13
ハルトが目を覚ましたのは朝の5時頃のことだった。
寝た時刻は遅く、そのうえ倒れるように眠りに落ちたが、どういう仕掛けか寝覚めはいい。
「残り時間は短い。できることはしておきたいな」
そういってハルトは西に向かう。
静寂の森に来たハルトは、スライムやゴブリンの討伐でひとまずレベルを3まで上げる。それはステータスの上昇値を見るためだった。
「狩人のレベル5くらいになってるな。通りでハーウェンさんが強いわけだ」
確かに必要経験値は倍になっているが、それでも余りあるステータスの上昇率に、これなら狩人の時のステータスに追いつくまでそう時間はかからなさそうだという感想を抱く。
「このステータスなら、砂礫の荒野でもやっていけるか?」
ステータスだけ見れば不安が残るが、スキルのレベルや新たなアビリティを加味すれば、砂礫の荒野でも戦えるのではないか。そう考えたハルトはファーストリア草原でのテンポの悪い戦闘でのレベリングに見切りをつける。
そうして砂礫の荒野に向かう道中、ふと思い出したようにギルドに立ち寄ると、素材の売却ついでにポーションを買う。上級職に就いたことでHPは増え、通常のポーションでは回復が間に合わないが、凍結耐性のレベルが上がり受ける継続ダメージは軽減された。回復程度なら賄えるだろうということで10本ほど購入した。
その後向かった砂礫の荒野では、朝早いからか以前のような熱気は感じない。時間が経つにつれて気温が上がるのだろうが、青の短剣を使うなら気温が高い環境のほうが適している。
「まあダメージを受けることに変わりないなら誤差か」
とはいえ暑い環境に身を置いたところで凍傷の影響が軽減されたかといえばそういうこともない。青の短剣の冷気は空気を冷やすことはなく、接触したものに影響を及ぼす。その条件のせいか、異常に強力な冷気を纏っていた。
そんなことを考えつつ荒野を歩く。まだ気温が上がりきっていないからか活動的な魔物の質が前回と違う。暑さに耐えるのではなく隠れて過ごし夜に活動している魔物なのだろう。殻や厚い皮膚、外見を崩すほど大きな貯水機能を持たない4足歩行の魔物の姿が見える。狼というよりは虎に近いその魔物は、黄土色の毛皮を持ち遠目からだと見えづらい保護色になっていた。
「一番槍としてのまともな戦闘はこれが初めてだ。悪いけど、実力を測るのに使わせてもらうぞ」
青の短剣を取り出したハルトは気合を入れるために相手に向かって宣言する。その意味が分かったとは思えないが、侮られていることは理解したのだろう。魔物は咆哮をあげ素早いステップから攻撃を繰り出す。
「――ラピッドアクション」
牙が突き立てられる直前、ハルトの体は加速し、すれ違いざまに相手を切り裂く。傷はそれほど深くないが、青の短剣は相手を凍らせ動きを鈍らせる。予想外の状態異常を受けた魔物は着地もままならず地面を転がる。その隙を見逃さずハルトは身をひるがえし攻撃を仕掛ける。
「――ハードストライク」
一番槍に就いた時点で習得したそのアビリティは魔力を消費して通常攻撃の威力を底上げするというもの。青の短剣を使っていても耐久力がよほど低い相手でなければ倒しきれるかどうか不安が残る。それを解消するための一撃は相手の動体を大きく引き裂き、派手なエフェクトが散る。どうやら致命傷を与えたらしく、魔物は驚いたように目を見開いたまま光となって消えていった。
「相性は悪いのか。強力でも乱用はできそうにないな」
魔物が消えたことを確認してから青の短剣をインベントリにしまう。それから凍傷で動きの鈍った腕を空気にさらしつつステータスを確認してみると、ハードストライクの魔力消費量は10分の1程度だった。魔力は戦闘エリアでは自然回復しないため、町に戻らずに使えるのは連続10回ということになる。ただしレベルが上がれば魔力の総量は増えることもあり、ほかに魔力の使い道がない現在は消耗を気にする必要はないだろう。
ハードストライク自体の使い勝手は悪くない。ハルトはそう結論付けたにもかかわらず乱用できないと判断する。それは凍傷の継続ダメージ以上にHPが減っていたためだ。改めて確認すると冷えた右腕に赤い筋が入っており、何かしらの異常をきたしているのだが、どうやら凍った部位を用いた強攻撃は反動でダメージが入るらしい。
