第31話 深まる謎と結ばれた絆
雲龍府を飲み込む霧は、いつしか冷たい雨へと姿を変えていた。
一行が雨を避けて逃げ込んだのは、街の外れにひっそりと佇む古びた道観であった。
「全く……雲龍府に着いて早々、これほど多くの刺客に歓迎されるとはな」
さすがの星宇の口からも軽口は消え、その表情には隠しきれぬ疲労が滲んでいる。
「しかし、奴らは何の目的で我々をここまで執拗に追うのか。南斗派か、あるいは北斗の身内か……」
烈華が、鞘に収めた大刀を傍らに置き、険しい顔で呟いた。北斗と南斗、そして未知の第三勢力。様々な可能性が頭をよぎる。
「彼らの衣服の胸もとに、見慣れぬ不思議な文様がありました」
それまで沈黙を守っていた鳳嵐が、冷静に指摘した。
浩然は床の埃を指先でなぞり、ひとつの図を描き出す。
「……このような紋ではなかったですか?」
「これだ! 浩然殿、何か心当たりがあるのか」
鳳嵐の問いに、浩然は静かに頷いた。
「これは、『紫微星(北極星)』を象ったものだと思われます」
浩然は、かつて鉄臂城で雑技師たちを惑わせた道士が、これと同じ紋を纏っていたことを説明した。
「道士といえば、紫霄山の麓にある豊穣村でも、村人たちが道士からもらった薬を使って毒入りの作物を育てていたわ」
玲玲も、あの時の不穏な光景を思い出して表情を曇らせる。
紫微の紋を身にまとう怪しい道士たち。そして、道中に現れる執拗な黒衣の刺客。点と点が繋がりそうで繋がらない焦燥感が、雨音と共に道観の中に満ちていた。
煤けた神像が静かに見守る中、束の間の休息のひととき。しかし、その静寂を破ったのは雷鳴でも雨音でもなく、泥にまみれ、死の気配を纏った「敵」の足音だった。
「伏兵か!」
星宇が鋭く叫び、扇を広げる。鳳嵐が抜剣し、烈華が断鉄を扉へと向けた。
立ち塞がるのは、深手を負い、肩で息をする三人の若い刺客。黒衣は裂け、瞳には絶望が張り付いている。
互いの殺気が頂点に達しようとした瞬間、ただ一人、緊迫感を霧散させる者がいた。
「おや、ひどい怪我だ。そのままだと傷が腐ってしまう」
「浩然様!? 彼らは敵ですよ!」
玲玲の制止も聞かず、浩然はふらりと間合いに入ると、あろうことか敵の前に膝をついて薬箱を開けた。
「……っ、近寄るな! 斬るぞ!」
刺客が震える手で短剣を突き出すが、浩然はそれを払うどころか、優しくその手首を掴んで傷口に薬を塗り始めた。
「動かないで。あなたが死んだら、故郷にいる母は悲しむだろう」
さらには、自分たちの貴重な保存食である干し肉をちぎると、呆然とする刺客の口に無理やり放り込んだ。
「さあ、しっかり噛んで。腹が空いていては、正しい判断もできません」
「…………」
鳳嵐は絶句し、剣先がわずかに下がった。名門魏家の若当主かつ、北斗派の参謀として生きてきた彼にとって、あまりにも受け入れ難い行動だった。
(……おい、薬売り。おまえは自分が何をしているか分かっているのか? 傷が治れば、彼らはまたおまえの背中を刺すのだぞ)
鳳嵐は、浩然のあまりに隙だらけな様子と、自己犠牲を「当然の日常」としている感覚に、恐怖すら覚え始めていた。
(この男、剣の腕は確かだが……中身が空っぽの赤子か何かか!? 私が四六時中見張っていないと、明日には道端の詐欺師に全財産を渡して野垂れ死ぬに違いない!)
「甘すぎる!」と吐き捨てていた烈華も、剣を収められずにいる。
だが、異変はすぐに起きた。
治療を受け、肉を食わされた刺客たちが、浩然が何気なく口ずさんだ南斗の古い子守唄を聞くうちに、ボロボロと大粒の涙をこぼし始めたのだ。
「俺たちは……逆らえば家族を殺すと脅されて……本当は、こんな戦い、したくなかった……!」
彼らは、浩然の「甘さ」に触れたことで、凍りついていた人の心を取り戻してしまった。
「……あんた、馬鹿だよ。俺たちみたいな汚れ者に、こんな……っ。……礼だ。この先、二つ目の曲がり角に気をつけな。火薬を仕掛けてる。……枯れ井戸の底が、唯一の抜け道だ……」
自ら情報を差し出す刺客たちを見つめ、烈華は刀を静かに下ろした。
(……力でねじ伏せるより、ずっと確実に『敵』を消したというのか)
彼女が今まで「弱さ」だと思っていた浩然の甘さが、実は絶望という名の病を治す唯一の薬であることを、彼女は初めて理解した。
雨が上がった頃、黒衣の者たちは浩然に深く頭を下げ、霧の山へと去っていった。
鳳嵐はこめかみを指で押さえ、隣の星宇に力なく囁いた。
「星宇殿……。あのお節介、今後も続くのだろうな。……私が完璧な護衛計画を立て直す必要がある。あいつが変な詐欺師に捕まらないよう、私が盾にならねば」
「はは。鳳嵐、お前、もうすっかり『飼い主』の顔だな」
烈華は、珍しく浩然の肩を軽く叩いた。
「浩然。……あんたのやり方は、私の刀よりずっと痛いな。だが、悪くない。これからは、あんたが治療に専念できるよう、私が周囲の雑草を全部刈り取ってやる」
「えっ、雑草? 薬草なら大歓迎ですよ、烈華殿!」
浩然の相変わらずの天然ぶりに、玲玲が深い、深い溜息をつく。
「鳳嵐様、烈華姉様……。私のこれまでの苦労が、やっとお分かり頂けたかしら……」
こうして、北斗派の「過保護連合」は、浩然という名の「危なっかしい大型犬」を守るための、鉄壁の団結力を手に入れたのであった。




