24 群賀教会
「ちまり~かん ちまり~かん ちまり~かん」
何やら遠くで聞こえていたものが、烏崑の鼓膜を震わせ、重たい瞼に血流を運んでくる。
何かにすがるような祈りのような呪文に、かすかに目を見開くと、うす闇の中、ランタンが一つ。
うすぼんやりとしたその部屋は朽ち果てているようであった。
「ちまり~かん、ちまり~かん」
おののくようなビブラートを効かせた声は、どこかで聞き覚えがある。
この部屋からの響きではない。
埃っぽいし、
「かび臭いな」
突如沸き起こった猛烈な嘔気に胃の中のものが打ちあがり、吐しゃ物を発射した。
覚醒した瞬間から強烈な胸やけが渦巻いていたのを思い出した。
フラッシュバックするのは、トメさんの酷薄な深淵の瞳と、腐乱坊の幼体の額が上唇にコツンと当たる感覚と、地獄の液体を嚥下した瞬間の内側から沸騰するような感覚。
心臓のバクバクが止まらない。
はぁ・・はぁ・・・。
ぶぅわと冷や汗が全身の疑似熱を冷ます。
多分あの毒で僕は一度死んだのだろう。
そして太極門を抜ける前に蘇生された。そしてここにいる。
という事は松果体、六チャクが以前よりクリアになって、超自然のものに対する感度が良くなっているのだろうか?
だから、超自然なものが多く集まる場所に連れて来られて、その感度を確かめる状況にある。
レミーさんが分娩室で追体験するよう促したのと同様の流れであると予測がつく。
烏崑は目を凝らしてみると、壁には外側から板で閉じられたステンドグラスがうっすら見える。
幽霊的なものが見える訳ではない。
ここで僕はひたすら、何かしらの氣億が出るのを待っていればいいのだろうか?
引き寄せられるようにランタンを持ち上げると、その下にポータブルカセットプレイヤーがあり、再生してみる。
トメさんの声であった。
「おはよう烏崑、この状況はお前の察しのとおり」
トメの声に割り込むように、
「ちまり~かん、ちまり~ん、ちまり~ん」
と隣から大声が聞こえる。
「うるへー」
烏崑が隣の卍郎に怒鳴り声をぶつける。
一瞬静まり、トメの言葉が続く。
「・・ついでに卍郎も殺した。そして蘇生した」
「ちまり~かん、ちまり~かん」
卍郎は恐怖をかき消すように更に大声を上げはじめた。
「黙れ!マン!」
テープの声が聞こえないし、ボリュームを大きくする方法も分からない。
烏崑は一度テープを切り、「まじ卍」と呟きながら、千鳥足で隣の部屋へ向かうと、悪魔がいた。
「うぉ」
烏崑は咄嗟に身を潜めた。
いきなり、変なの見えた。松果体すげぇ。
ランタンに薄ぼんやりと照らされた卍郎の声の悪魔をよく見ると、それは鏡に映り込んでいるものらしい。
ん?その悪魔は、肛門日光浴の格好をして祈っている。
卍郎でしかない。
そいつは顔を白塗りにし、ジョーカーのような口紅をひき、背中に作り物のコウモリの翼を背負っている。
「卍郎、何やってんだよ」
「うぅ、また出た、ちまり~かん」
「何言ってんだよ、烏崑だってば」
「ひゃぁ!ちまり~かん」
烏崑が近づくと卍郎は頭を抱えた。
おかしく思い、鏡に映る自分を見ると、烏崑も卍郎と同様の格好をしていた。
「なんだよコレ」
烏崑は翼を外そうと試みるも、
「コレも何か意図があんのかな」
と、そのままとし、
「卍郎、ソレ鏡に映ってる自分だし」
と、しゃがみ込み、卍郎の翼を掴み、揺らすと、
「へ?ちまり」
「何よ、さっきからその『ちまりかん』って」
「え?烏崑ってあの烏崑なの?」
「そうだよ」
と、ランタンを顔に持っていき、額の小っさい角を見せてやる。
「ちまり?」
「ちまり。だからちまりって何?」
「ち、ちまりじゃねーよ。アチマリカムだろーが」
「は?」
「何か知んねーけど、いいことあんだって」
卍郎は鏡の自分の姿を確認し、
「鏡?」
「鏡」
「っだよ、っざっけんなよ」
「早く尻しまいなよ」
「やだね」
「太陽ないのに肛門日光浴しても意味ないでしょう」
「烏崑、お前バカなのか?太陽はどっかの国には、あんだよ、かすかに日光浴出来てんの」
「仕組みは分からんけど、好きにすれば。風邪ひいても知らんよ」
「そ、そんなに言うならパンツ履いてやってもいいけど、1回肛門見てみ」
「やだよ」
「見ろよ、ビックリするから。早く」
「面倒くさ」
烏崑が卍郎の尻をランタンで照らすと、パスタが1本刺さっている。
「な」
「何が『な』なんだよ」
「さっき、ポルターガイスト現象があって、色んなものが飛んできたから、肛門日光浴してスーパーサイヤ人になろうとしたら、出来たんだよ」
「何が?」
「真剣白刃取り。俺のスーパー肛門がパスタを1本とらえた。そして、腸の損傷を防いだ」
「そう」
「だから、コレをトメさんに見てもらうまではズボンを履かない」
「そう」
呆れて物も言えない。
卍郎の卍の由来は、肛門からきているのだろう。きっとそうに違いない。
名は体を表すとはよく言ったものだ。
沈黙の合間を縫い、どこからかボソボソと声が聞こえる。
「何か聞こえる?」
「さっきからボソボソ聞こえる。何かどっかにいる」
「どっかってどこ?」
「知らねーよ。それより烏崑」
