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ハルトが退屈を持て余していると、近づいてくる足音が聞こえてくる。イベントに進展があるのだろうかと期待する。とはいえ過去の足音はどれもほかの囚人への対応であり初めほどは期待できなくなっていた。
自分以外の相手に用があるキャラクターの方を振り向き反応するのは自意識過剰だろうか。そう思いそっけない態度をとろうかと思い顔は動かさず眼だけで看守の姿を追う。
しかしわざわざそんなことを試してみたときに限ってハルトに用がある相手が来たらしい。タイミングが合わないなと思いつつ、自身の牢屋の前で立ち止まった人物のほうを向く。
「あんたはこの前の」
「誰かと見間違いじゃないか。そんな痣の浮いた見た目の知り合いはいな――いや、もしかして君はあの時の……?」
そこに立っていたのは以前ヒュドラーの防衛イベント中にトレードを申し込んできたキャラクター。ハルトは名乗ってはいないが、アナウンス上はシキと書かれていたと記憶している相手だった。
しかし再会のしかたとしては最悪に近い。顔を合わせたのは短時間のことで覚えていないのも無理はないが、一度言葉を交わしただけの衛兵が自分の顔を覚えていてくれただけに、顔立ちや髪型、雰囲気では以前会ったことのあるプレイヤーかどうかを判別してもらえなかったことにショックを受ける。そして今の自分がどんな容姿をしているのかますます気になる。そんなに通常時と乖離しているのだろうか。
「俺はハルト。以前あんたに青の短剣を渡して、代わりに脇差しを受け取った奴だよ」
名乗っただけではわからないと思い、2人しか知らないような情報を付け加えてみると、相手は残っていた疑念が晴れたらしく、悩むような素振りはなりを潜め、代わりに驚いたような表情を浮かべる。
「あの場にほかの人はいなかったはず。となると君があの時の男だという証言には納得するしかないでしょう。しかし、そうなると一体この短期間で何があったのですか」
「やっと話を聞いてくれそうな相手が見つかった。必要があって裁かれるのは仕方ないが、事情説明すら聞いてもらえないのはさすがに堪える」
ハルトはプレイヤーだ。牢屋で過ごすのも永遠ではなく、リスポーンすれば制限は解除されるだろうと楽観的に考えている。そのため牢屋から出せと交渉する気はなく、NPC達と魔族の確執に巻き込まれてしまったというのなら、その流儀に沿って処罰を受けることになったとしても、それは彼の中でイベントでしかない。しかしいくら何でも自分の話を一つも聞いてもらえないとは思っていなかっただけに、NPC達の対応には不満があった。
そんな彼にとってシキの登場はありがたい。自分が人間だったころに接触のある人物が現れてくれたことに感謝しつつ、彼はダンジョンの話を踏まえて事情を語る。
ハルトが事情を語る間、シキは頭を抱えたり、考えに沈んだりする様子を見せる。話がまともに聞ける状態ではないと判断すれば話を中断し、必要があれば同じ話を何度か繰り返しもしてそれなりの時間を使うことになった。内心AIなら聞き返さずに処理できないものかと思わないこともなかったが、これも演出なのだろうか。演出でないならば何かイレギュラーな処理が発生して対応に困った結果会話で時間稼ぎをしているのかもしれない。ハルトは話と話の合間にそんな考えても仕方のないことを考察して時間を潰した。
――「事情はわかりました。そのうえで君が嘘をついていないかどうかを確かめるためにも、君の状態を確認させてもらいたい」
それなりの時間を消費して話し終えると、シキはハルトに対してそう告げる。状態の確認というと、プレイヤー的にはステータスの確認だろうか。呪いという状態異常についてNPCが診てくれるというのであれば、それは当初ギルドに出向いた目的を果たせるチャンスといえる。
「もちろん構わない。俺が魔族ではないと証明できればそれに越したことはないからな」
願ってもない機会に恵まれたことを感謝して返事をすると、シキは看守に話を通し、牢屋のカギを開けてもらうと中へと入ってくる。
手錠はつけられたままであり、相変わらずインベントリは開けない。抵抗する気はないが、これだけ警戒している魔族の部屋に入ることがあっさりと許可されたことに対しては驚く。確かに今のハルトは抵抗する手段に乏しく、シキは武装しているので、逃げることや彼を人質にとることはできそうにないが、ろくな話もできずに捕えた対応との差が腑に落ちない。
