、何もないだろうが」


 足元がおぼつかず、眩暈を覚える。そんな状況で思い出すのは、彼の人生を変えたある事件。彼が現実に未練を覚えない原因だった。

 そうして彼が過去の出来事を強く意識した結果、予想外のところで被害が起こる。


『なんだ、これは? まずい……』


 その変化に巻き込まれたのは、彼の精神世界に居たタルタロスだった。しかし彼は異変に巻き込まれる前に何とか彼の精神世界から逃げ出す。


「……? いつ戻ってきた?」

『何かあったか? なんかあいつ(タルタロス)が焦ってるようだったが』

「さあな。あいつのことなんか知るかよ」


 Eの言葉に返事を返し終えたあと、精神世界に居る間には感じなかった不調に咳き込む。やはり体調は悪化している。これ以上彼らに付き合っている場合ではないだろう。

 幸いキーワードの宣言なしにアビリティ擬きを発動できるようになった。そういうことが可能だと教えてくれたことだけは長老とタルタロスに感謝してもいいと思う気持ちもあるが、それ以上に彼らに与えられた害や、不誠実さに対する不信感の方を強く感じていた。


『本当に何があった?』

「症状が悪化するほどの時間をかけておいて、俺の戦い方が役に立たないだとさ。指摘するならもっと早くにしろって話だ」

『……それは、ひどい話だな』


 Eが酷く心配するので、ハルトは仕方なく彼に事情を説明する。その話を聞いたEはハルトに同情しつつも、説明不足だと感じているのか、声には事情が分からないことに対する不満が滲んでいた。


「タルタロスが酷く怯えている。神獣が恐怖する様子何て見たことがない。おまえ、何をしたんだ?」

「不快なことをされたのは俺の方です。こちらからは特に何もしていませんよ」

「本当に?」

「何も知らないって言ってるだろ。怯えてても話くらいはできるんだろ? 詳しいこと聞きたかったらそいつから聞けばいいだろうが!」


 そのうえ長老から妙なことを聞かれる。確かになぜ精神世界から戻ってきたのかわからなかったが、タルタロスに何か起きたのだろうか。そんなことを思ったが、彼が何か不利益を被ったとしても気にする必要はないと考える。

 しつこい長老に八つ当たりと言われても仕方ないような形で怒鳴る。激しく叫んだからか再び咳き込むが、それを気にせずハルトは長老の部屋の扉に手をかける。


「どこに行く気なんだ?」

「もう付き合いきれない。これ以上症状が悪化すれば立っているだけで体力を消耗するだろう。たとえあんたらに場所を教えてもらえなくても、俺は神殿を目指します」


 一方的にそう告げたハルトは、扉を開けて廃れた教会を出る。久しぶりの外の景色。太陽の光に目をくらませ、慣れるまで少し待っていると、後ろから足音が聞こえてくる。


「……まだ何か用でも?」

「長老からついていくようにとの指示を受けました。神殿の場所も知っています」

「(道案内役か。あるいはただの監視か。嘘を吐いて間違った場所に案内されるようなら後で後悔させてやる)」


 未だにタルタロスとの実力差はある。しかし精神世界に引きずり込まれなければいいという対策法は分かっている。次戦うことがあっても手はあるだろう。とはいえ、戦わずに済むならそれに越したことはないのだが。


「わかりました。案内を頼みます」

「それではこちらへ」

「……とは言ったものの、その姿は目立つな」


 この教会の住民は、自我を得た素体であるデミたちだ。その1体であるこの道先案内人もまたデッサン人形のような外観であり、プレイヤー視点では非常に目立つ。通常プレイヤーには認識フィルターがかかるはずであり、そのうえこのエリアは主犯たちの手の及ばない管轄外。プレイヤーはほとんどいないとは思うのだが、リスクは減らしておきたかった。


「なるほど。だから長老はこれを私に手渡したわけですね」


 そんなハルトの言葉に、そのデミはそう反応し、プレイヤーがインベントリからものを取り出すときのように虚空からアイテムを手に取る。何かの結晶のように見えるものを手にした後、それはその結晶を手の中で握りつぶす。するとその体が点滅した後、それは素体から人へと姿を変えていた。