青の短剣で繰り出す強攻撃の威力は同格かそれ以上の魔物を簡単に倒してしまうほど強いが、連続使用にはリスクがあった。今回は赤い筋が入り多少ダメージを受けるだけで済んだものの、毒を受けた右腕が部位破壊され使い物にならなくなった経験があるため腕の状態は軽視できない。状態が悪化すれば右腕が使えなくなる可能性も十分にあった。
防御力が上がれば防げるのか。それとも地道に凍結耐性のレベルを上げるしかないのか。なんにせよデメリットのない手札が増えることはなかった。そのことを残念に思ったが、落ち込んでいる暇もない。最大火力を更新できたと前向きに考え、ハルトはレベリングを再開する。
――その後、買ったポーションの半分を使い、ラピッドアクションの使用に伴うスタミナの枯渇でもどかしい思いをしながらも、なんとか砂礫の荒野の敵相手に戦える状態まで持ってくることができた。
防衛イベントの開始まで残り1時間を切ったあたりで、戦闘を切り上げる。そのころには日も上り、これから暑くなりそうだという予感を覚えた。
少し遅かっただろうか。そんなことを思いつつ防衛戦の舞台となる北の門に来ると、すでにプレイヤーとNPCが集まっている。
まだ多少時間がある。そんな状況で、ハルトは並べた防具の手入れをしている人の姿を見つけ、声をかける。
「防具は余ってませんか?」
「兵士用の予備ならあるが、欲しいのか?」
「いくらで買えますか?」
「合わせくらいはやってやる。ついてこい」
ハルトが声をかけると、その整備士はゆっくりと立ち上がり、彼を呼び寄せる。それから腕や足の長さをメジャー図り、防具が詰められた箱の中から1つのチェーンメイルを取り出す。
「その様子だと分厚い金属板を着けても動きの邪魔になるだけだな。腕と脛そして肩から胸にかけてを最低限守る防具だ。相場は5,000G程度だが、2,000Gで貸してやる」
――生きて戻ってこい
整備士はハルトが差し出した代金を乱暴に受け取ると、一言そう告げ彼に防具を渡したのち作業場から追い出すように背中を押す。押し出されたあとハルトは持ち場に戻っていく整備士を見ていた。それは何気ない行動だったが、ゆっくりと地面に座るその姿がやけに印象的に映る。どうやら彼は腰か足に怪我をしているらしい。戦場に出れない彼が何を思って前線に残ったのかはわからないが、防具越しに戦場に向かう兵士への熱い思いを感じた。
彼は受け取った防具を身に着け動きを確認する。チェーンメイルはプレートよりは軽いものの布製の服と比べればはるかに重い。動きに違和感があり、慣れるまでには多少時間がかかるだろう。ファンタジーな世界なら金属より硬いが軽量な糸なんかもあるんだろうなと思いつつ、そういった素材を得られるのはもっと先の話だろうと割り切り、ないものねだりはやめた。
そうして運よく防具は手に入れたが、その一方でポーションの在庫はすべてなくなり補充はできなかった。上級職になってからのステータスはただのポーションで補えるほど低くないため、数を持っていたところで頼りないが、それでも手持ちの回復アイテムの少なさは懸念材料といえる。
「とはいえ、できる準備はもうないか」
砂礫の荒野での連戦での精神的な消耗を回復し、これから始まるイベントを前に感じている焦燥感や興奮を落ち着けるために休息をとる。今更無理なレベル上げをしてイベントに間に合わなかったり、最悪大きなミスをしてHPが削れた不完全な状態でイベントを開始するのは悪手だ。何もしない時間をもどかしく思いながら彼は時間が来るのを待つ。
【イベント開始まで残り10分です。参加者はイベントエリア内に集合してください。参加者以外は速やかにイベントエリアから退出してください。繰り返します――】
アナウンスとともに空のトーンが一段落ちる。突然雨でも降りだしそうな様相を見せる空に、ハルトは映画館で証明が落ちる瞬間を想起する。
エリアの端にはシステマチックな赤いラインが視界に映る。その光景は、リアリティのあるゲームだからこそ大きな違和感がある。
