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作業員は疲弊していた。
「あいつ、まともじゃないな」
ヒュドラーの毒、本体ではなく眷属のものだからか効果は強くないが、それでも強力な保護機能を持つアバターを損傷させる危険な代物。たしかにメンテナンスをすることで延命はできるだろう。優秀な研究員の精神体による追加の保護で被害が抑えられてもいる。それでも彼は、まともな人間ならばとうに消耗して使い物にならなくなっていると感じていた。
その異常さを目の当たりにして精神的な疲労を覚えている。それに加えてアンデッドと災害級魔獣とNPCのキメラ体がぶつかり合う戦場の横で息を潜め、候補者の観測を続けることは、肝が据わっていないと難しい。
彼の戦闘スキルは低くない。しかし異常な火力を持つ熱線が無差別な軌道で放たれる状況では戦闘スキルなんて役に立たない。無事でいられるのかどうかは運頼みになる。
だからこそ無事に生きていることに誰かに感謝したいくらいにはツイている。彼はそう思うことで自分を慰めた。
「候補者ってのはみんなあんななのか? 俺には拒否権がない以上どうにもならないが、この先きつそうだな」
前線で戦うことがないからと言って楽かというとそうでもない。彼は彼の仕事をこなす。
ハルトの姿が消えたあと、メンテナンスが行われるエリアに残り、彼はインベントリから粉末を取り出し一帯に散布する。
その粉末の正体は、システム障害を引き起こす代物であり、彼らはそれを攪乱因子と呼んでいる。データ的にはワームと呼ばれる代物に近い代物であり、一帯のリソースに付着すると、増殖して元のデータが何かわかりにくくしたり、データ量を水増しして処理を難しくしたりする効果がある。元データに損害を与えないタイプの妨害工作であり、彼の上司から支給されていた代物となっている。
そんな彼だが、ハルトが遺物を入手したことに対して大きな反応は見せなかった。つまり彼には遺物に対する執着がないらしい。ということは遺物を発見する可能性がある存在が候補者というわけではなく、今回の事件は候補者が遺物と呼ばれる重要アイテムを手に入れたということなのだろう。
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ハルトがエリアから出て少しすると彼の背後に赤いラインが現れ、進入禁止のバツマークが並ぶ。どうやら脱出はギリギリ間に合ったらしい。
「なんとかなったらしいな」
『おつかれさん』
息切れしつつそうつぶやくと、気楽そうなEが返事して少しいら立つ。調子が悪そうだからと運んでいたが、実体化して自力で歩いてもらおうかと真剣に考えることになった。
「……そういえば、Eって呼んでたが、本名で呼んだほうがいいのか?」
『えっと、なるほど。唐突だな。……まあ、Eだと楽だ』
「オーケー」
そんなくだらないことを考えていた傍らで、ふと相手がEなのかエレオスなのか気になったハルトは直接彼に尋ねる。その問いに対するEの返事は今まで通りでいいというものだった。ハルトとしても呼び方を変えずに済むとわかって気が楽になる。
『じきにメンテナンスする連中がここに来るだろ。早いとこ離れるぞ』
「……メンテって、手動でやるものなのか?」
そう呟いてから、ハルトは違和感を覚える。少し考え、そしてその正体に気づいたハルトはEに尋ねる。
「そういえば、メンテナンスって言葉が通じるのか」
『あー、たぶん認識フィルター、もとい認識阻害が働かなくなった影響だろ。ほら、おまえにはあの研究施設が石が積み上げられた廃棄された砦か何かに見えてたんだろ。それの言葉版だ。……となると俺が言ってたことの一部はフィルターにかけられてまともに伝わってなかったのか。どおりで』
その話を聞いて、遺物というものがどれだけ影響力のある代物なのか気になってくる。そもそもハルトはEに言われ、自分の体を冒す毒を取り除くために役に立つと聞いていただけだ。実際の効果はよく知らない。
「とはいえ、確認作業はあとか」
『どうしたんだ?』
「いいや、なんでもない。今は移動が最優先だ」
とはいえインベントリからいつの間にか無くなっていた、なんてことが起きない限りは安全だ。それよりも先に、メンテナンスが行われているエリアからは離れたほうがいいだろう。そう考え、移動を再開するハルトたちだった。
どこを目指しているのか。あくまでメンテナンスのエリアから離れることを目的に行動していただけに、途中で一度立ち止まる。
「落ち着ける場所……なんてないか」
『考えてみればそうだな』
この姿では町に出入りすることは難しい。まだ森の中だが、この際いったん休憩でもいいかもしれない。
『というわけだ。そろそろ出てきたらどうだ?』
「なんの話だ?」
そう思った矢先、Eは突然誰かを呼ぶように声をかける。まさか怨念の中からもう1人連れてきたのではないか。正気に戻った魔族の誰かだとして、頭の中に響く声が増えるのは勘弁願いたい。そんなことを考えたが、それは的外れな思い込みだった。
「まあ、フィルターがかかってないなら接触しても問題ないか。それに、あの激戦のあと整備もせず置いとくのは不安だしな」
「あんた、誰?」
「おっと、構えないでくれ。まあ初対面の奴が何言ってもしかたないから、そいつに聞いてくれよ」
物陰から現れた男。それは頭を指さしながらそんなことをいう。そもそもEの呼びかけに応えるように現れたのも不自然だが、どうやらEの存在を認知しているらしい。
「(知ってるのか?)」
『作業員。名前までは知らないが、アバターの整備ができる珍しい奴だ』
