表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星漢共鳴曲  作者: ふじま
第2章
PR
13/31

第13話 見返りのない慈愛

碧水府へきすいふへの道中も浩然ハオランはありとあらゆる人の世話を焼き続けた。しかし浩然の「お節介」は、常に感謝されるわけではなかった。


拾った仔犬の飼い主を探せば「余裕などない」と罵声を浴びせられ、迷子を親元へ送り届ければ、かえって誘拐の疑いをかけられ突き飛ばされるのこともあった。 

それでも浩然は、翌日にはまた別の誰かのために走り回る。


その夜、彼は唯一の食糧であった饅頭を物乞いの子供に譲り、自身は一晩中腹の虫を鳴らしていた。

蒼白い月を見上げ、ひもじさを誤魔化すように寂しげに微笑む彼を見て、玲玲リンリンはたまらず問いかけた。


「……浩然様、どうしてそこまで。貴方を傷つける人たちまで、なぜ救おうとするのですか?」


浩然はしばらく沈黙した後、ぽつりと漏らした。 


「……母を亡くした時の話をしただろう。あの日、私はただ、母の後ろに隠れて震えていただけだった」

「それは、仕方のないことですわ。貴方はまだ、子供だったのですから」


玲玲の慰めに、浩然は自嘲気味に、力なく笑った。


「救えなかった母の分まで、誰かを救いたい――そう思っているのかもしれないな」


だが、その瞳の奥には、言いようのないくらい闇が揺れていた。

浩然の脳裏には今も、鮮明な光景が焼き付いている。賊に襲われ、血を流し力尽きていく母の姿。言いつけ通りに身を隠し、呼吸さえ殺して、ただそれを見ていることしかできなかった幼き日の自分。

『もっと強ければ』『せめておとりにさえなれていれば』――その烈火のような後悔が、今も彼を自己犠牲へと駆り立てる。


毒に侵され、体が動かなくなることを彼がこれほどまでに恐れるのは、死が怖いからではない。動けなくなることは即ち、あの日、母を見殺しにするしかなかった「無力な子供」に戻ることを意味するからだ。 


玲玲は、彼の穏やかな微笑みの裏にある、血を流し続けるような傷跡に気づいてしまった。

彼の優しさは、慈愛ではなく、自分を許せないがゆえの「痛み」に基づいている。


(ああ、この人は。……自分を救うために、誰かを救い続けているのだわ)


玲玲の胸の奥が、ちりちりと焼けるように痛んだ。

憧れていた「強い背中」が、今は守ってあげたいほどに脆く、愛おしいものに見えていた。



毒に侵された身体での休む間もない旅路は、浩然の心身を確実に削り取っていた。表向きは普段通りの飄々とした態度を崩さない彼だったが、ふとした瞬間の眼差しや、わずかに乱れる呼吸の端々に、隠しきれぬ疲労が滲んでいる。


玲玲は、そんな彼の背中をずっと案じていた。

宿へ着き、部屋のともしびが静かに揺れるなか、彼女は迷うことなく愛用の琵琶「麗弦リーシェン」を引き寄せた。その指先が弦を弾くと、部屋の隅々にまで、染み入るような清らかな旋律が満ちていく。

浩然の顔色に浮かぶ土気色の陰りを見逃さず、彼女は奏でる手を止めることなく、真っ直ぐに彼を見つめて告げた。


「浩然様……貴方が苦しげな顔をされていると、私の胸も、同じように痛むのです。だから、どうか今は無理をなさらず、この音色に身を委ねてください」


浩然は、打ちのめされたような衝撃とともに、言葉を失った。

母を失ったあの日から、彼は常に「与える側」であった。誰かの痛みを肩代わりし、誰かの涙を拭い、そうすることでしか己の存在を許せなかった。彼にとって、人助けは義務であり、自己犠牲は日常だったのである。


しかし今、目の前の少女は、彼が「何をしたか」ではなく、ただ「浩然であること」を慈しみ、その痛みを分かち合おうとしている。

何の見返りも、大義もない、無条件の慈愛。

その温かさに触れた瞬間、浩然の胸を締め付けていた鉄の戒律が、音を立てて軋んだ。


(ああ、私は……誰かに案じられることなど、とうに諦めていたはずなのに)


浩然は、熱い何かが込み上げてくるのを必死に堪え、静かに目を閉じた。

玲玲が奏でる琵琶の音色は、毒に蝕まれた経絡けいらくを伝い、彼が何年も凍らせていた心の最深部を、優しく、確かに溶かしていくのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