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【連載】Dark × Marriage[ダーク×マリッジ]〜死せる花嫁と漆黒の護衛騎士〜  作者: シロヅキカスム
第一章 侯爵令嬢のメモリアル

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運命の巡る夜Ⅳ

 ……でも、わたしは知っている。

 この夜に、とても大事な出来事が起こることを。


 のちにわたしは、このときの素晴らしい出会いを『運命の巡る夜』と呼んだ。幾度と頭のなかにくり返して(ふけ)る、美しくも大切な思い出なのである。


 東屋でひと息ついたころ、まもなくその足音が近づいてきた。


 東屋は池のほとり、地面の上に建てられている。水辺に面していない反対側には低木が緑を飾り、奥は背の高い植木の林が続いてた。


 突然、ガサガサッ──と、低木の茂みが音を立てて揺れた。


「な、なに?」

「!」


 音に驚き、令嬢は慌ててベンチから腰を浮かす。すかさず、従者のディオスが彼女の前に立った。主の身をかばうよう、彼は長い腕を真横に伸ばした。


 枝葉は依然、荒々しく掻き乱れている。低木の列のうち、とりわけ手前の一本が大きく動いていた。

 庭園にまぎれこんだ野生の動物だろうか、はたまた卑しい賊か──顔を強張らせる令嬢のそばで、従者が腰に携えた剣の柄へ手を伸ばしかけた。


 そのときである。

 それは勢いよく、茂みから顔を出した。


 ……大きな音のわりには、その頭はひどく小さかった。加えて、綿花を思わせるフワフワの白い毛並みが、張り詰めていた空気をゆるくほどく。


 音の正体は、犬であった。

 それも、子どもでも容易に抱えられそうな、小さくてか弱い子犬だった。


「…………」

「…………」


 主も、その従者も。

 お互いに面食らって、しばし喉奥から言葉が出てこなかった。


 棒立ちの二人をよそに、子犬はすんすんと鼻を動かし、のんきに草木に顔をうずめている。やがて愛らしく振る尻尾までもが茂みから出てきたところで、十七歳のわたしは──ぷっと噴き出してしまった。


「っ、ふふっ……」


「…………」


「さすがは、わたしの剣……うふふっ、身を(てい)して守ってくれたことに感謝を述べるわ。素敵な護衛騎士さまだこと……」


 笑いをこらえながら、令嬢は身を屈めて子犬のほうへ手を伸ばす。警戒心などないようで、子犬はすぐに彼女の手に鼻を寄せた。そのまま抱き上げてみると、ころんと腕のなかに収まった。


 ディオスが構えを解く。彼は無言のまま、令嬢に抱かれた子犬を見下ろした。少しくらい憎らしげな眼差しを見られるかと思いきや、やはり彼は無表情で、どこまでも淡白な男であった。


「人に慣れているわね、この子犬。まだ小さすぎるせいかしら、首輪もつけていないようだけど……(すべ)らかで整えられた毛並みからして、誰かの飼い犬のようだわ」


「…………」


「ディオス。あなた、今夜の来賓(らいひん)の方々のなかから覚えはなくて? ペットをお連れになられた方、それとも伯爵さまのお家の犬なのかしら?」


 ディオスのほうへ顔を向けた瞬間だった。

 またしても、おなじ茂みから枝葉の乱れる音が響く。今度は間髪入れずに、それは緑を突き破って現れた。


 犬ではない、人の頭であった。


 すっかり気をゆるめていただけあって、令嬢が甲高い悲鳴を上げたのも無理はなかった。それはディオスもおなじだったようで、彼の体が疾風(しっぷう)のごとく、俊敏(しゅんびん)に動作する。

 次なる衝撃が、わたしの身を襲った。


 突き飛ばしたのだ。

 従者が、あろうことか主を。


「!」


 体の重心がゆっくり崩れていくのを感じた。とっさに均衡を保とうと足を動かすも、上半身のぐらついた重みに()はもつれるばかり……両手に子犬を抱きしめたまま、姿勢が大きく傾く。

 見上げたわけでもないのに、東屋の屋根の向こう──星々がちらつく夜の空が視界を満たした。


 体感にして数秒後。バッシャン、という嫌な音が耳元で盛大に弾けるのであった。


 ……このときのわたしは、唐突な展開の連鎖にすっかり頭を混乱させていた。

 だから、記憶を振り返っても、細かいところまではよく覚えていない。じっさい、再度体験し直しても視界はぶれにぶれてしまっていて、周囲の状況を明白に把握することは叶わなかった。


 十七歳のわたしの身になにが起きたのか。


 端的に説明すれば、こうだ。

 ディオスに突き飛ばされて、わたしはこけた。そして、池のなかにぼちゃんと落っこちたのである。


 池の深さはたかが知れている。足が()かる程度の浅さであるため、(おぼ)れる心配はまずなかった。足の(すじ)をひねるなどの怪我にもつながらなかったことも、幸いと言えよう。


 その代わり、わたしは無様(ぶざま)に尻もちを──もとい、池のなかに腰を落としてしまった。

 あの目の覚めるようなエメラルド色の(いと)しいドレスはぐっしょり濡れて、泥を散らした醜い色合いへと変わってしまった。跳ねた水やらが美しく整えた顔や髪をも、まだらに汚していった。


 振り返っても、最悪な思い出である。

 だが、この最悪こそが──次の瞬間、最高に変わるのだから人生は面白い。


「おやおや、これは大変だ」


 心地のよい声色が響く。

 したたる水に視界を邪魔されて、令嬢の反応が遅れてしまう。けれど、これだけはわかる。誰かが東屋からこちらの顔を覗いていること……またその誰かが、声のやわらかさから自分の従者でないことも。


「美しいお嬢さん、水遊びには少々冷たさが(こた)える季節ですよ」


 軽く頭を振るって前髪をよけると、薄褐色の瞳と視線が交差した。


 睫毛(まつげ)の長い、ぱっちり開いた(まなこ)であった。樫の木のような優しい虹彩に引きこまれていると、視線の合間に手を差し伸べられる。


「さぁ、僕の手を取ってください」


 しなやかな体躯(たいく)の、若い青年がそこにいた。

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