「紹介どうも。いくつか文献漁らせてもらったが、案外すごい人だったんだな。エレオスさん」
『今の俺はEだ。次その名前で呼んだら殴る……こいつが』
「なんで俺がおまえの代わりに殴るんだよ」
『なんでって、今の俺様、体ないし』
「だからって俺が代わりに殴るって発想はどうにかしてくれ」
「ははっ、まあ気に障ったようなら謝る。次は呼ばないように肝に銘じておく」
『いけ好かないやつ。あ、情報漁ったとか言ってんなら、こいつに変なこと吹き込むなよ』
「変なことって? 自覚あるんだ」
『絶対いうんじゃないぞ!』
いつにもましてEが煩い。ハルトはそう思いつつ、彼がこれだけ気を許している相手なら、信用、とまではいかないまでも話をする分には問題ないだろうと判断する。
「話はわかった。でもなんで今になって出てきた?」
「さっきも言っただろ。認識フィルターがかかってるとまずい。具体的にどうまずいかっていうと、俺の存在をおまえさんは認知できない。透明人間どころか声すら届かない状態だった。今まで接触しなかったのは、ただそれだけの話だ」
飄々と語る彼の姿に軽い苛立ちを覚えるが、その軽薄そうな態度とは裏腹に淀みない言葉は嘘ではないように感じる。ハルトは彼について、信用はできないが、話を聞くくらいなら問題ないだろうと判断する。
「わかった。ひとまずその話が本当だと仮定して話を進めよう。でもその前に、呼び名が必要だ。作業員でもいいけど、味気ない。何より俺の名前だけ知られてるのが気に食わない」
「現実にもいそうな名前だけど、所詮はニックネームだろうに。……とはいえ作業員は妙か。なら俺のことはラルクと呼んでくれ」
「よろしく、ラルク」
監視対象から親切にされたことに違和感を覚えているのか、ラルクと名乗った男は頭を掻いた。
「ああ。それで本題なんだが、アバターの整備をさせてもらう」
「何度か話をしていたな。一体何なんだ?」
「アバターはプレイヤーの精神体を保護し、この仮想世界で活動できるようにする代物だ。通常はアバターが壊れれば、次のアバターに精神体を移動できる。……普通なら。でも遺物に触れて変化したアバターは別だ。補修・維持するしかない」
すらすらと語られる内容は常識では理解できず、把握するには限界がある。そんな唐突な話をまくしたてるように口にしつつ、しれっとハルトの背中に回っていたラルクは彼の背中の一部を押す。
「何を――」
「少しだけ眠っていてくれ。なに、起きるころには全部終わってる」
それに気づいたころには反応する間もなく、その言葉を最後にハルトの意識は途切れる。
『こんなやり方したら信用失うだろ』
「俺は慣れ合いたいわけじゃない。整備しないで高負荷が続くとガタが来るだろうから仕方なく出てきたんだよ。……とはいえ俺よりあんたのほうがこいつの体の消耗具合はわかってると思うんだがな」
Eに文句を言われつつ、ラルクは倒れかけたハルトをなれた様子で受け止めると、その体を地面に横たえる。
『……』
「まあ責めるのはお門違いかもしれないが、あの行動は間違いなく良くなかった。……とはいえ、あのまま戦ってたところで2人仲良くまとめてゲームオーバーになってたとも思うだけに、仕方ない行動だとは思うけどな」
そういいつつ、ラルクは作業をする。
彼が言っているのは呪いの話だ。通常ならば整備をするうえで厄介な状態異常であり、彼が忌避するものの1つである呪いだが、ハルトのアバターとなると話が違う。ヒュドラーの毒を抑える役割を持ち、アバターを維持するのに一役買っていた。
しかしアンダイング戦の途中、Eはハルトが脱ぎ捨てた呪いの集合体に残り、それを制御下に置くことで受肉を果たした。そして受肉した彼とハルトの2人で協力しアンダイングを倒したわけだが、そこで一点重要なことがある。それはEが受肉している間、ハルトの体がヒュドラーの毒に対して無防備な状態になっていたということだ。
それに加えて、強力な邪気を取り込み、精神体のハルトからアバターの主導権を奪い取られたのだ。高負荷がかかったのは間違いない。
『そこまで状態が酷いのか?』
「酷いなんて言葉で片づけられる状態じゃないな。たぶんパーツを取り換えたほうが早いくらいだ。でも、そんなことしたらせっかく手に入れた遺物の効果も失われる。わかってるよ。……まあそんなこと言ったら、俺よりおまえさんのほうがこいつの体の状態はよくわかってるのかもしれないがな。……だとしたらなんで俺に意見を聞いたんだ?」
『俺は専門家じゃない。だからあんたの知見ではなんとかなる見込みもあるのかなと思ったんだよ』
Eもその代償は認識している。ハルトに自覚はないが、それは感覚が麻痺し始めている証拠だ。判断力や知覚技能の劣化。それは影響がアバターの範囲に留まらず、精神体にまで及び始めたことを意味する。
『どれくらい持つ?』
「あと1週間かそこらだと思うが、こっちの予想は悉く外れる。まともに推測立てても裏切られそうだな」
『それは言えてる』
気休めのような言葉をかけられたEは本心をごまかそうとそれに乗っかるが、内心では気が気ではなかった。それはラルクの予想はEの予想とそう変わらなかったというのが大きい。希望的な考えをもって行動するのは手遅れになりかねない。むしろ強敵が現れ、Eがハルトの体を離れて実体化しなければならない状況に見舞われれば、再度呪いによる影響が失われ毒が進行。猶予が短くなる可能性があった。
「何考えてるかはなんとなく想像がつくが、やめてくれよ。すでに色々ごまかしてるんだ」
『善処したいところだが、日和って手遅れになったら悔いが残る。無茶することにはなりそうだな』
「勘弁してくれ」
Eの言葉に重いため息を吐くラルクだった。