「何?」
「台車持ってきてくんない?」
「何で?」
「この格好のまま俺を運んでくんない?」
「やだよ」
「なんだよケチ」
「ちょ、静かに、何か聞こえるから」
「トメさんかな」
「ちょ、静かに!」
ボソボソ数名の男女の声が聞こえる。
静寂を破り、唐突にドゴゴゴと眼前をナイフが横切り、燭台が烏崑の身体にぶつかり、落ちた。
ポルターガイスト現象。
「ったぁ・・」
「ダダダダダダダ」
卍郎が悲鳴を上げる。
「どうした?」
「め、めっちゃ里芋が睾丸にちょ、直撃した。それよりパスタが折れたかもしんない。見てくんない?」
「もう、折れてるから、早くこの部屋出るぞ!」
「なんだよ、こんちくしょー、玉ならパスタを折れないようにしてくれるのに。役立たず」
「玉?玉臣の事かまぎらわしい。行くぞ」
烏崑はブツブツ文句を言いながらズボンをはく卍郎を引きずるようにして、目覚めた部屋に戻った。
ランタンで卍郎の顔を照らすと、卍郎の眉間に注射器が刺さっている。
「ウォ!何故?」
デジャブ!?
普通の人は眉間に注射器が刺さってる人を一度すら見る機会もなく死んでいく筈である。
「卍郎、眉間に注射器が刺さってるよ」
「あんま痛くねーし」
「早く抜きなよ?多分、こんな廃墟にあるくらいだから、薬中が使ってた可能性もあるし」
「こんなの抜かねーし」
「血がタラってるけどいいの?」
「血なんて日茶万事だし」
「日常茶飯事」
「あえてし。俺血気盛んって言われた事あるから血はたくさんあるし。お前の倍あるし」
「いいけど、2.5Lくらい血を失うと死ぬから気を付けな」
「俺の今何Lくらい減った?自分の顔面見えねーから」
「2.4Lくらいじゃん?」
「うそ、俺あとちょっとで死ぬって事?え?ホント?ホントの事言って」
と、唇がワナワナ震えている。
「あと、0.1Lで死ぬんじゃん。あ、あと0.09L」
「うそ、やべぇ、何だか意識が朦朧としてきた。目が、目がポヤポヤする。ポヤポヤ~。やばいって、早く血ぃ止めて。ねぇ、千・・・2・・・4百円あげるから、血ぃとめてよ。ポケットに入ってると思うからさ」
と半泣きになっている。
面白いから、もう少し泳がせる。
「あと、0.08」
「烏崑、オーパーツもやるから。頼むよ」
「胡散臭いな」
「ウソじゃねーよ、府中の森公園で土掘ったら出たんだって」
「0.07」
「俺の始めて生える1本やってもいいし」
「いるか、んなもん!0.06」
「なら分かった、トメさんのおっぱいある頃の写真もあげるし」
「それはちょっと見たいかも」
「だろ、めっちゃ貴重だし」
「0.05」
「え?何でだよ。まだ死にたくねーし。も、もう何にもねーよ。助けてよ。グスッ」
半べそになっている。
さすがに可哀そうに思え、
「うっそぽん」
「へ?死なないの」
「当たり前だろ、そんなかすり傷。死神とすれ違っても見向きもされない」
「し、知ってるし。最新のノリツッコミし」
「は?目が、目がポヤポヤ~。唇ワナワナ」
「お前ムカつくな。ハイ、フルボッコ確定。それにめっちゃバカにしてくるってトメさんに言いつけるからな」
「ハイハイ。こんな無益な会話やめて、早くこっから出るぞ」
「おい、あしらうんじゃねーよ。俺めっちゃすげーんだから。50m4秒台だし」
「分かった分かった」
「ちっ、信じてねーし。見てろよ、よーいスタート!!」
と、卍郎は駆け出すなり、隣の部屋でドンガラガッシャンと盛大な音が響いた。
そりゃ暗闇の中走ったらそうなるだろうよ。
「ちっくしょー、何だよ、何か足掴まれた。ホントはこんなんじゃねーし。いってー、何か鍋に火ぃついてんだけど、誰かいんのかな?人?烏崑、ちょっと来てよ。早く来てよ。なんかグロいかもここ、早く!ビビッてねーけど、早く!!うぁああああああああああああ」
烏崑が「騒がしいヤツ」と呟きゆっくり到着し、ランタンをかざすと、卍郎が立膝で両手を後ろに回し、白目を剥いている。
口をガバッと開け、ガガガガガと閉じる事が出来ない。
「卍郎!」
発した直後、烏崑は後頭部を鈍器で殴られ、一瞬意識が飛んだ。
次の瞬間、卍郎と同じ格好となっている。
隣に卍郎はいない。
両の親指は結束バンドで固定され、首も固定され、上から伸びたロープか何かで引っ張られている。強制的に立膝のような格好にさせられ、膝も何かで固定されている。
そして口が開口器のようなもので開いている。
周囲に目を走らせると、うす闇の中、部屋を囲むように小さい髑髏が棚に並べられており、全てに呪術的なメイクが施されている。
全ての髑髏の頭頂部には紅い蝋燭が揺らいでいる。壁は鮮やかに赤く、天井から首吊り死体のようなものがいくつもぶら下がっていた。
子供が寝そべるサイズの丸太に魔法陣が描かれ、中華包丁の先端が刺さっていて、周りに黒い肉片のようなものが散らばっていた。
あがっ・・・あがっ・・・・。
口の端から涎が不快に流れるのを感じる。
グツグツ煮たつ音が聞こえ振り返ると、寸胴に弱火がかけられており、オレガノやディルなどハーブの匂いがする。トマトスープでも作っているのだろうか。
寸胴の端から垂れてるあれは何だ?
