第4話 ボクシング
入り江で出会ったジョン・マクノエンとクラレット・シュナウは、認識をすり合わせることのできないままに、彼女とコンチータノアールへと歩いて行った。
「まずは、お召し物をどうにかしませんと。このままでは、風邪を引いてしまいますから」
クラレットに言われて、自身が濡れネズミになっていることに気づいたジョンは、ポケットのたばこなどが無事かとまさぐり出した。
「なんだ?」
ポケットの中に入っていた塊のようなものを手にしたジョンは、それを引っ張り出して確認した。
正体は、紙に包まれたガラス玉のネックレスのようであった。
「ガラス玉? なんでこんなモノが」
ジョンがガラス玉を手に取ってみていると、横にいるクラレットが驚いたようにそれを見つめる。
「あら、ギフトボールをお持ちなのですか? 変な身なりだと思ったけど、ニューグ神の加護を受けたものだったのね」
「ニューグ神? 俺は一応カトリック教徒だぞ。もっとも、日曜のお祈りもサボりがちな不信心者だがな」
「あら? 変わった神を信仰しているのね。でも、その宝珠はニューグ神からのギフトでしょ」
「このガラス玉が贈り物? よく分からないが、そういう物なのか」
まったく噛み合わない会話をしながら、二人が会場へと戻っていく。
会場に入ったジョンは、言葉を失ってしまった。
会場内にいる者たちは、ジョンが全く知らない種族であり、それらがきらびやかな礼服に身を包んでボクシングリングに歓声を送っていたのである。
「なんだここは? 仮装会場か」
唖然とするジョンに対して、近くの使用人を呼び止めたクラレットは何事かを彼に命じる。
「承知しました」
使用人が彼女の要請に応じてジョンの方に向き合うと、手に持った赤い石をかざして、「フェーン」 と呟いた。
すると、温かい風が服を覆うように吹き付けてくる。
「へぇー。この石を使えば、熱風を起こせるのかい」
「え? ええ」
ジョンの視線に、使用人が少し驚いたように答える。
「あなた、本当に何も知らないのね」
クラレットが呆れた様子でジョンの方を見る。
「アメリカじゃ床屋にあるドライヤーくらいなものだよ。服に使うやつなんて見たことないぜ」
「変わったお国なのね」
ジョンが服を乾かしてもらっていると、後ろにある人だかりから大きな歓声が上がった。
「またしてもダウン! カディールの一撃に、さすがのオークも成す術なし!」
リング上にて繰り広げられる原始的娯楽に熱狂していた来賓客と、その声を一身に受け止める、角の生えた巨人。
「面白いことやってるじゃないか」
ジョンは、ボストンガーデンなどで行われていたボクシングの熱気と興奮を思い出していた。
「おい、あんた。この試合を仕切っているのは誰なんだ」
ジョンが使用人に問いかけると、使用人はゆっくりとジョウノ・タピオスを目で示した。
「あいつが主催か。よし!」
彼はそう言って、壇上にいるジョウノに向かって行く。
「よう、チビ助。あんたがここの仕切りをやってるんだってな。俺にも一枚噛ませてくれないか?」
唐突な申し出をしたジョンに、一番驚いたのはクラレットであった。
「ちょっと、ジョン! 一体何をしているの」
「クラレット嬢。この者は、君の連れかな」
「えっ、ええ。お騒がせして申し訳ございませんわ、市長」
彼女はジョウノに謝罪しながらジョンを引っ張っていく。
「何を考えているの! いきなり市長に絡んでいって」
「俺はあれに参加させろって言いに行っただけだよ。お前さんが助けてくれたお返しに、賞金で稼ごうと思ってな」
ジョンの言葉に、クラレットよりも周りの者たちがどよめき出した。
「エルフの下にいる奴がオーガに挑むだって? 無茶を言うんじゃないよ」
「そうよ。とても危ないんだから、奥で料理でも食べてなさい」
「まあ、主も身の程知らずのエルフだからね。冒険したくなるんでしょう」
周囲の者たちの嘲笑は次第にクラレットへと向かい、侮蔑も混ざり始めた。
「おいおい! 俺をバカにするのは勝手だが、彼女のことをどうこう言うのは聞き捨てならねえな」
ジョンが少しどすの利いた声で周囲を威圧すると、ほとんどの者たちが目を背けた。
「じゃあ、無謀かどうか試そうじゃないの」
彼はトレンチコートやワイシャツを使用人に預けると、リングインの準備を始めた。
「私のことはいいのよ。あなたが無理に戦うことないわ」
「まあ、見てろって」
彼は近くのテーブルナプキンを引き裂いて拳に巻き、石膏で作られた彫刻を少し削って(滑り止めの粉の代わりにして)からリングに上がった。
「よう! 地獄の門番さん。次は俺の相手をしてくれよ」
ジョンが煽るように声をかけると、カディールが苛立った顔で睨みつける。
「怖い顔するなって。楽しくやろうじゃないか」
「サッキの奴を見ただロウ。あんな目にアイたく無かったら、早くオリる事だ」
10戦近く殴り合ったせいか、カディールの滑舌は少し悪くなっていた。
「お前さんこそ、交代の選手を連れてこいよ。倒れるぞ」
「ぬかせ!」
挑発されたカディールは、勢い任せに拳を振るってきた。 ジョンは喧嘩慣れした足さばきでカディールの拳をかわすと、そのまま懐に飛び込んでいった。
「ガタイがいいからといって、ボクシングに勝てるもんじゃないんだよ!」
ジョンが踏み込んでカディールの腹にねじ込んだ拳は、百戦錬磨である彼の身体を貫くように打ち込まれ、カディールの体をマットへと沈めた。
「思ったより情けねえな。筋肉だけかよ」
「……」
カディールを見下ろすジョンの姿を見ていた観客は、しばらく言葉を失っていた。 数秒の沈黙の後、クラレットが歓声を上げて喜んだ。
「何よ、あなたって無茶苦茶強いじゃないの! あのオーガを一撃で倒すなんて!」
彼女の歓声とは対照的に、観客の多くが動揺していた。
「バカな、いくらダメージを負っているからって、オーガが人間に負けるものかよ」
「こんなのあり得ないわ」
観客がどよめいている中から、パチパチという拍手が上がり始めたのは少し経ってからであった。
「素晴らしい! 見事な一撃だったよ、君」
マットに上がったジョウノが彼の手を握った後、その拳を天に突き上げた。
「素晴らしい勝者に、盛大な拍手を送ってあげてください!」
ジョンはその拳をすぐに降ろすと、人混みをかき分けて水の入ったバケツを取りに行き、それを抱えてリングに戻ってきた。
「君? いったい何をするんだ」
「彼を起こしてやるんですよ」
ジョンがバケツの水をカディールにかけると、意識を戻した彼はガバリと起き上がった。
「ぶはっ!」
「起きたか、大男。いいファイトだったぜ」
「貴様……オレを起こシテ何をスル気だ?」
「安心しろ。今さら殴り倒しゃしない」
そう言うとジョンは、カディールの腕を掴んで高く掲げ、彼を讃えた。
「皆さん! 本日の偉大なる勝者をご紹介いたしましょう。この男だ!」
ジョンが大声で彼を称えると、周囲の客もそれに応えるように大声で歓声を上げた。
「偉大なる勝者らしい面構えだろ」
カディールは恥ずかしそうに顔を背けたが、ジョンは非常に満足げであった。に満足げであった。




