第二十話 理不尽の権化
一体何が起きているんだ。少ない情報をもとに考える。
黒野さんの様子がおかしくなったのはつい先程だ。なんの前触れもなく、脈絡もなく、唐突に殺すなどと物騒なことを言い出した。
誰を?赤髪の女。ユティスさんであろうことはすぐに察した。
なぜ?盗み聞きされていて不快だったから。
この時点で、おかしい。正義の塊みたいな人物が、突然理不尽な理由で殺人をほのめかす発言。確実におかしい。
もしかしたら、黒野さんにとって盗み聞きとは万死に値する行為なのかもしれない。説得し、誤解をとけば、最悪ともいえるこの状況を脱することが出来るかもしれない。
未だ地に張り付いた顔を動かす。
背筋が凍るほどの無表情。先程まで見せていた喜怒哀楽の表情は嘘偽りか幻か。説得?無理だ。
途端に、初めてこの存在に遭った時のことを思い出す。違和感と、不安と、恐怖。
そう、恐怖だ。一目見た瞬間、僕はこの存在を恐怖した。いつの間にか忘れていたが、今ならはっきりと分かる。
捕食者と、被食者。存在の格が違う。別に卑屈になっているわけではない。何故か、分かるんだ。
「お前は俺に殺されるために生まれてきた」と言われたら、ああ、そうなんだろうなぁと納得してしまうだろう。おかしな感覚だ。そんなことをなぜ今の今まで忘れていたのか…。
強制同調。かの存在は「切るのを忘れていた」と言った。
強力な洗脳スキルと仮定する。すると辻褄が合う。
それまでコントロール出来なかった感情が、その一言の後に制御可能になった。同時に目の前の存在の異質さにも気付いた。いや、思い出せるようになったとでもいうべきか。
初めて僕に接触した時にスキルを発動。違和感と恐怖は追いやられ、賛同と共感、憧憬を経て、尊敬と心酔に至り、洗脳解除で再び思い出す。僕は被食者である、と。
なぜこんな回りくどい手続きをしたのか。かの存在は言った。
おかげで楽しめたよ。
猫は捕まえた獲物をいたぶる事があるんだっけか。理由は諸説あった気がするけど、今その詳細はどうでもいい。つまり、そういうことなのだろう。
「領主がなんだ!そんなことを気にしてる場合か!早く、逃げて、領民を避難させろ!殺されるぞ!」
頬が地に擦れるが、無視して叫ぶ。クリアな思考とは裏腹に、声量と口調は乱れていた。
当然だ。ユティスさんは命の恩人だ。
その命の恩人が、進んで死地に赴こうとしている。黙って見過ごせるはずがない。
「いやだな。無差別殺人者みたいな扱いをするなよ。まあ君は殺すけど。ついでにその女も」
相変わらず抑揚のない声だ。ひとかけらの感情すら窺うことが出来ない。
本来この口調であったものを、ああも感情豊かで頼れる存在だと誤認させるとは、強制同調というスキルは便利な代物だ。
「殺させはしない。タダヒトも、私も、領民も」
何でわからないんだ。勝てる相手に見えるのか。僕よりもずっと強いなら、何で察することが出来ないんだ。勝ち負けじゃない。戦いにすら、なるはずがない。
「馬鹿野郎!僕のことなんか放っておいて早くに」
「―黙って見てろ―」
分かった、静観を決め込むとしよう。もう騒ぐことはしない。
「精神干渉魔法『言霊』。便利だろ?さて、外野も大人しくなったことだし、一つ聞く。なぜ俺を尾けてきた」
「貴様は馬車に乗っていなかった。いつ現れたのかも判然としない不審人物が領内で拉致行為を働いた。これだけで充分な理由だとは思わないか?」
「なんだ、そんな理由か。でもひどいな。あんなに和気藹々と話していたのに拉致行為だなんてさ」
「なんの冗談だ?無表情で語る貴様が民家の裏手、果ては人目の届かぬ森まで誘導していったようにしか見えなかったぞ。異常に過ぎる光景だった。洗脳ならもっとうまくやるんだな」