長い髪の毛である。髪の先端には水色の髪留めが落ちそうになっている。
ウゥッ
嗚咽とともに、「日葵!」
と声にならない声が腹からつんざく。
歯の抜けたあどけない少女の顔が浮かび、怒りと焦燥感と絶望がないまぜになった感情が眼前でハレーションを起こした。
その瞬間に全てを察した。
これは、日葵の父親の追体験である。
そして、天井から吊られている内のどれかが、父親なのだ。
そして、周囲に並べられた髑髏はそういう事なのだろう。
何と無惨な。
烏崑の自我の合間に日葵の父親の強烈な感情に乗っ取られ、どっちが自分なのか混乱する。
絶えられない。一刻も早く逃げ出したいが、両の親指の結束バンドですら、引きちぎれない。
烏崑の力ならいける筈だが、これはあくまでも日葵の父親なのである。
「ひまり、ひまり!うああああああああああああああ」
視界から唐突に悪魔の姿の女が現れた。
烏崑と卍郎と同じ姿に扮している。
「お父さん、美味しくできましたよ」
悪魔はくちゃくちゃと音をたて、プと骨片を吐き出し、
ニマァと笑み、並びの良い白い歯を見せる。
「なんで、なんでなんだよ」
開口器のせいで言葉にならない。
悪魔の女は察し、
「それは、実においしそうに歩いていましたから。ホントに心からそう思えました。これはサタンとの同化を意味します。実に喜ばしい事。そして、あなたの絶望や怒りや悶えが最高のスパイスとなる。これもサタンと一緒。何と恍惚なこ・・と・・・」
これは、あの事件の現場じゃないのか?
群賀教会事件。
獄獣が出現するようになってから、サタニズムがじわじわと増えている。
恐怖に対面すると、凄まじいストレスで居続けないといけない。
だが、サタンを信仰し同化する事によってそちら側になってしまえば、心の安寧が得られる。あわよくば、サタンの超越的な能力を拝受させてもらおう。
そういった思想であった。
サタン思想の広がりが一気に知れ渡ったのが、桧原村にある群賀廃教会で子供147名の骨とその親77名の遺体が見つかった。エスパー少年の証言によって。
悪魔女は、
「さっきあなた気絶しちゃったから、呪怨のさえずりが聞こえなくてがっかりしてたの。ゆっくり思い出して。あなたにべったりだった日葵ちゃんの指が生きたまま中華包丁でバッツリ。バラバラバラ。泣き叫び助けを求める日葵ちゃんにあなたは何も出来ず見てるだけ」
「おおおおおおお。やめてくれ」
「さいっこんに素敵な奏で。もっとちょうだい」
「日葵ちゃんのあちこちの断面に私は何をしたっけ?ほら、言ってちょうだい」
ああああああああ、絶対にぶちぶち殺す。ぶち殺す。
烏崑は日葵の父の言葉にならない怨念に、魂がドス黒く変色していくのを感じた。
悪魔女はお椀からスプーンで肉片を掬い、日葵の父の眼前で揺らし、
「プルプルしておいしそ」
と自分の口にゆっくり入れ、くちゃくちゃと咀嚼し、
「味あわせてあげる」
と、日葵の父の後頭部をむんずと掴み、肉片を口移しする。
「ああああああ」
開口したまま肉片をどうする事も出来ない。
「あああ」
両目の端から涙がツーと流れ、嗚咽しどうする事も出来ない。
「食べちゃいたいほど可愛かった娘ちゃんを食べちゃえるのよ。存分に味わって。この機械特注だから」
悪魔女がスイッチを押すと、開口器が強制的に開閉する。
くっちゃくっちゃくっちゃくっちゃ。
必死に抗うが喉奥にツーと日葵が流れてくる。
あああああああああああああああああああああ。




