第25話 それぞれの愛の形
騒ぎが収まり、一行は再び酒楼の席に戻った。
星宇は運河の風に髪をなびかせ、いかにも「自分がすべてを解決した」と言わんばかりの顔で、優雅に扇子を扇いでみせる。
「いいかい、玲玲。男ってのはね、私みたいに顔が良くて、金があって、どんな窮地でも余裕を崩さない……そういう生き物のことを言うんだ。
浩然殿みたいに、行き倒れに自分の飯まであげてしまうようなお人好しは、見ていてハラハラするからね。悪いけど、恋愛対象としては選外だよ、残念!」
星宇はニヤリと人を食ったような笑みを浮かべ、わざとらしく二人の反応を伺うようにからかった。
浩然は「はは、手厳しいですね……」と困ったように頬を掻き、玲玲は「兄様、またそんな意地悪を……!」と顔を赤くする。
だが、その軽口が完遂されることはなかった。
「……星」
低く、温度のない声が響くと同時に、星宇の扇子の端を烈華の箸が鋭く押さえつけた。
「痛っ……! 烈華、扇子が折れる、折れるって!」
「黙れ。口を動かす暇があるなら、この不味い酒をさっさと飲み干せ」
星宇の軽薄な言動を数秒で遮断し、冷徹な一瞥をくれる烈華。その淀みのない所作に、浩然は目を丸くして感嘆の溜息を漏らした。
「……えっと。星宇殿と烈華さんは、その……恋人、なのですか?」
浩然の純粋な問いに、鳳嵐が剥き終えたばかりの蓮の実を口に放り込みながら、冷静な口調で補足を入れる。
「正確には将来の伴侶ですが、本質的には『猛獣使いと猛獣』ですね。星宇殿が今のように浮ついたことを口にしたり、他所の女性に鼻の下を伸ばしたりすれば、物理的に烈華殿の制裁が飛びます。
……まあ、一種の自然摂理のようなものです」
「なるほど、自然摂理……」
浩然は深く納得したように頷き、再び烈華に押さえつけられて悶絶している星宇を、生暖かい目で見つめた。
「玲玲、あのお二人……とてもお似合いですね」
「ええ、本当に。……兄様のそばに烈華姉様がいてくれて本当に良かったですわ」
「おい玲玲!? 兄を売るのか!?」
わめく星宇を余所に、烈華は平然と茶を啜り、鳳嵐は「非効率な痴話喧嘩だ」と毒づきながらも、また新しい蓮の実に手を伸ばしている。
蓮華府の午後は、こうして賑やかに、そして少しだけ騒がしく過ぎていくのであった。
◇
その夜、宿の庭園には涼やかな風が吹き抜けていた。
鳳嵐は、月明かりの下でまばゆい輝きを放つ漆塗りの箱を、恭しく玲玲の前へと差し出した。
「玲玲殿。君の類まれなる美しさを引き立てるために、街で一番の品を選んできた。」
箱の中から現れたのは、光の加減で文様が浮き出る最高級の反物と、宝石のように細工された色とりどりの菓子。
そのあまりの豪華さに、玲玲は「まあ……!」と感嘆の声を漏らし、瞳を輝かせた。
鳳嵐は満足げに顎を引き、傍らで薬箱を整理していた浩然を、勝利を確信した視線で射抜く。
「……呉殿。これらは真の目利きが、相応の対価を払って初めて手に入れられるものだ。君のようなしがない薬売りには、到底用意できないものだろう?」
「ええ、さすが鳳嵐殿、素晴らしい審美眼だ。私には逆立ちしても真似できませんよ」
浩然は、嫌味を柳に風と受け流しながら、懐から小さな紙包みを取り出した。
「そうだ、玲玲。これは市場の隅で安かったから買ってきたんだが、冷え性の薬草だ。君は夜になると足元が冷えるだろう。煎じておいた」
「……薬草、ですか?」
玲玲が不思議そうに首を傾げると、鳳嵐は鼻で笑った。
「雑草と見紛うような代物だな。玲玲殿、そのような苦いだけの泥水を飲むより、この都一番の甘味を――」
しかし、その夜。
鳳嵐が目撃したのは、自分の想像を絶する光景だった。
宿の縁側に腰掛けた玲玲は、鳳嵐が贈った豪華な反物を大切そうに膝に置きつつも、その手には浩然が淹れた、湯気の立つ粗末な湯呑みを握り締めていた。
「……浩然様ったら、本当にお節介なんだから。こんなに苦いお茶、普通は好んで飲みませんよ」
玲玲は文句を言いながらも、その顔には、鳳嵐に見せたことのないほど甘やかで、心からの安堵が滲む微笑みが浮かんでいた。彼女はふーふーと茶を冷ますと、宝物でも味わうかのように、最後の一滴まで嬉しそうに飲み干したのである。
物陰からその様子を窺っていた鳳嵐は、衝撃のあまりその場に崩れ落ちそうになった。
「……嘘だ。私の……私が心血を注いで選んだ最高級の反物が、あんな道端の雑草に負けるというのか……!?」
あまりの狼狽に、普段は一分の乱れもなくきっちりと結い上げられた彼の髪が、数筋ハラリと額に落ちる。
「……計算が合わない。……愛の重さは、市場価格に比例するはずではないのか……!」
夜風に揺れる彼の肩は、月光を浴びていつになく小さく見えた。
一方、部屋の中では、浩然が「明日も足元を冷やさないように」と、玲玲の靴の中にさらりと温熱効果のある薬布を仕込んでいた。
その無自覚な「生活密着型の愛」の前に、貴公子の美学は無慈悲にも粉砕され続けるのであった。




