第24話 料理の理、不揃いの団欒
「料理とは、理の調和。完璧な熱量と時間の制御があれば、自ずと至高の味へと至るのです」
蓮華府の静かな湖畔。鳳嵐は袖を白雪のような布で捲り上げ、大真面目な顔で卵と向き合っていた。
その手付きは、まるで国宝の器を扱うかのように慎重で、一分の隙もない。彼は玲玲に、野良犬のような薬売りの食事ではなく、洗練された味を教えようとしていたのだ。
しかし、完璧主義の歯車は、日常という些細な砂利に狂わされる。
「……む。この卵、殻の構造が予想より脆いな」
気合を入れて指先に込めた内力が、卵の殻を粉砕した。鳳嵐は眉一つ動かさず、鑷子で砂金でも拾うかのように殻の破片を取り除き始めたが、その作業に没頭するあまり、鍋の温度が限界を超えていることに気づかない。
「鳳嵐様、なんだか香ばしい匂いが……」
玲玲が心配そうに覗き込んだ瞬間、鳳嵐はハッとして、優雅な動作で鍋を火から下ろした。
「……問題ありません。これは『焦がし』という、技法の一環です」
そう言って差し出されたのは、表面が陶器のように滑らかで、けれど箸が折れそうなほど硬く焼き締まった「黄金の円盤」であった。
「まあ……。凄く……強そうな食べ物ですわね」
玲玲が困惑したように微笑んだ、その時。
「おや、玲玲。お腹が空いたでしょう。残り物で良ければ、これを」
ひょっこりと現れた浩然が、竹の皮に包まれた黄色い塊を差し出した。
それは、浩然が焚き火の片隅で、適当な出汁と塩だけで焼いた不格好な卵焼きだった。見た目は鳳嵐の芸術品には遠く及ばないが、湯気と共に立ち上る香りは、理屈抜きに胃袋を刺激する。
「あ、これ! 前に浩然様が作ってくださった、あの優しい味……! いただきますわ」
玲玲は嬉しそうに、その「不格好な塊」を頬張った。
「美味しい……! なんだか、ホッとします」
鳳嵐は、自分の作った「完璧なはずの円盤」を手に、愕然と立ち尽くした。
自分の美学も、計算された熱量も、薄汚れた薬売りが鼻歌混じりに作った「ただの料理」に、いとも容易く敗北したのだ。
「……浩然殿。貴殿、その卵にどのような隠し味を仕込んだ。言え、どのような秘伝の薬を……!」
「はは、隠し味なんてありませんよ。ただ、玲玲が少し疲れているようだったので、甘みを強めにしただけです」
「甘み……。……計算、外だ……」
鳳嵐は、夕陽に向かって力なく呟いた。
玲玲の好みを熟知し、呼吸をするようにそれを形にする浩然。その「日常の強さ」こそが、鳳嵐にとって最も攻略の難しい絶壁であることを、彼はまだ認められずにいるのであった。
◇
蓮華府の活気ある運河沿いで、事件は起きた。
浩然が、地元のゴロツキたちに絡まれていた貧しい物売りの少年を助けようと、ひょっこりと割って入ったのだ。
「これこれ、皆さん。喧嘩はいけませんよ。この子の売り物を弁償すれば済む話ではありませんか」
腰を低くし、薬箱を背負って微笑む浩然。
だが、相手は街でも有名な荒くれ者たちである。当然、話し合いで済むはずもなく、男たちは「ああん? 何だおめえは!」と拳を振り上げた。
酒楼の二階からその様子を見ていた一行の反応は、冷ややかなものだった。
「……あのお人好し。案の定、また自分から揉め事に首を突っ込んだな」
星宇は呆れたように扇子で額を叩く。
「……腰抜けめ。あんな雑魚、言葉を交わす前に叩き伏せれば済むものを」
烈華が、興味なさげに断鉄の柄を弄びながら吐き捨てた。
「全く、非効率の極みだ。あのような野良犬に関わって、我々の正体が露呈したらどうするつもりだ。……いいですか玲玲殿、あれが『無策』というものの見本ですよ」
鳳嵐もまた、冷たい眼差しを浩然に向けていた。
だが、当の玲玲は、今にも殴られそうな浩然を見て、真っ青な顔で立ち上がった。
「大変……! 浩然様、お怪我をなさるわ! 兄様、鳳嵐様、お願いです、浩然様を助けてあげて!」
「……ちっ」
「……やれやれ」
玲玲に縋るような目で見つめられた瞬間、二人の男の動きが止まった。
浩然がどうなろうと知ったことではない。だが、「玲玲を悲しませること」だけは、彼らの自尊心が許さなかったのである。
「……鳳嵐殿。私はあっちの三人を片付ける。君はは、あの馬鹿が殴られないように盾になれ」
「断る。私が盾など……! 私が五人を『排除』する。貴殿は、玲玲殿がこれ以上不安にならないよう、あのお節介な男を回収してください」
二人は猛烈な勢いで言い合いをしながらも、同時に窓から飛び降りた。
そこからは、目にも留まらぬ速さの蹂躙であった。
鳳嵐が優雅な身のこなしでゴロツキの武器をすべて弾き飛ばし、星宇が流れるような体術で男たちを次々と運河へ叩き込んでいく。
浩然が「おや、皆さん! 助けてくださるのですか?」と呑気に声をかける間もなく、周囲には静寂が訪れた。
結局、ゴロツキを全滅させた二人は、肩を並べて浩然の前に立ち、同時に深いため息をついた。
「浩然殿。……二度と言うつもりはないが、君が危うい目にあうたびに、玲玲の寿命が縮むんだ。いい加減にしてくれ」
「そうだ。貴殿を守るために私が内力を使うなど、計算外にも程がある。……いいか、これは貴殿のためではない。すべては玲玲殿のためだ!」
図らずも、「玲玲の平穏を守るために、仕方なく浩然を助ける」という奇妙な共闘関係が成立した瞬間であった。
それを見守る烈華は、酒杯を干しながら、憐れむような目を二人に向けた。
「……お熱いことで。結局、あの薬売りの掌で踊らされているのは、どっちだか」
「過保護連合、結成だな」
星宇がぼそりと呟き、鳳嵐が「そんな不名誉な名前で呼ばないでいただきたい!」と噛み付く。
その横で、浩然は「皆さん、本当にお優しいですねえ」と、何も気づかない様子で少年に薬を分け与えていた。




