第26話 理を超えた贈り物
「……納得がいかない。断じて、計算が合わぬ」
翌朝。鳳嵐は宿の回廊で、玲玲と楽しげに談笑する浩然を睨みつけていた。
玲玲は、昨夜浩然が渡した粗末な薬草の包みを大切そうに持ち、浩然の語る「旅の道端に咲く花の話」に、まるで珠玉の詩文を聞くかのように聞き入っている。
鳳嵐の目には、その光景が耐え難い不調和に映った。
陽光を浴びて輝く名門の令嬢と、古びた薬箱を背負い、着古した衣を纏った正体不明の男。どう見ても「月とすっぽん」、あるいは「真珠と泥団子」ではないか。
(玲玲殿は、あの野良犬の毒気に当てられているだけだ。私が目を覚まさせてやらねば……!)
鳳嵐は乱れた前髪をと整え直すと、二人を割るようにして割って入った。
「呉殿。少し、貴殿と二人で話をしたい」
鳳嵐は玲玲を遠ざけると、浩然を人気のない庭の隅へと連れ出した。その鋭い眼光は、まるで冷たい刃のようだ。
「単刀直入に言おう。君は玲玲殿にふさわしくない。君が彼女に与えられるのは、道端の雑草と、せいぜいその日暮らしの不安だけだ。これ以上彼女を惑わすというなら、私にも考えがある」
高圧的な態度で詰め寄る鳳嵐。並の男ならその威圧感に震え上がるところだが、浩然は驚いたように瞬きをしただけだった。
「……鳳嵐殿」
「なんだ。言い訳なら聞かぬぞ」
鳳嵐がさらに畳み掛けようとした、その時。
浩然が不意に一歩踏み込み、鳳嵐の顔を覗き込んできた。
「……鳳嵐殿、顔色が非常に悪いですよ。目の下に隈があり、唇も少し乾いている。……昨夜はあまり眠れなかったのでは? さては、慣れない旅の心労が胃に来ていますね?」
「な、何を……!? 私は今真剣な話を……っ」
「いけませんよ、無理をしては。これを」
浩然は、鳳嵐の言葉を全く聞いていない様子で、手際よく薬箱から一粒の丸薬を取り出した。
「これは私が調合した『清胃丹』です。胃の熱を下げ、高ぶった気を静める効果があります。鳳嵐殿は自分を追い込みすぎる傾向にありますから」
「……ふん、あやしげな泥団子など飲むか! そもそも、私はどこも悪く……」
鳳嵐が突き返そうとした瞬間、彼の腹が「キュウ……」と、情けない音を立てた。
あまりの完璧主義ゆえに、昨夜の「敗北」によるショックで、彼の繊細な胃腸は密かに悲鳴を上げていたのである。
「さあ、水ならここにありますよ」
浩然の、一点の曇りもない本気の心配。その濁りのない瞳に見つめられ、鳳嵐は振り上げた拳の行き場を失った。
(……この男、私に追い払われようとしている最中だというのに、なぜ私を助けようとするのだ。……阿呆なのか? それとも、底なしの善人なのか……!?)
毒気を完全に抜かれた鳳嵐は、忌々しげに、けれど抗えぬまま、渡された丸薬を口に放り込んだ。
喉を通る薬は驚くほど清涼感に満ちており、キリキリと痛んでいた胃の腑が楽になっていく。
「……鳳嵐殿、少しは落ち着きましたか?」
「…………。……一分だけ、マシになった」
鳳嵐はそっぽを向き、乱暴に髪を掻いた。
追い払うどころか、またしても「薬売り」の世話になってしまった。この男を敵視すればするほど、自分のペースが乱れ、結果的に救われてしまうという屈辱。
「……だが、勘違いするなよ! 薬の恩と、玲玲殿のことは別問題だ!」
捨て台詞を残して立ち去る鳳嵐の背中を、浩然は「おやおや、やっぱりお疲れなんだな」と、のんびりした顔で見送った。
最強の貴公子が、ただの薬売りの「お節介」に毒気を抜かれ、胃袋(というより胃の健康)を掴まれ始めていたことに、本人が気づくのはまだ先の話であった。
◇
蓮華府の喧騒を離れ、運河沿いの静かな裏通り。
「過保護連合」としての任務(という名の浩然の監視)を鳳嵐に押し付けた星宇は、隣を歩く烈華の機嫌を伺うように、懐から小さな紅い布包みを取り出した。
「ほら、烈華。さっきの市場で見つけたんだ。君に似合うと思ってさ」
差し出されたのは、蓮の花を象った琥珀色の髪飾りだった。繊細な彫り込みが施され、夕陽を浴びて蜜のような柔らかな光を放っている。
「……私は武芸者だ。こんな脆い細工、実戦では何の役にも立たない」
烈華はいつもの無愛想な声で切り捨てようとした。だが、その視線が琥珀の輝きに触れた瞬間――。
漆黒の瞳が、ほんの一刹那だけ、夜空に走る流星のようにキラリと、少女のような期待に満ちて輝いた。
「おっ、烈華ちゃん。今、目がキラキラしたろ? 図星だねぇ。素直に『星、ありがとう。とっても嬉しいわ』って甘えてくれれば、もっと張り切っちゃうんだけどな……」
星宇が勝ち誇ったようなニヤニヤ顔で顔を近づけた、その直後だった。
「――あだだだだ! 烈華、烈華! 骨が! 骨が折れる! 腕が変な方向に曲がってる!!」
烈華の電光石火の早業が、星宇の右腕を完璧な角度で極めていた。
「……誰が、誰に甘えると言った」
「い、言ってない! 私が勝手に幻覚を見ただけだ! だからその、関節を戻して……! 筋肉が悲鳴を上げてる……!」
「……ふん。没収だ」
烈華は星宇の腕を乱暴に放り出すと、髪飾りをひったくるように奪い取り、足早に歩き出した。
「痛たた……。ったく、可愛げがない。……けど、まあ」
星宇はしびれる右腕をさすりながら、前を行く彼女の背中を見つめた。
烈華の耳元。きっちりと結い上げられた無骨な髪の隙間に、さっきの琥珀の蓮が、照れ隠しのようにひっそりと揺れている。
「……あんなに必死に隠さなくても、バレバレなんだけどね」
星宇は再び人を食ったような笑みを浮かべると、今度は関節技をきめられない程度の距離を保ちつつ、愛しい恋人の背中を追う。
一方の烈華は、自分の耳が熱を帯びていることを感じながら、心の中で毒づいていた。
(……星の奴め。あんな顔で笑えば、何でも許されると思っているのか。……次は、首を折ってやる)
彼女の握りしめた拳は少しだけ震えていたが、その表情には、日頃は見せないような微かな、本当に微かな喜びが滲んでいた。