「それは?」
「邪気を払う護符です。君が本当の魔族であれば命に係わるくらいの効力があります」
ハルトの正面に立ったシキは懐から紙の束を取り出す。札には何かの文字が書かれている様子だが、ゲーム内の独自の言語なのか、あるいはただの飾りなのか。どちらにせよ読むことは叶わない。
彼としては自分は魔族ではないのだから警戒する必要はないと考え、その札がどのように使われるのか黙って観察する。
「失礼しますね」
そういって彼が札を張り付けたのは、ハルトの額。前髪を避けて肌に張り付けられた札は、磁石でもついているのかと思うくらい簡単に肌に張り付く。
【警告:V抗体破損。根源ダメージによりアバターが損傷しました。アバター機能「フィルター」に障害発生】
「うぐっ」
その瞬間に表示されたアナウンスを読むよりも先にハルトの体に異常が現れる。皮膚が紫色に変色し溶けていく。しかし黒い痣がある箇所だけはその異常が現れない。そんな黒い痣だが、こちらは護符の効果により少しずつ薄れ、失われていく。
何よりも異常なのはゲームにも関わらず痛覚があること。体が溶けるような痛みなんて感じる機会はないが、だからこそ突然体を襲った強烈な不快感と激痛に為すすべもなく蹂躙され、意識が遠のく。しかし途切れない痛みに気絶してもすぐに目を覚まさせられる。
いつまで続くのかわからない拷問じみた症状に苦しむことになったが、それは終わるのも唐突だった。
「何が起きてるんだ……剥がせば治るのか? くそっ、癒着してる」
【アバター機能復旧。フィルターは正常に機能しています】
それらの苦痛に比べれば細やかな痛みとともに額から何かを剥がされると、突然、先ほどまでの痛みが嘘だったかのように消える。ただ視界に映る溶けた体は治らない。唯一わかるのは、何か恐ろしいことが起きたことだけだ。
「魔族ならば邪気を浄化され灰化するはず。毒? だとしても何故急に」
「何が起きたんだ?」
声帯も溶けたのかしゃがれた声でそう口にするのが精いっぱい。無理に喋ったせいか咳き込み、痛覚制限が戻っている状況にも関わらず鈍い痛みを錯覚する。
「わからない」
「……」
「本当に何が起きているのかわからないんだ。魔族は滅びてから百数十年が経っている。一応こうして破邪の護符を作る技術は残されたけれど、こんな副作用があるとは聞いていない」
ハルトは瞼が閉じ切らず、痛覚制限がなければ瞳が乾く痛みに悶えていただろう瞳でシキを睨む。それでもシキは動揺するばかりでハルトの望む答えは返ってこない。
アバターの機能によって苦痛はないが、自分の身に起きている異常事態を放置することはできない。これが呪いの影響なのかそれ以外の何かなのか。突然襲った痛みに困惑し、恐怖を覚える。こんなことになるなら心構えをさせてほしかったと強く思う。
このゲームに閉じ込められたと知ったショックよりも酷い衝撃を受けた。何も備えていない状況で四肢が溶けて腐り落ちるような激痛を食らえば当然動揺し、怒りも沸くだろう。
ハルトが生きている世界、時代において、痛覚制限がないゲームは存在しない。そんなことをすれば人が死ぬ寸前の脳波サンプルを取って自殺シミュレーターみたいなものがまかり通る。行き過ぎたスリルは劇薬であり、強いパルスはショック死の原因にもなる。人名救助のシミュレーターなど一部痛覚を実装したものもあるにはあるが、ショックで危険な状態になった場合に備えて外部からシミュレーターからログアウトさせる手段がある特殊な機材と、そのシステムを起動させる応急手当が可能なスタッフの監視が必須条件となっている。
しかし先ほどの痛みはそういった制限とは無縁な本物に近い痛みだった。
初めから一貫して痛みのあるゲームならそれでもよかった。死んだり大きなけがをしないように慎重にレベルを上げるプレイスタイルを取るなり、引きこもって戦闘なんてしなければいいだけの話だ。しかしそれとこれとは事情が違う。機能していた痛覚制限が予告もなく無効化され、現実なら人が死ぬレベルの激痛に苛まれる。そんなものはゲームではなく、恐怖と隣り合わせの地獄でしかない。
「すまない。こんなことになるとは思っていなかった」
「そりゃそうだ。こんなことになるとわかってたんならそんなに動揺するわけないよな。もしその反省が演技なら、あんた役者に向いてるよ」
彼を責めても意味がないことはわかっている。それでも酷くおさまりが悪い。