「へぇ、魔法抵抗力がなかなか高いんだね。最果ての村だと思って油断してたよ。スキルレベルの調整を見誤ったかな」
「もういいか。ではこちらからも一つ問おう。なぜタダヒトと私を殺そうとしている。貴様の行動には一貫性がない。話せば分かるとは言わん。だが、このままだとこちらも手心を加えることは出来ない」
手心?何を甘いことを言っているんだ。食われる寸前のシマウマがライオンに対話を持ちかけるようなものだ。
滑稽に過ぎる。
「一貫性?あるよ。結構昔に決めたんだ。使える転生者は生かす。使えない転生者には、夢とロマンに溢れるこの世界の話を聞かせる。すると、みな一様に舞い上がって胸を躍らせるんだ。そこを絶望の底に叩き落として殺す。これはその一例さ。どうしてか聞きたい?もっと詳しく聞きたいなら話すよ。俺はこう見えても話し好きなんだ」
返答は、赤と銀の刃だった。
空を裂いて進む三日月型の斬撃は、しかし対象を捉えることなく霧散した。
二発の斬撃を皮切りに、数十の斬撃が男目掛けて放たれるが、そのいずれも男が突き出した右手の前で消滅する。
「なるほど、飛ぶ斬撃。風属性魔法を、詠唱のかわりに剣を振るうことで放ってるんだね。威力の減衰が課題の無詠唱に比べて、威力も連発性能も魔力消費も優れてる。魔法の発生速度も無詠唱に劣らない。だけど」
斜めに交差するよう大振りで振るわれた双剣から、極大の斬撃が見舞われる。周囲の木々、地面を裂きながら進む暴力的な刃は、やはり同様に男の手の前で音もなく消える。
「それだけだ。所詮、風魔法。話に聞いたときは面白そうだと思ったけど、種が割れるとつまらないね。他になにか面白い芸は無いの?」
破壊の嵐をいとも容易く消滅させた男は、変わらない無表情で次をねだる。煽りでも挑発でもなく、純粋な好奇心であるようだった。
「ハッ!」
双剣を重ね、大上段の構えから放たれた斬撃は、先程までの三日月型と違い、楕円の塊のような形をしていた。飛翔速度は先程の斬撃よりも緩やかで、攻撃性能はさほど高くないように見える。
またも男の手の前で消滅するかに思われたその塊は、炸裂し、数十の細かな斬撃へと姿を変え、一部はそのまま男の全身へ、一部はブーメランのような軌道でもって男の背後へと突き刺さ……らなかった。
体を切り刻むどころか、傷一つつけられずに全ての刃が消滅する。手品のように、跡形もなく。
「『魔術師殺しの聖域』。魔法になんて名前をつけようが編み出した人間の勝手だけどさ、どうかと思うよね。実用的だから別にいいんだけどさ。魔法じゃ俺は殺せない。さぁ、分かったら次を見せてよ」
自らの手の内を明かすのは余裕の表れなのか。いつまでも無表情を貫く男からは真意を汲み取ることは出来ない。
ここで初めてユティスさんが眉根を寄せた。魔法が通じないことに驚異を感じたのか、いつまでも攻めてこない男を訝しんでいるのか。
どちらにしても、判断が遅すぎる。
「シッ!」
身体を回転させ、双剣で数度地を抉る。同時に発生させた衝撃波は渦を巻き、砂塵を伴って男へと飛んでいく。瞬間的に発生した砂嵐は、男の周囲の視界と気配を奪い去る。
視界不良に陥るなか、辛うじて見えた。
砲弾のように飛び出したユティスさんは、自らが生み出した砂嵐を突っ切り、男がいた場所の数歩手前で跳躍し、背後へと降り立つと、流れるような動作で反転し、即座に双剣で首を刎ねる…直前に、先程まで対峙していた場所へと戻っていた。振るわれた双剣は空を裂くだけにとどまる。