遠くでエリアボスの咆哮が響く。その振動は体の芯を揺さぶるようで恐怖を駆り立てる。
「付け焼刃がどれくらい通用するのかね……」
ハルトはほかのプレイヤーのレベルを知らないが、ここに立っているということは自信があるのだろうと思う。そんな中で彼の目標はエリアボスの討伐ではなく、辛酸をなめさせられた相手を打倒すること。視界には数十人のプレイヤーの姿が見え、これだけの数が集まっているなら1人で戦っている間にほかの魔物から横やりを入れられる心配をしなくて済むだろう。逆にとどめだけほかのプレイヤーに取られる心配をすべきなのかもしれないと思えるほどだ。
あの毒ガエルの魔物はボスでもなんでもないとわかっている。それでも強敵相手に勝てないのではないかと疑心暗鬼になる心の弱さを乗り越え、少しずつでも強くなれていることを確かめるためにはあの敵をこの手で倒すという儀式が必要だった。
【防衛イベントが開始されます】
【エリアボス『ヒュドラー』の登場につき制限が解除されます。第2防衛ラインが解放されました】
【戦闘を開始してください】
門が開き、我先にとプレイヤーが北のエリアへと飛び出していく。その波が収まるのを待ってNPCの隊列が進み始める。そんなNPCたちの先鋒を務めるのはリディクロム。彼は相変わらず目立つ長い黒髪をなびかせながらためらいなく前へと踏み出す。
足音が地面を揺らしているかのような錯覚を覚える行進の横で、ハルトも自分の戦いを始めるべく一足遅れて前線に向かう。
インベントリから取り出した青の短剣を握り、敵に振るう。相手は蛇のような魔物であり、すばしっこく、咬まれれば毒の状態異常を食らうだろう。ハルトはそんな相手をラピッドアクションで両断する。本来は滑る鱗も凍らせてしまえば問答無用。幸い防御力は低いらしい。
凍傷ダメージの蓄積が死神のように背後に忍び寄る。それから逃げるように走り、道を妨げる魔物を切り裂いて進む。すると赤いラインを踏み越える。
【第2防衛ラインを通過。ボスエリアに侵入しました】
そのアナウンスが終わるより前に視界に入ってきたのは、蛇とは違う魔物の姿。
「見つけた」
因縁のあるその毒ガエルの姿を見つけ、ハルトは歓喜する。今度こそそいつを倒す。そう思い敵に駆け寄るが、それよりも早く毒ガエルに小さな蛇が群がる。毒ガエルはその蛇を飲み込んだり毒で溶かそうとするが、その鱗は毒液を弾き、瞬く間にカエルは貪り食われる。そしてカエルはなぜか表現規制をすりぬけて骨へと変わった。
「『制限が解除されます』か。なんでわざわざこんなことを」
聞こえた当初は不明瞭だった制限の解除の意味を察し嫌な予感を覚える。しかしその正体に考えを巡らせる間もなく次の獲物を探し始めた蛇たちがハルトに迫りくる。
「いいや、そんなことどうでもいい。重要なのはそれじゃない」
しかしハルトにとって表現規制が解除されたことも、未知の蛇型の魔物の大群が押し寄せてくることもどうでもよかった。今の彼の内心は、せっかく見つけた目標を奪われたことに対する煮えくり返るような怒りに満ちている。それは迫りくる敵の大群への恐怖を塗りつぶすほど激しいものだった。
範囲攻撃ができる魔法を扱えないハルトは、1匹ずつ切り裂いていくしかない。しかし敵は濁流のように押し寄せきりがない。密集しているおかげで冷気が伝わりまとめて数体が行動不能になってくれるおかげでなんとか凌げてはいるが、捌くのも容易ではない。牙がかすれば毒を受ける。噛みつかれていないことやレベルは低いが毒耐性があるからか腕が麻痺したり腐り落ちることはないが凍傷と合わせてHPの減りは激しくなる。
飲むほうが効果は高いがその余裕もなくポーション瓶を握りつぶして液を浴びる。濡れた感覚は一瞬ですぐに体に吸収されて乾くが微々たる回復量に舌打ちする。
「鬱陶しいんだよ!」
苦戦を強いられるハルトだが、彼の調子とは相対的に青の短剣は魔物の血肉を浴びて刀身の輝きを増していく。しかし武器を振るう本人はその緩やかな変化に気づくことはなく戦闘は続く。
彼がそんなことをしている間に、ヒュドラー本体との戦闘は新たな局面を迎えようとしていた。