溶けた体は軋み、動きが悪い。それほどの影響が出たのだから大ダメージを食らっているのかと思えばそんなことはなかった。ただ影響がなかったわけではないらしく、HPの上限値が下がっていたほか、俊敏性を筆頭にいくつかのステータスも低下している。
奇妙なのは、呪いによる継続ダメージと呪いの状態異常の表記も消えてなくなっていたことだろう。継続ダメージを受ける原因が消えたと思えば一見喜ばしい話にも思えるのだが、呪いの象徴である黒い痣は未だ健在。それどころか酷く状態が進行し、皮膚の肌色が見える面積の方が少なくなっている。その皮膚も、紫色に変質して溶け固まった惨状なのだが。
「せめて解決方法くらいないのか?」
「先ほど言った通り、こんな症状は見たことがない。聞いていた話とも違うし、サンプルがなさすぎる」
「いっそ邪気?とかそういうものとは無関係な、身体を治す方法でもいい。何かないのか?」
「……すまない。心当たりはないな」
悪態をつくハルトだが、こうして2人気まずい雰囲気のまま過ごしても埒が明かない。
「護符の作り方を知っている長老なら何か知っているかもしれない。僕の全身全霊をかけて治療法を探すから待っていてくれ」
「その前にここから出してくれないのか?」
「……これを言うのは酷だと思うが、この状況で君が魔族でないと証明する術はなくなってしまった。むしろその黒い肌は人々が想像する魔族の特徴に近い。下手に外を歩き回るよりも、ここにいるほうが安全だ」
危害を加えないようにギルド職員に口添えしておくと言って、シキは牢屋を出る。それを見た看守はそそくさとこちらを見ることなくカギを閉める。目を合わせたら呪われるという伝承でもあるのだろうかと思いつつ、今回に限ってはその不躾な対応に救われたのだろう。人の口に戸は立てられぬということわざもある。NPCならプレイヤーのプライバシーに配慮した行動をとってもらいたいものだが、このゲームにそんな期待をしても裏切られるのではないかと不安になるだけ。それならば初めから期待なんてしないほうが気楽だった。
独りになり、なんとなく心細さを感じる。先ほどまでなんてことはなかったが、治るのかわからない症状に侵されたまま、大して知りもしない相手に自分の命運をゆだねている状況は不安だった。
『----』
そんな気持ちで時間が過ぎ、頭がおかしくなりそうな時間を過ごしていると、何かが囁いているような声が聞こえたような気がする。
伏せていた顔を上げて周りを見回す。看守が声をかけてきたわけでもない。ほかの囚人の声だろうかと疑うが、耳をすませても何も聞こえてこない。とうとうおかしくなって幻聴が聞こえ始めたのだろう。そんな面白くなく、冗談で済ませるには笑えない文言が頭に浮かび、それを否定するように首を横に振る。体、もといアバターどころか心までおかしくなるのはごめんだった。
『――ぉぃ――』
「煩いな……なんなんだよ……」
『きこえてんじゃねぇか。無視されたからてっきり聞こえてねぇのかと思ったわ』
「……」
『おい、無視すんじゃねぇ。無視続けるようなら騒ぐぞ』
先ほどと違い静かに目線だけを動かしてみるが、特に何も見当たらない。本当に頭がおかしくなったらしいと乾いた笑い声をハルトはあげ天を仰ぐ。
『きーこーえーてーるーのーかー?』
「(……おまえ、何なんだ)」
『お、やっと反応した。で、俺様が誰なのか知りたいのか。まあ自己紹介は大切だよな。……そうだな、俺様は……ええと、Eとでも呼んでくれ。イイじゃなくてアルファベットのEな』
「(自己紹介は大事って自分で言っておいて、あからさまな偽名名乗るなよ。……俺はハルトだ)」
『丁寧な自己紹介どうも』
あんまりにも煩い声に、看守が反応しないことを疑問に感じたハルトは頭の中に言葉を浮かべてみる。すると身構えていたよりもあっさりと会話が成立し、ハルトはなんとも言えない気分なる。とはいえ喉の違和感を無視して会話できるというのは都合がよかった。
名乗れないというのが気がかりではあるものの、名前のある相手ということはハルトが多重人格者になったわけではないのだろう。そうなってもおかしくないショックな出来事があっただけに疑いが消えるわけではないが、なんとなく違うように感じる。
姿が見えず正体も不明なEと名乗る誰か。そんな怪しげな話し相手を手に入れたハルトは、気が狂いそうになる心細い時間を紛らわすように会話に意識を傾けるのだった。