「ヒトというのは服や毛に覆われていて不思議ですね。慣れるには少しかかりそうですが、ひとまずはこれでよろしいでしょうか」

「……すまない。少し1人にさせてくれ」


 慣れない人の姿に髪の毛を撫でたり、服の裾を引っ張ってみたりしつつ、そのデミはハルトに問いかけるが、その反応は芳しくない。というのも、ハルトにとってそのデミが模った姿が、彼にとっては問題だった。

 理屈は分からないが、そのデミの姿はハルトが良く知る人物を模しており、そしてそれは彼のトラウマを刺激する相手だったのだ。


「何かご不満でもありましたか?」

「黙ってくれ。姿は、問題ない。目立つ容姿じゃない。でも、それとは別に少し落ち着く時間が欲しいんだ。頼むから1人にしてくれ」


 そういって一度彼女から離れ、茂みの中で木にもたれかかる。この気持ち悪さは体調不良だけが原因ではないのだろう。


「最悪だ。なんでよりによってあの姿に」

『動揺してるみたいだな』

「俺を恨んでるだろう相手だ。くそっ、仮想世界に来てまでその影を見ることになるなんて思わなかったよ。夢の中に出てくるだけでも苦痛だってのに……」


 ただ姿を借りただけ。中身は別物だ。そう分かっていてもその姿が視界に入るだけで罪悪感に押しつぶされそうになる。


「何もかもうまくいかないな……」


 それでもここで無意味な時間を過ごしている余裕はない。動揺が少し落ち着いたあたりで立ち上がると、教会の前に戻ってくる。

 ハルトが教会を出て神殿に向かうと決めたのはつい先ほどの話だ。ろくに別れを告げるような時間もなかっただろう。だから暇ができれば旅立ち前の挨拶でもしていると思ったが、そいつは律儀に教会の扉の前で待っていた。


「長老の話だと、戦闘もあり得る。別れは言わなくていいのか?」

「置いていかれては困りますから」

「そういうことじゃ……少しくらいなら待つ。今からでも挨拶くらいしてきたらどうだ?」

「挨拶なんてしていたら、少しの時間で済むとは思えませんよ」


 どうにも話がかみ合わない。しかし自分が案内するのだという強い意志はあるようだ。これ以上無理強いしても仕方ないとハルト側が折れ、そのまま出発することにする。


「わかった。……それで、名前は?」

「名前、ですか?」

「あー、その様子だとほかのデミ達同様に固有の名前は持たないのか。でもそれは不便だな」


 しかしそこで1つ問題が残る。彼女の呼び名だが、デミや素体といった言葉は使えない。となると彼女をどう呼べばいいのだろう。そう考え、ハルトは1つの名前を提案する。


「俺はおまえをミオと呼ぶことにする。代案があれば聞くが?」

「ミオ、ですか。いい響きです」

「そうだな。それには同意するよ」

「?」

「それじゃあ早速案内してくれ」

「わかりました」


 特に疑問も持たずにそのデミはすんなりと名前を受け入れる。その様子に、ハルトは自分で提案しておきながら、受け入れてほしくはなかったという気持ちもあったようで苦い表情をする。その表情にミオという名前になったデミは首を傾げるが、その様子をあえて見ないふりすると、ハルトはミオに案内を頼む。


 歩き出した2人の間に会話はなく、ハルトの頭の中では思考が巡る。

 長老とタルタロス。彼ら2体は、やろうと思えば自分を殺せるタイミングならいくらでもあったと思うだけに、無駄な訓練で時間を消耗させる理由はないと思っていた。単にプレイヤーに訓練をつけた経験がなかったため予想以上に時間がかかっただけだろう。理性ではそう思うのだが、訓練が無駄だったと告げたタルタロス態度は、訓練に耐えてきたハルトには許容しがたいものだった。


『落ち着け』

「(そんなに苛立ってたか?)」

『焦る気持ちは分かるが、冷静じゃないと足元掬われるぞ』

「(……そうだな)」


 衝動的な行動で事態が好転する可能性は低いと知っているし、自分が馬鹿なことをしている自覚もあった。しかしタルタロスの予想に反して訓練の成果が出なかったあたり、彼らの指示に従ってもうまくいくとは限らないことが分かった。つまり、彼らに従うのも、自分で道を切り開くのも、どちらも不確定ということ。それなら自分で活路を見出す方に賭けたいと思うのがハルトという男だった。

 そして彼らは神殿を目指す。本当にそこに毒の治療法があるのか。あったとして、施設が使える状態で残っているのか。不安要素を上げ始めればきりがない。それでも彼に前へ進む以外の道はなかった。

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