第11話 おかしな病と奇跡の薬 前編
鉄臂城を騒がせていた悪党たちが去った後、改めて見渡せば、この街の武芸者たちは皆、実直で快い者ばかりであった。北斗派の本拠地・天枢城で生まれ育った玲玲にとって、この剛健な空気は肌に馴染む。
生き生きとした彼女の様子を見て、浩然は目元を和らげた。
「せっかく鉄臂城に来たんだ。今夜は、この街の名物である雑技を見に行こう」
「雑技を見るのは初めてですわ! 楽しみです」
二人は期待を胸に、夕闇が降り始めた広場へと向かった。通常ならば極彩色の天幕が張られ、超絶技巧を披露する雑技師たちと観客の熱気で溢れかえっているはずの場所だ。しかし、辿り着いた広場は、不気味なほどに閑散としていた。
「……お休みなのかしら。灯りもまばらですね」
玲玲が首を傾げると、近くにいた少女が不安げな顔で近寄ってきた。
「ここ数日は、どこも興行を打っていないのよ……」
「それは、一体どうして?」
少女は小蛍と名乗った。彼女の話では、ここ数週間のうちに雑技団の間で、原因不明の奇病が蔓延しているのだという。激しい高熱の後に、指一本動かせぬほどの無気力に陥る病――。
「冬場ならいざ知らず、夏を控えたこの時期に、これほど急激に流行るとは……」
街の医者も匙を投げ、興行ができず皆が困窮しているという。その窮状を聞き、浩然の瞳に「薬売り」としての鋭い光が宿った。
「私は薬売りです。良ければ、皆さんの様子を診させてもらえませんか」
小蛍に案内されて入った建物の中には、かつて舞台で喝采を浴びていたであろう人々が、屍のように横たわっていた。
浩然は玲玲と小蛍を「病がうつるといけないから」と戸口で待たせると、一人で手早く、かつ緻密に診察を開始した。一通り回り終え、玲玲たちのもとへ戻ってきた浩然の表情は、いつになく険しい。
「……これは流行病ではない。何かの中毒だ」
「中毒!? でも、皆で変なものを口にした覚えなんて……」
驚きに目を見開く小蛍に対し、浩然は「手持ちの薬では足りないが、明日必ず策を持ってくる」と力強く約束し、彼女を落ち着かせた。
宿への帰り道、玲玲は抑えきれぬ不安を口にした。
「浩然様、中毒の原因に心当たりがあるのですか?」
「……まだ断定はできない。だが、これが単なる不運による病でないことだけは確かだ」
闇に沈む鉄臂城の背後に、大きな陰謀の影を感じながら、浩然は静かに夜空を仰いだ。
翌日、玲玲と浩然が広場を訪れると、昨日の静けさが嘘のような喧騒に包まれていた。たった一夜で何が起こったのかと二人が呆然としていると、人混みの向こうから小蛍が駆け寄ってくる。
「呉さん!玲玲さん!ご心配をおかけしました。実は、素晴らしい霊薬が手に入り、皆の病がすっかり癒えたのです!」
聞けば、昨夜浩然たちが去ったあと、旅の道士たちが現れ「紫微の加護を受けた霊薬」と称して安価で配り歩いたのだという。それを服用した者は皆、一晩で嘘のように快復した。
「一時はどうなることかと思ったが、あの道士様はもしや、下界に降りられた仙人様だったのかもしれんな」
人々は晴れやかな顔で口々に感謝を述べ、その道士たちを生き神のごとく崇めていた。
玲玲も安堵の笑みを浮かべ、我がことのように喜ぶ。
「皆さんが元気になられて本当に良かったです。ねえ、浩然様?」
しかし、浩然だけは眉間に深い皺を寄せ、独り黙り込んでいた。
「浩然様? どうかなさったの?」
玲玲が問いかけると、小蛍も慌てて浩然に頭を下げた。
「申し訳ありません、昨夜はあんなに薬をお願いしたというのに……」
「いや、気になさらず。それよりも……」
浩然は短く応えると、鋭い視線で広場を射抜いた。
「わずか一晩でこれほど劇的に快復するものだろうか」
玲玲と小蛍が怪訝そうに首を傾げると、浩然は思考を巡らせながら歩き出した。
「病であれば、いかなる良薬を用いても、身体が癒えるまでには一定の『時』が必要です。昨夜の皆の病状からして、一晩で全快するなど……。この即効性、あまりに不自然だ」
浩然は広場を離れ、村の外れにある水源の川上へと玲玲を連れ出した。
「浩然様、こんなところで何を……。皆さんあんなに喜んでいるのに」
戸惑う玲玲を余所に、浩然は川縁の岩に這う苔を指先でなぞった。
「玲玲、この苔の色を見てごらん。春を過ぎたばかりだというのに、縁がどす黒く変色している。それに――」
浩然は水面に目を向けた。
「この淀みだ。本来、山からの水には川睦や鮠が群れるはず。だが、一匹もいない。水面に浮いているのは、微かな、だが不自然な虹色の油膜だ」
玲玲が息を呑む。
「それって、まさか……」
「曼陀羅華を核とした『幻霊散』。医仙谷でかつて記録にあった禁忌の毒だ。微量を混ぜれば、人は緩やかな熱と幻覚に浮かされる。そして、あの道士が配った『霊薬』……。あれにはおそらく、五石散が含まれている」
浩然の瞳に、冷徹な怒りが宿る。
「五石散は一時的に万能感を与えるが、中身は熱毒の塊だ。一度飲めばその昂揚感の虜になり、薬が切れれば内臓を焼かれるような苦痛に襲われる。彼らは病を治したのではない。人々を一生抗えない『鎖』で繋いだのだ」
浩然の言葉を裏付けるかのように、改めて見渡す人々の様子は異様だった。初夏とはいえ、風にはまだ涼しさが残る季節だ。それにもかかわらず、村人たちは皆、汗を拭いながらだらしなく衣をはだけ、うつろな瞳でふらふらと彷徨っている。それどころか、数人の男たちは焼けるような熱さに耐えかねた様子で、冷たい川へ狂ったように飛び込んでいた。
「この中毒を治す術はあるのでしょうか」
「……水源の毒を断つ前に、まずは人々の正気を取り戻さなくては。このままでは奴らの言いなりだ」
一体どうやって? 玲玲は浩然の険しい横顔と、理性を失いつつある村人たちの姿を交互に見つめ、困惑に立ち尽くすことしかできなかった。