ワープ。そんな単語が頭に浮かぶ。空間を直接跨いで移動させられたようにしか見えなかった。男のスキルであろうことは予想できる。詳細は不明だが、常識の埒外にあるスキルだ。なんにせよ奇襲は失敗した。
「違うよ。見たいのは目眩ましとか奇襲とかの兵法でもなければ、足さばきや剣術の腕でもない。生兵法は通用しないし、剣術も、俺から見たらお前は下の下、児戯と呼ぶにふさわしいものだよ。誰もが思い付かないような小手先の技術、もしくは唯一無二の切り札。それを奪わせてくれよ。あるだろ?無いの?なら、もう殺すけど」
抑揚のない声に、確かな殺意が混じる。いよいよ動き出そうとしたその時、銀の剣を鞘に戻し、赤の剣を顔の横に構えるユティスさんを見て再び直立不動の体勢に戻る。
あの巨大亀を葬った時に放った技の構えだ。剣の穂先は余裕の態度を崩さない男へと向いている。
そして、今回はあのときと違う。キィィンと甲高い音を立てて、剣全体に光が収束している。ゲームでよくある溜め行動のようなものだろうか。
溜めのない前回ですら凄まじい威力だったあの技を、万全の状態で放ったらどれ程の破壊が巻き起こるのか…。
そんな想像をしながらも、僕の心は確たる結果を予想していた。
剣が突き出された。目に焼き付くような暴力的な赤光が迸り、竜巻が発生したかのような暴風が吹き荒れる。
たまらず目を閉じた。男の魔法の影響なのか、凄まじい暴風の中にありながら、僕の体は地に張り付いたまま動かなかった。
しばらくし、風がやむ。
目が慣れてきたので周囲を見回すと、やはりというべきか、無傷の男が相変わらずの無表情で立っていた。
これだけの技を見舞っても、無傷。そう、傷一つない。常軌を逸した存在だ。だから言ったのだ。逃げろと。
「光と風の混合魔法。それも超上級を僅かの溜めで放つとは、驚いたよ。称賛に値する。これほどの使い手は、転生者でもそういるもんじゃないよ。戦争に参加したら単騎で状況をひっくり返せる才能があるよ。でも、さっきも言ったろ?魔法は、効かない。もっとも、今の四倍くらいの威力があったら魔術師殺しの聖域を貫けたかもね。さぁ、次だ」
化け物だ。ラノベに出てくるような最強キャラを、まんま持ってきたらこうなるのだろう。ゲームでいったら負けイベントだ。詰んでいる。
相手にすることがそもそもの間違いなんだ。逃げるしかないんだ。
「それだけの力がありながら、悪趣味な人殺しに手を染めるとはな。誰かに依頼でもされているのか?」
あれだけの大技が不発に終わったというのに雑談に興じるなんてずいぶんと余裕だ。まだ逃げる気にならないのか。
「ん?別に。他人から見れば悪趣味でも、俺にとっては生きるのに必要なことなんだよ。人を殺すのが目的じゃないんだ。殺される間際に発せられる絶望が、苦悩が、悲哀が、憎悪が、ただただ俺の糧になる。俺の生きる理由になってくれる。嘘じゃないよ?だから、何言ってるんだって顔で見るのはやめてほしいな」
「いや、対話を試みた自分を省みていたところだ。貴様だけは殺さなくてはならない」
宣言すると、握っていた赤の剣も腰の鞘にしまう。
フッと呼吸を整えて、一言。
「気炎万丈!」
淡く輝く赤いオーラを纏ったユティスさんは、次の瞬間消えていた。
数瞬遅れて衝撃波が到達した時に、既に地を蹴って切りかかっていたのだと理解した。
繰り広げられていたのは、剣を振るう手元がぶれて視認できないほどの高速戦闘。もはやアニメの世界だった。
攻撃をただ受け続けるだけだった男が、迎撃に回り、ついには一歩も動くことのなかった場所から跳躍し、後退した。
「第二ラウンドってところだね」
状況は変わった。だけど…どうしても好転したとは思えなかった。




